夕食を終えて、部屋に戻り、デュッセルドルフのフランツに電話を入れた。今日は日曜日だから、バカンスを取ってニースの保養アパートにでも出かけていなければ、自宅に居る筈だ。出張でフランツがいなくとも、クリスチーヌはいるだろうと思った。
やや暫く呼びリンが鳴ってから、明るい男の声が答えた。フランツであった。ミネソタからドイツに帰って、1年近くは経っただろうか。フランス人のクリスチーヌの訛の強い英語もやっと耳障りでなくなっていた。
1986年に私たちは銀婚記念でアメリカを旅行した。ミネソタ滞在中に、フランツとクリスチーヌの4人でミシシッピ河沿いのバーへ出かけた。新しくできたモールだったが、明るい電飾がきらめくバーで昔話に花を咲かせ、愉快に過ごした。その後シーフード・レストランに行っだのだが、突然襲ってきた春の雷雨の中を、レストランの庭の生簀でわいわい叫びながら鱒を生け捕りにしようとしたが諦め、別の魚をシェフに料理させて、食事をしながら楽しい一夜をすごした。(写真はミネソタ州議会堂)
今回はミュンヘン経由の帰国だった。それなら何故デュッセルドルフに寄らないのかとフランツに言われたが、もっと休暇が取れれば、寄りたいのはやまやまであった。後年、ドイツにも旅したが、結局、デュッセルドルフには寄らずじまいだった(ベートーヴェンの生家があるので行きたかったが)。
フランツはアメリカ本社の同僚なのだが、仕事で日本へよく来ていた。夫婦とも日本食通で、日本に来たっときは、食事は日本食しかとらない。一度、フランツが仕事でアジア地区へ来た時、奥さんのクリスチーヌを連れてきた。2人とも日本食がいいと主張するので、ノッコと2人を赤坂の料理店へ連れていった。何でも食べると言い張るので、魚や貝の刺し身をとった。旨い旨いとべろりと平らげてしまう。当時、すしや刺身を食べる外国人は殆どいなかった。そのうち板前が出てきて、「この外人さん、ほんとになでも食べるの?」とナマコやヌタを出す。これも全部食べて、「もっと変わったものはないの?」とフランツに要求されて、板前も降参。「今日はこんなところかな。しかし変わった外人さんだねー」。今のように寿司が外国で大はやりの時代と違って、外国人は生魚を食べなかった。
ミネソタの遠い日々
1970年の夫婦子供連れでのミネソタ大学、留学記録にもどうぞ