「ここで何を待っているのですか」
イタリアの団体客に尋ねた。
「7時に開く筈のレストランが、7時20分を過ぎても一向に開かないんだよ」
いらいらした様子がみてとれる。大きな扉は閉まったままだ。今日は日曜日なので、本当に開くのだろうかと思えるほど静かである。
7時30分を過ぎて、やっとマホガニーの大きな扉が開いた。イタリア人のグループは堰を切ったように、アッという間にレストランになだれ込んだ。彼等は一団となって、レストランの中央に陣取ってから、怒濤のごとくカウンターに押寄せた。アッという間に山盛りのパンの山が消えていた。彼等の朝食は勿論コンチネンタル。ジュースもコーヒーもパンも食べ放題。朝食までこんなに食べるとは、イタリア人の胃袋には心底驚かされる。ロール・パンを4つも5つもワイワイやりながらペロリと平らげてしまう。私達は入口側の席に座って、同じくコンチネンタルだったが、パンは1個半も食べればもう入らない。
15分程でイタリアの一団は地響きを残して一斉に姿を消した。台風一過。今度はウエイター達が後片付けで駆けずりまわる。パック旅行や団体旅行はどこの国民もやることに差はないのだが、何故か日本人の行動は異常に映る。この連中の場合も、旗を振る奴も、ところ構わず大声を張上げて仲間を点検する奴もいなかった。
ローマ駅前でヴァティカン行きのバスを待っていた72年の時の記憶がよみがえった。その朝、整然と列をなしてバスが来るのを待っていた。バスが到着するやいなや、突然、列が崩れ、多くの人が入り口に殺到した。彼らの大半がイタリア人、スペイン人、フランス人などのラテン系の人達で、イギリス人、ドイツ人、アメリカ人、日本人(私たちだけだったが)はあっけにとられて何が起こったのか一瞬理解ができない。何のための行列だったのか、ポカーンとしている。慌ててバスに乗り込んだが、身動きが出来ないほどの混みようだった。(写真はサン・ピエトロ寺院)
さて、静かになった。私達以外は男性客が2人いるだけ。彼らは新聞を広げて、のんびり読みながらコーヒーを飲んでいる。こちらも別に急ぐ必要が無いので、ゆっくりと朝食を楽しんだ。
ミネソタの遠い日々
1970年の夫婦子供連れでのミネソタ大学、留学記録にもどうぞ