横浜大桟橋での別れ - 050 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 ジェーンとハリーの夫婦は2年ほど滞在し、横浜からシベリア経由でイギリスへ帰った。当時、ヨーロッパへ行くのに、金の無い人たちがよく利用していたシベリア鉄道。ウラジオストクからものすごい日時が遠い夏に想いを-横浜桟橋 かかった。雨の降る横浜の桟橋で別れを惜しんだのが懐かしい。自由な旅行が不可能だった当時、海外に「行く」とか「帰る」とはもう永久に会えないということを意味していた。そんな彼らはフィンランドに一時滞在して、イギリスに帰国したと便りがあったが、あれ以来会っていなかった。男の子が2人できて、バーミンガムへ移ったと便りがあった。生活は楽ではないらしかった。


 バーミンガムの鉛色の空と、延々と続く工員住宅の異様に赤いレンカの建物。久しぶりに再会した時の記憶が消えない。72年に再会したときは、ハリーが郵便局に勤めていたのとジェーンが相変わらず明るく元気だったこと。子供達とチャオはすぐに友達になり、裏庭でワイワイ叫びながら遊びまわっていた。英語が話せるとすぐに子供たちが互いに親しくなれるので、親は気を使わなくてすむから楽だ。一晩彼らの家で泊まり、楽しい時を過ごした。残念なことに、数年前からジェーン達とは連絡が取れなくなり、消息が絶えてしまった。彼等はもともとウエールズの出身だから、時間と手間をかけて捜せば、消息がつかめたかも知れないが、彼等にも何らかの事情があってのことなので、敢えてそうはしなかった。


 地方都市とか田舎とかいっても、時間が無いのでロンドンから余り遠くなくて、日帰りの出来るところがいい。ローマ時代からの長い歴史を持つバースを考えていた。もう一か所は、オックスフォードがケンブリッジの大学町。それも駄目なら、余りにも観光名所的だが、ウインザーかテムズの上流を考えていた。
 ロンドン市内は議論の余地がない。ケンブリッジへは既に行った。あとはバースかウインザー。しかし、チャールズはどちらにも反対だった。バースやウインザーは夏の観光シーズンのさなかで大変な混雑振りだという。人の余り行かないところがいいという。バースもウインザーも汽車で行けるので、私達だけで行こうかと考えたが、ほかの場所ならチャールズが車で一緒に行くというので、彼の気持ちを大切にして、場所の選択は彼に任せることにした。

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