東アジアの女性たち - 047 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 話はとぶが、1970年にサンフランシスコを経由して中華航空で留学のためにアメリカへ行った時の中国人のスチュワーデスを思い出した。席のダブル・ブキイングが起き、太平洋を親子バラバラの席で飛ぶ羽目に成りそうだった。結果として親子3人連れの私達には大変都合よく便宜を図ってくれた。全く笑顔も見せずに事務的に少々喧嘩(中国語のせいでそう聞こえたのだろう)ごしに、一人旅の中国人女性の乗客と対応をしている姿には圧倒された記憶がある。
 それに引替え、ヨーロッパからの帰りに乗り合わせた日本を代表航空会社のスチュワーデスは笑顔だけで処理能力はゼロに等しかった。ベイルートで同じように席のダブルブッキングが起きたのだが(これは客の責任でなく航空会社の責任である、おまけに正規料金のチケットで搭乗していだ)、全く処理能力ゼロであった。権威とか、有名人とか、欧米の外国人とかを特別扱いし、媚びることは知っていても、大多数の乗客にきちんと応対できる能力がない。もしかしたらろくな教育もしていないのかも知れない。英語の能力もお粗末だった。隣に座った中年のインド人の奥さんがスチュワーデスを呼んで頼んでいる。最初、私は気にも留めていなかったので、何が通じないのか判らなかった。何度も何度も同じことを繰返すが通じない。
「ブランケットを持ってきてあげなさい」遠い夏に想いを-帰路
私はいらいらしてスチュワーデスに言った。私は米国に2年ほどいたが、自分は英語がうまいと思ったことは無い。
「こんなことが判らないようでは、スチュワーデスは勤まらないよ!」
怒鳴ってしまった。当時、フランスでは何かにつけてよく語気を荒だてていた記憶がある。
私はダブルブッキングの一件でいらいらしていたのかも知れない。ところが戻ってきたスチュワーデスがブランケットがないと言う。何をかいわんやである。仕方がないので、私のを差し出した。奥さんは「ノー、ノー」と断ったが、私は「マー、マー」と手渡した
やがて飛行機はインド上空を過ぎ、心はもう日本に到着していた。
 どちらが仕事に対して、責務を果たしているのだろか。アカウンタビリティという言葉がある。日本語に翻訳しようがないので、「責任」と訳しているが、本当は「仕事が規定する責任」という意味だ。欧米では仕事が細かく分かれており、責任の領域が決まっている。そういう意味からして、どちらの航空会社が責任を全うしているかが分かるだろう。皆さんはどう思いますか。

 ミネソタの遠い日々
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