それに引替え、ヨーロッパからの帰りに乗り合わせた日本を代表航空会社のスチュワーデスは笑顔だけで処理能力はゼロに等しかった。ベイルートで同じように席のダブルブッキングが起きたのだが(これは客の責任でなく航空会社の責任である、おまけに正規料金のチケットで搭乗していだ)、全く処理能力ゼロであった。権威とか、有名人とか、欧米の外国人とかを特別扱いし、媚びることは知っていても、大多数の乗客にきちんと応対できる能力がない。もしかしたらろくな教育もしていないのかも知れない。英語の能力もお粗末だった。隣に座った中年のインド人の奥さんがスチュワーデスを呼んで頼んでいる。最初、私は気にも留めていなかったので、何が通じないのか判らなかった。何度も何度も同じことを繰返すが通じない。
「ブランケットを持ってきてあげなさい」

私はいらいらしてスチュワーデスに言った。私は米国に2年ほどいたが、自分は英語がうまいと思ったことは無い。
「こんなことが判らないようでは、スチュワーデスは勤まらないよ!」
怒鳴ってしまった。当時、フランスでは何かにつけてよく語気を荒だてていた記憶がある。
私はダブルブッキングの一件でいらいらしていたのかも知れない。ところが戻ってきたスチュワーデスがブランケットがないと言う。何をかいわんやである。仕方がないので、私のを差し出した。奥さんは「ノー、ノー」と断ったが、私は「マー、マー」と手渡した
やがて飛行機はインド上空を過ぎ、心はもう日本に到着していた。
どちらが仕事に対して、責務を果たしているのだろか。アカウンタビリティという言葉がある。日本語に翻訳しようがないので、「責任」と訳しているが、本当は「仕事が規定する責任」という意味だ。欧米では仕事が細かく分かれており、責任の領域が決まっている。そういう意味からして、どちらの航空会社が責任を全うしているかが分かるだろう。皆さんはどう思いますか。
ミネソタの遠い日々
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