ライオンに跨って - 043 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 ヨーロッパの都市なら『広場』はどこにでも有る。日本人の感覚では『広場』には花壇があったり、芝生があったり、植木があったりするのが自然である。それが違う。緑が豊かなのはロンドンのスクエアくらいで、パリでも、ウィーンでも、ローマでも、石を敷き詰めただけの何の変哲もない街中の空間に過ぎない。この点からすると中国もユーラシア大陸の東側にあるだけに、ヨーロッパと同じで緑の殆どない『広場』のようだ。遠い夏に想いを-ライオン
 トラファルガー広場(但し、ここは緑のないスクエアである)もローマの広場のように噴水がある。ネルソン記念塔の周りに置かれている台座の上には子供の格好の遊び相手にさせられている4匹の情けない顔をしたライオンもいる。どうも、ここの広場のデザインは19世紀初頭の愚作としか思えない。東京日本橋の三越正面玄関に鎮座するライオンもここのを模して英国人彫刻家がイギリスでつくたものらしい。デザインもそっくりで、ただ小さいだけ。
 その昔は、ウィリアム4世広場と呼ばれていたらしいが、イギリス人は1805年にトラファルガーの戦いでナポレオンをやっつけてくれたネルソン提督が大好きらしい。広場の名前も変えて、文句を言わないのはそのせいかも知れないが、折角の良い眺めがこの威圧的な塔とライオンのために台無しである。
 ここの広場にも72年にチャールズのお母さんが連れてきてくれた。この時はチャオがライオンの台座によじ登って、その背中にまたがり、照臭そうに右手でVサインをだしていた姿が目に浮かぶ。
 広場はどこでも反体制派の溜り場となる。ニューヨークのワシントン広場、ローマのスペイン広場、パリのコンコルド広場。どこもピッピーの溜り場であったり、プロテスト・ピープルの結集拠点であった。特に70年代初めは、ロンドンでは、ミニスカートが街を闊歩し、長髪のヒッピーがジーンズと素足でトラファルガー広場にたむろし、カーナビー通りを埋め尽くしていた。

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