
駆足旅行で目が回りそうだ。半日でセンチメンタル・ジャーニーをやろうというのだから無茶だ。
次はロンドン塔を目指す。ウェストミンスター駅からなら、タワー・ヒル駅までサークル・ラインに乗ってもディストリクト・ラインに乗っても乗換えなしで行ける。タワー・ヒルの駅はロンドン塔の入口の真裏に位置する。かなり歩かなければならない。もう3時を過ぎていた。少し急がなくては日が暮れる。右手の通路をテムズに向かって進んだ。
ロンドンやパリでは京都と違って名所旧跡で入場料を取られることが余りない。しかし、ここの入場料は桁違いに高い。切符売場の料金表を見て一瞬戸惑った。ロンドン塔を見るのでなくて、思い出を見に来たのだから、今回はどうしても入らざるをえない。

1972年にここへ来た時の写真を見ると、チャールスのお母さんはかなり疲れた様子で写っている。元気なのはチャオだけだった。赤黒のコートを着た老年のビーフィーターと訳の解らない会話を無心に交わすチャオの楽しそうな笑顔。『何故ビーフィーターっていうのか』と聞いたのだそうだ。英語は「牛」(Cow)を食べるとか、「豚」(Pig)を料理するとは言わない唯一の言葉だ。北方のバイキングがフランスに攻め込み、ノルマン領を与えられて定住した。更に、1066年に王位継承問題でノルマンがイギリスを征服したとき、イギリスの王様はフランス人で英語が喋れなかった。ビーフもポークも元はフランス語から来たのだ。
ビーフイーターとは「ビーフを食べる人」ではなくて、英国王の護衛を任された人たちなのだ。思い出は限り無い。あの時はさほど混んでいなかったので、ここで見学できる箇所は殆ど全て見てしまっていた。
ミネソタの遠い日々
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