ロンドン・ブリッジはアメリカにお引越 - 036 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 テムズ川に架かる橋からの眺めのうちで、ウェストミンスター橋からの眺望が一番好きだ。テムズ川に架かる市内の橋のなかでは2番目に古い橋である。1750年に最初の橋が完成し、現在の橋は1862年に造り直されたものである。
 1番古い橋はタワー・ブリッジの手前のロンドン橋で、最初は西暦1世紀にローマ人によって造られた木造の橋であった。その後、1176年から石の橋が建て始められ、30年後に完成した。大変な歴史をになった橋なのだが、「London Bridge is falling down...」と子供達に歌われたのは何時の時代の橋であったのか定かではないらしい。
 ところで、1972年にはロンドン・ブリッジは既になかった! 本当になかったのだ。1970年にロンドン・ブリッジがアリゾナのレーク・ハバス・シティーに売却され、1973年に現在の橋が完成したからだ。この売却の話は当時アメリカでもニュースで流された。
「ねえ、ロンドン・ブリッジが壊されるって。残骸がユタの田舎町に売却されるんだって」ある日テレビを見ていたノッコが叫んだ。
アメリカ滞在中にテレビに流れたこの売却の件には記憶があった。だから、1972年にロンドンを訪れた時にはまだ、New London Bridge is under construction であった。
遠い夏に想いを-St.Paul聖堂  ウェストミンスター橋から遠くにセントポール大聖堂が見える。今回は行かないが、72年にチャールスのお母さんと訪れた。チャオとお母さんは一階で待っていた。お母さんに勧められて、私とノッコは聖堂のドームに登った。丸いドームに着いたとたん、私は目がくらくらしてきた。ドームの内側に沿って90センチほどの細い通路が張り巡らされており、一周しないと後ろに戻れない。仕方がないので、下を見ないようにしてゆっくり廻ったが、真っ青になるくらい怖かった。私の高所恐怖症を知っての、お母さんのたくらみだった。
 ウェストミンスター橋の西南側にはロンドンの顔ともいうべきネオゴシック様式の議事堂と「ビッグ・ベン」のアルバート・タワーがその威容を誇っている。建物自体はさして古くなく、ビクトリア女王時代の19世紀中頃に再建された。この時計塔より高い塔がここにあるとは気が付かなかった。この議事堂の西南の角に位置するビクトリア・タワーで、こちらの方が2フィート高い。姿は壮麗だが何故か知られていない。これも橋からの眺めがつくる差だろう。
 河の南東側には遠くにランベス宮が望め、北側の角には傾斜屋根のルネッサンス様式を模して建てられた白いカウンティ・ホールが目の前に迫ってくる。地下鉄の駅の直ぐそばには船着場があって、ここからハンプトン・コート方面へ船で行ける。この次のロンドン旅行にはハンプトン・コートへは何がなんでも行ってみたい。

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