ニュー・オックスフォード通りへ出る。交差点を渡って、ブルームスベリー通りを北に上がる。そしてグレーター・ラッセル通りを経て駅に着いた。
トテナム・コートからノーザン・ラインに乗り、インバンクメントで乗換えて、ウエストミンスターで降りる。地上へ出ると眼前に懐かしい景色が現れた。ウエストミンスター橋の途中まで急いで歩く。頃を見計らって後ろを振返った。ビッグ・ベンが橋の欄干の上に聳え立っている。
ここには72年の思い出があった。
チャオが欄干にしがみついて珍しくゴネたのだ。もう歩くのは嫌だと言ってチャールズのお母さんを困らせた。
確かに当時はロンドン市内をよく歩いた。お母さんも62歳だったが、先頭に立って今度はあそこ、次はあちらと信じられないほどの健脚振りを発揮した。ダウニング通り10番地、所謂、ダウニング10の首相官邸にも行った。
「さあ、我が屋の別邸よ」とウインクしてさらりと言う。
当時はヒース首相が住人だった。ダウニング10の警備も警官が1人目立たないように立っているだけだった。それからパンダのいるロンドン動物園にも立寄った。セントポール寺院にも行き真っ青になったの覚えている。とにかく、まざまな処へ連れて行ってもらった。
私がバテた顔をしていると、小さな壺を取出していきなり鼻の下に突出す。一瞬たじろぎ、次の瞬間私は飛び上がった。驚かない訳がない。脳点に一撃を食らうとはこのことだ。アンモニアの小壺を携帯していたのだ。昔の小説によく登場する卒倒した貴婦人の気付け薬に使う例のアンモニアである。
ゴネているチャオがはっきり言わないので、色々カマをかけて訊いたら理由が判明した。本音は赤いダブルデッカー・バスの2階に乗りたかったのだ。
橋の途中にバスの停留所がある。バスの2階の席に落着いたとたんに、いつもの快活で好奇心に目を輝かせているチャオの姿に戻った。この時のチャールズのお母さんの困り果てた顔とチャオの様子が私達の記憶の底に消えずに残っていた。
ミネソタの遠い日々
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