民族大移動 - 030 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 今度の短い旅行にはゴールデン・ルールがあった。

『欧米の博物館や美術館は丹念に見て廻ったら一週間かけても見きれない。これを半日かけて見ても30分で見ても結果は五十歩百歩である。ヨーロッパでは18年過ぎても何一つ変わらないから、過去に訪れた博物館や美術館は特別な思い出がない限り入らないこと』

従って、大英博物館も30分か長くとも1時間以内にすませるという原則を守ることにした。
 正面広場は大変な混みようである。周囲から聞こえてくるのはスペイン語とイタリア語ばかりである。何でこんなにスペイン人とイタリア人がイギリスに押しかけてくるのか不思議である。ほとんどが団体旅行組なのだ。といっても、彼らの行動様式は日本のとは全く違う。72年の時はイタリア人とギリシャ人が多かった。観光客というよりイギリスへの出稼ぎ組であった。


遠い夏に想いを-英仏海峡  当時、私達はフランスとイギリスの間はドーバー海峡を船で渡った。青と白のツートンカラーの洒落た連絡船だった。青函連絡船より少し小さかったと思う。イギリスからの帰り船にはギリシャ人やイタリア人の家族が大勢乗っていた。
 8月のドーバー海峡は静かで、見渡す限り青空が広がり、デッキにぎっしり並べられたベンチ式の椅子に乗客が群がるように座って楽しく談笑していた。気軽に声をかけた。イタリア人のおばあさんもイギリス人の中年の婦人もチャオを見付けて、こちらへ来なさい、ここへ座りなさいと手招きしながら声をかけてくれる。チャオも気軽におばあさん達の側に座らせてもらい、にこにこと話をしている、船に乗っているイタリア人のおばさん達は夏休みを祖国で過ごすのだと言う。殆どがシチリアやイタリア南部からの出稼ぎの人達であった。今のロンドンはこれら出稼ぎ人の子供達と直接イタリアから訪れる観光客で溢れているのだろうか。

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