ロンドンの老鉄道員 - 026 | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

「ロンドンの鉄道のことなら何でも聞いてみな」
老鉄道員は胸をはった。
ところが、息子の英語は初めて会うアメリカ人でも「中西部に居ましたね」と言われる程の本物のアメリカの中西部流で、かたや、この老鉄道員は生粋の下町コクニー訛である。薩摩弁と津軽弁のやりとりと同じだ。
「なんでチューブっていうの?」
アメリカでは地下鉄を"Subway"というが、ロンドンではどうして言い方が違うのだろうと思ったのだろう。
「うーん、昔はチューブじゃなかったのじゃ。最初はサーフェスといってな、蒸気機関車が引っぱっておったのじゃ・・・・・」
あくまでもアカデミックで威厳に満ちている。ご存知のようにロンドンでは地下鉄を"Underground" いうが、通称 "Tube"ともよぶ。

ヴィオさんの旅行ブログ-車両  チャオは英語よりも説明の内容について行けない。互いに通じているのか、いないのか、こちら側の座席から見ていると漫才の掛合いそっくりだ。このトンチンカンなやりとりに、周囲の乗客達はイギリス的無関心を装いながら見て見ぬ振りをしているが、吹出すのを必死に堪えている。みんなの表情も笑いをこらえるのが精一杯といったところだ。
 息子にとってイギリスは楽しさ一杯のワンダーランドのような国だった筈だが、今ではどれだけ憶えているだろうか。ロンドンでは彼が地下鉄路線図を持って表示板や電光案内を見ながら、「今度の電車はエッピングまで行かないから、その次の電車まで待たなきゃ」などといちいち指示してくれる。地下鉄の乗り降り、乗り継ぎはチャオまかせで間違いなく、チャールスのお母さんまでが、「もうチャオ君まかせで大丈夫ね」と笑いながら脱帽の様子だった。
 我々が帰国した後も、お母さんは息子と妻のことばかり話していたと、チャールズが知らせてくれた。当時、親友のF君がロンドンの駐在で働いていて、コックフォスターというところに家族で住んでいた。ある夜、地下鉄に乗って彼の家に行った時も、「ぼくは行かないよ。お母さんと一緒にいる」といって夕方をお母さんと一緒に過ごしたことがあった。チャールズは結婚していないし、子供もいなかったので、チャールズのお母さんには孫のように可愛がったのかもしれない。

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