チャールズがホームまで送りにきてくれた。改札口に係員がいる訳でなし、入場券も必要ないし、誰も気に留めない。コミュニティーの住民どうしのおおらかな信頼関係が昔と同じようにそこに存在するのが感じられた。
ほどなく電車が入って来た。銀色の車体には見覚えがあった。このセントラル・ラインは車両の形も色も1972年に走っていたもの全く同じだった。電車の椅子や内装は何一つ変わっていない。ただ、昔は車体に落書きなど無かった。パリの地下鉄にも落書きが見られるが、ニューヨーク(72年当時の落書きはものすかった)の真似ごとだけは頂けない。ガラガラだったこのエッピング発の電車も地上から地下に潜る頃にはかなり混みあってきた。
この地下鉄には思い出が色々ある。あの頃は、チャールズのお母さんも62歳とはいえ大変に元気で、息子はもうすぐ7歳という小さな利発で明るい子だった。人見知りをしないので、アメリカでもイギリスでも、皆に可愛がられた。チャールズのお母さんにも可愛がられた。ロンドン滞在中に彼女は私達を市内のいたるところへ連れていってくれた。
ある日、お母さんはビーグル犬のケンタを連れて街へ行くと言い出した。息子は大喜びだったが、私はどうやって連れて行くのか不思議に思った。大きな犬用のバスケットにでも入れるのかと思ったら、特別な事は何もいらないと言う。
駅に着くと、お母さんは窓口で駅員と何やら話している。犬用の切符が有ったのだ。これには驚いた。電車に乗っても、空いているので、チャオの隣の席におとなしく座っている。車内の乗客も別に気に留める様子もない。
また、別の日には、電車に乗って私たち4人が並んで座っているところへ、青い制服に制帽の小柄な年老いた鉄道員が乗込んできて、向かいの席に座った。チャオを見つけるとこちらへ来いと手招きをする。彼も人見知りしない子だったので、ニコニコしながらこの老鉄道員の隣に座った。
ミネソタの遠い日々
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