こよなく日本を愛した理由は決して明かさない。彼が片思いをし続けた女子大生がいたことは確かだが。しかし、今のように簡単には事が運ばない時代だった。彼は真面目な青年で、日本や日本人を理解しようと必死につとめた。当時の大半の日本人には『変わった面白い外人』と映っただろうが、『不良外人』では決してなかった。
さて話しを戻すと、11世紀にボローニアの現在のアルキジンナージオ宮に世界最初の大学があったから、ヨーロッパの大学(ユニバーシティー)の歴史は古い。
ケンブリッジも、その昔、ローマ人がこのあたりに定住地を築いたのがケンブリッジの始まりであった。その後、11世紀になってウイリアム征服王がここに城を建てた。大学はイタリアで始まったが、その後フランスに広まった。12世紀の中ごろパリからオックスフォードへつたえられ、13世紀になってケンブリッジへも広まった。
ケンブリッジの最初のカレッジは1284年に設立されたピーターハウスであった。以来、ケンブリッジはどうゆう訳か自然科学の分野で卓越した実績を残すようになる。オックスフォードは人文科学の方面で名を上げることになる。ニュートンもダーウインもケンブリッジだし、現在では宇宙理論で有名なホーキングもここに住んでいる。ノーベル賞受賞者を一番多く出している大学でもある。ノーベル賞には自然科学部門が多いからオックスフォードには不利だ。文人でも名を成した人が多く、ミルトン、ワーズワース、バイロンもケンブリッジである。
ケム川沿いにセント・ジョンズ・カレッジまで歩いてきた。一番奥に位置しているのでかなりの道程を歩いた。強い直射日光で疲れる。
ミネソタの遠い日々
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