案内文によると、ここの建物の起源は13世紀のカルメル修道会の僧院にさかのぼるという。一番古い部分は13世紀の建立である。天井の黒い梁には修道僧が彫った紋様が残っている。その他の部分は幾度にもわたって改築され現在に至っている。
食事の前にチャールズが店の女主人から鍵を借りて来た。
「面白いものがあるから一緒に行こう」
私たちを促して裏庭に出た。
「なんだ、ちっぽけな納屋じゃないか」
細い道を挟んで隣に小さな石積造りの納屋風の建物がある。そう思っていたらチャペルだった。鍵を開けて中に入る。中はガラーンとして何もない。薄闇の中に陽の光が小さな窓から差込んでいる。床は砂埃
だらけで、石材の破片が転がっている。殆ど朽ちかけそうなままだ。
部分的には後年補修されているが13世紀の世界を彷彿とさせる。後年ヘンリー8世が自分の離婚問題でローマ法王と喧嘩した。その時、英国国教会を定め、自分が長になって、反対するカトリックの修道院を禁止してしまう。この僧院も後に廃屋となり、農家がチャペルを納屋として使用していたらしい。その後、宿屋となり、1619年に、馬気違いのジェームズ1世が東のニューマーケットからの帰路の途中に病にかかりここの宿に泊まった。その時、酒取扱の免許を認可されて宿屋は一層栄える。今も酒の取り扱いは免許制だが、当時も酒は特定の者が認可を得て取り扱える特権で、これによって得られる利益は相当なものだたらしい。この建物もチャペルとしての歴史的価値が確認され正式に保存されているらしい。
パブに戻り、ここの特製のがちょうのパテ(フォアグラとは少々違う)をとった。薄めにスライスした固焼のパンにのせて頬ばる。サラダで口直し、ビターで喉を潤す。最高の昼食だ。どんな高級レストランで、どんな高級料理を口にするより美味しい。イギリスの食事はこれに限る。ここには客室が21室あり、奥には白いクロスとピンクのナプキンで美しくテーブルセットされた素敵なレストランもある。結構広いパブでテラスもあって、一度は立寄る価値のある場所だ。
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