つづき
朝早かったので、まだ昼前。せっかく沖縄に来たので、ビーチに寄ることに。沖縄の西海岸は奇麗なビーチが続く。有名なホテルのプライベートビーチもあれば、地元の人が自由に入れる公営ビーチもある。今帰仁から名護を通過し、右手に海が広がる国道58号を南下する。かりゆしビーチにすることにした。コンビニの横に道の駅のような施設がある。「かりゆし」このことば、いろんなところで聞く。何年か前のサミットで各国首脳が着こなしていた服?歌手にも居たような。そして、その由来となった地名とばかり思っていると、「縁がよいこと、よい縁、よい関係、縁起がいい」という意味らしい。
海水パンツとサングラスくらいしか持ってこず、泳ぐつもりは無かったので、とりあえず入場料を払って、ビーチのデッキチェアを借りようと思うと、これが高額!レジャーシートで済まそうと思って、コンビニに行くが、サンオイルやビニルサンダル、タオル、飲み物を買うと、結構なお金を落としてしまった。コンビニにとって私は、「かりゆし」だったにちがいない。
引き潮で、海の水は遥か沖合い、あらわになった磯辺で、生物観察の親子がちらほら。シーズンはすぎたのでまばらな客の中でのんびり日光浴。と行きたかったが、やはり、暑い。日焼けに適応した子供の頃の体と違い、暑いだけでなく、日光を全身に浴びるのは途方も無くエネルギーを使う。ウオークマンのセントエティエンヌのニューアルバムが終わった所で退散することに。1時間くらいだったが、沖縄の海はこれで十分。シャワーを浴び再び国道を南下する。
駐車代:なし
施設利用料:500円
サンオイル、レジャーシート、ビニル草履・・・
この58号線沿いには、右手にリゾート施設が数キロ置きに現れる。突然リゾート村が現れ、土産物屋も連なる。リゾートマンションもあり、ここでゆっくり余生を送っている人も居るのかもしれない。一方左手は緑が鬱蒼としている密林地帯。道路からは分からないが、その奥一帯は、米軍の所有地なはずだ。滑走路等がある基地というわけではないが、弾薬庫くらいはあるはずだ。アジアで何かが起きたとき一戦争をするくらいの武器弾薬がここに集積しているかもしれない。
地元のラジオが言っていたが、先祖の霊が来る旧盆だが、先祖のお墓が、未だに返却されない米軍基地内にある人もあるという。柵の中にちらほら見えるお墓のような物。あれがそうなのだと思いながら走る。58号線の左右には全く違う2つの世界がある。
次の目的地は、嘉手納米軍基地。もちろん入るわけにはいかないので、空軍基地が見渡せる、道の駅かでなに行く。道の駅には、4階建ての古い雑居ビルのような建物がある。展望場に行く。ガラス張りの部屋とかではなく、只の屋上。10人くらいのお客、厳つい男ばかりだ。目の前は、滑走路が横一直線。遠く豆粒のような戦闘機がある。目の前の道路とその先に柵がある。そこが日本とアメリカの国境だ。しかし、よく見ると、その中に畑が見える。作業をしている人も見える。畑は実際何かを収穫できそうで、この面積だけの畑では生きて行けないだろうから、この地主の持っている土地の一部が基地内にあるのかもしれない。しかし一部であっても自分の土地。容易にアメリカにやるわけにはいかない。しかし、そこは明らかに基地内、どうやって入ったのだろう?
昔、同じく基地のある街、岩国で仕事をしていたとき、米軍の戦闘機が暴走族のように頭の真上をバリバリ音を立てて飛んでいた。その頻度を思うと意外と静か。地元のサツマイモとバニラのミックスソフトクリームを食べる。うまい。中国伝来のサツマイモを栽培した野国聰官という人がこの嘉手納の偉人だそうで、その後日本で伝え聞いた青木昆陽が千葉で栽培に成功し、日本に広まったそうだ。今では日本中で作られるサツマイモの最初のきっかけを作ったのはこの地に縁にある人だった。ソフトクリームおいしい!と思っていると・・・。
突然周りの男性がにぎやかに、いつのまにか持っていた無線機を耳に当て、「来た!」と。手すりにせり出し、左彼方上空を見ていると、ちいさな機影が。輸送機らしい。持ってきたカメラをビデオモードにし望遠。やがて機影からC130輸送機と分かる。大きめの垂直尾翼がはっきりしやがて超々角度で侵入。目の前に、真横の機体が来るがまた接地しない。そのまま、再び浮き上がるかと思いきや着陸。しかし、スピードはかなり出ている。ずいぶん長いと思った滑走路だが、そのまま止まるのか心配になる。右の視界が尽きる所でやっと減速に成功。そのまま、滑走路が尽きる所で左に方向を変え、格納庫方向へ進んで行く。
飛行機に乗る時は毎回、着陸時に緊張する。この輸送機も自分が乗ってもしないのに緊張する。航空事故は大惨事になる。それが市街地に落ちれば、更なる惨事になる。国防の最前線であり、未だにアメリカがあり、もしかしたら核爆弾すらあるかもしれない沖縄。ここ道の駅かでなは、別名”安保が見える丘”だそうだ。しかし、安保ってのは何だろう。今も昔も沖縄の人は日本の国防の最前線に立たせている。
甘藷野国ソフトクリーム:うまかった!
道の駅を出発し南に。これ以南はあまり有名な観光地が無い。ガイドに載っていた、日本で一番アメリカのアウトレットっぽいアウトレット、美浜アメリカンビレッジに行くことにした。58号を南下することしばらく、右手に商業施設が集中している所に到着。国道沿いは、沖縄といえども、紳士服、カー用品店、コンビニ、カーディーラー、ファミレスが連なる日本の郊外の町並みそのもの。この美浜アメリカンビレッジも、よく見るとそんな商業施設の集合体だ。しかし、一角だけ、古い木造づくりの、ぼろっちい作りの建物がある。アメリカンデポという区画で、ここだけ、アメリカの古着屋、中古屋と言ったおもむきだ。店内は、アメリカのプロスポーツのユニフォームを模したTシャツ、トレーナー、ジーンズや、シャツ、コート、靴、帽子、小物、雑貨が山ほどある。アメリカの田舎の廃屋に打ち捨てられた衣類やおもちゃをそのまま持ってきたという感じの店、埃っぽい、あるいは様々な人が着た、重さのような物が店内にただよている。衣類は、新品に限ると思っている私には少し、ほど遠い世界。しかし、サリンジャー、ブコウスキー、オースター、サロウヤン・・・・・、昔読んだアメリカの青春小説、映画『アメリカングラフティ』も思い出された。日本も、どんどん風景や身の回りの物、人の考え方が変わって行く。アメリカも同じことだろう。ここ美浜アメリカンビレッジは、日本お若者向けというより、アメリカの大人こそ、来るべき場所ではないか。休日中の米軍兵らしい男女3人が、陳列している商品を見ながら、大笑いしていた。なんとなく、その笑いの内容を聞きたい気がした。体格のいい子供にしか見えないが、今、何か起これば、彼らは銃を取る。そういう人たちと隣り合わせで生きている街なのだ。
何を買うでも無く、同じような店を何件か見て回る。一カ所、バニラエッセンスというお店があった。ショーウィンドウには、チューブドレスや、大胆なカッティングのドレス、日本のより遥かにスタイルのいいマネキンずらりと並ぶ。外から見える店員さんも、日本人とは思えない化粧とプロポーション。私は入るわけにはいかないが、女性でも、気が引けるじゃ無いだろうかと思う。
このドレス、きっと、日本では着るチャンスは無いのではないかと思う。米軍のパーティに出る女性兵士、あるいは、米兵に誘われる日本人の女の子なら着ることがあるかも。
他に土産物店がたくさんあるが、どれも同じような商品ばかり、最初に見た時は、いろんなものがあって楽しかったが、どこも同じような店で、ちょっと食傷気味。
美浜アメリカンビレッジを後にして、さらに南下。すぐににわか雨が降るが、あっという間にやんだ。そろそろ、夕方のラッシュに巻き込まれ、那覇に向かう道は、混みだしてきた。いつの間にか市街地のようだ。このままホテルに帰るのも寂しいので、駐車場に止めて、繁華街の国際通りに行った。数百メートルの通りの左右をひたすらお土産物屋さんが並ぶ。各商店に並ぶ商品数が多く、様々な色が、この一帯に溢れている。夕方の少し曇った夕空の下、歩いている人も様々なリゾートファッションで、七色の洪水は、又東京の繁華街とも違う風景を写している。沖縄旅行土産のリクエストに、珊瑚があり、珊瑚を使ったアクセサリーを探した。アクセサリー屋さんはたくさんあって、沖縄ガラスや、貝、サメの歯、いろんな沖縄特有の材料で作った物があったが、珊瑚は使われていない。何件か回るが無い。何件かまわれるほど、国際通りはアクセサリー店だらけ。女優の比嘉愛未で有名「チュラ玉」なるものもたくさんあった。本格的な宝石店に入ると、あった!血の色のような赤い玉の指輪、お値段80万円!そうなんだ、珊瑚はそんなに気安く買えない宝石なのだ。そりゃ、おとぎ話にも出てくるわな。浦島太郎の挿絵にも、宝箱から溢れ出した珊瑚が描かれるくらいだから。後々調べると、珊瑚は種類によってはワシントン条約の輸出には国の証明書、原産地証明書の発行が義務づけられている。宝石には使わない造礁サンゴは、沖縄近海では、近年様々な理由で減少しているし、中国からは高価な宝石サンゴの密漁船がやってきているらしい。サンゴは大変なことになっている。
別の店から紹介してもらった店で聞くと、2種類のアクセサリーに使われている。色とりどりの貝やガラスや砂の粒がつまった小さなボトルのようなもの。それと、1センチくらいの桃色のシャーペンの芯のような珊瑚が数本メインのロケットの横に付いているもの2種類があった。後の方のやつを買った。国際通りで図らずも珊瑚探しをしたが、いろいろ珊瑚のことを知れてよかった。
その後は、持ってきた小さなバッグがよれよれになったので、これに代わるのが欲しくなり、バッグ屋さんを探した。表通りに専門店はなさそうで、三越前からのびるアーケードに入った。地元の人が行き交う公設市場通り(正式名は違うかも)に入る。一歩道を入ると、まさに地元の雰囲気にかわり、無造作に商品が並べられた、昔ながらの昭和の商店街がある。もちろん観光客も居るし、見慣れたドラッグストアや、コンビニもあるけど、建物の古さや地面の汚れ具合がなんとも流れてきた時間を感じる。さらに路地に入ると、生活感丸出しのお店が、店頭で何やら食べてる人も居る。
とあるバッグが所狭しと、並べたり吊り下げたりして店中に充満している店があった。照明は上しか届かず、下の方は真っ暗な店内。夕方遅く、回りの光量も少なく、ここだけ違う世界みたいだ。もう店しまうから、らしいが、昼間も店内は薄暗いだろう。ここで手頃な鞄を買うが、特に安売りはしていない。値引交渉したが、消費税分だけおまけ。
店を出て、又薄暗い商店街を突き抜けると、全くの違う世界が、廃墟のような雑居ビルや、本土とは作りの違う古いマンションがある場所に出た。壁もはがれ落ち、道ばたにはデーンとお墓があり、表通りとは違う風景。でもこういう風景こそ、沖縄なのか。そういえば、昔から想像していた沖縄の風景ってどこだったのだろう。英語の看板が並んだ、人気無い裏通り、暑い太陽の光にじりじり照らされた背の低い白っぽい建物が続く町並み。勝手に想像していた沖縄は見掛けなかった。意外と自分の持っているイメージって当てにならない。