『ワイルドギース』 | 元広島ではたらく社長のblog

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六本木ヒルズや、ITベンチャーのカッコイイ社長とはいきませんが、人生半ばにして、広島で起業し、がんばっている社長の日記。日々の仕事、プライベート、本、映画、世の中の出来事についての思いをつづります。そろそろ自分の人生とは何かを考え始めた人間の等身大の毎日。

TSUTAYAワイルドギースDVDを借りた


「ワイルドギース」は、戦争映画の金字塔。傭兵物の特殊作戦物の傑作。あの落合信彦さんも絶賛。昔TVで見たきりで、どこに行ってもない。DVD化したけど、ヤフオクなんかでは、値が下がらない。近所のTSUTAYAは小規模で置いていない。と思っていると、棚にズラリ、早速かりることに。


アフリカのとある国の黒人大統領リンバニが、クーデターにより追われ生死定かでない。この国の地下資源、銅の採掘権を持っているイギリスの商業銀行の頭取マターソン卿は、かつての軍人フォークナー元大佐に傭兵部隊を組織させ、大統領の救出、復活と銅の利権確保をもくろむ。フォークナー大佐は早速、士官の人選と募兵を開始。リチャードバートン、リチャードハリス、ロジャームーア扮する元軍人が傭兵部隊としてアフリカに舞い降りる。と、ストーリーは至って単純。

しかし戦争娯楽映画のすべてが詰まっている。

今の息子との安穏な生活を捨てられない苦悩。戦場が恋しくなる元軍人の性。マフィアに追われる仲間の救出。老後の安定した生活を捨てかつての戦友に参じる古兵。また戦場に行くバカ夫への妻の愛憎。理想を胸に駆けつける黒人兵。傭兵が集まるシーンには様々なドラマが詰め込まれている。

綿密な作戦と地獄の訓練。そして不十分な準備のまま、早まった作戦開始。この後ももちろん、戦闘や、仲間の死。そして作戦成功直前でのマターソン卿の裏切り、置き去りにされた軍隊の苦難、仲間が次々にやられる決死の逃避行と、続く。

観終わると、セリフのある女性は2人それも数秒。全編、男、男、男の映画なのだ。


戦争をエンターテイメントにするというのは、もちろん、けしからん話なのだろう。湾岸戦争のころ、ニュースで、学校ではどう子供に教えているかという特集があった。先生が、戦闘機の写真を子供に見せて「かっこいいですか」と問うと、子供たちは「かっこわるいで~す」と合唱。なぜかと問う先生に「人殺しの道具だからで~す」といわせているシーンがあった。F14F15といった流線型の戦闘機は、かっこいい。かっこいいからかっこいいのだ。これは事実で仕方がない。むしろ、機械的に大合唱させている先生が不気味だったけど。

戦争映画もその背後に悲惨さはあるものの、主義に殉じ、忠義に殉じていく人にはある種の崇高さをかんじてしまう。もちろん戦争は肯定しようがないが、この『ワイルドギース』娯楽としておもしろい、とだけ、言っておこう。


それより、情勢が変わり、敵だと思っていた軍事政権が、銅利権に理解を示したため、傭兵を置き去りにするという裏切りをした、商業銀行のマターソン卿の描写が見事。(軍事政権、軍事政権と批判してきたミャンマーに、あわてて経済進出している国と変わらない)

広瀬隆さんの『赤い楯』という本がある。ロスチャイルド閨閥を中心とした、国境を越え無限に広がる金融、資源、軍事、化学、マスコミ、映画産業帝国によって、歴史が作られているとする内容だが。

このマターソン卿のような人物は、このロスチャイルドの物語に名を変え、姿を変え、いくらでもいる。最後にマターソン卿に正義の鉄槌が落とされるのだが、「ワイルドギース」は、よく映画化できたものだと感心してしまう。戦争は、理想や、政治の駆け引きで起きるのではない。『国家債務危機』のときにも書いたように、結局は、お金、借金が、決断させるもの。世論が為政者の背中を押すとも言えるが、決断の裏にはお金あってこそなのだ。


『ワイルドギース』の傭兵たちもやはり、戦争の道具、お金儲けの道具でしかないのだが、男くさい映画を見たい方、戦争がどうやって生まれるかを知りたい人は見てみるのもいいかも。