『電撃戦』 | 元広島ではたらく社長のblog

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六本木ヒルズや、ITベンチャーのカッコイイ社長とはいきませんが、人生半ばにして、広島で起業し、がんばっている社長の日記。日々の仕事、プライベート、本、映画、世の中の出来事についての思いをつづります。そろそろ自分の人生とは何かを考え始めた人間の等身大の毎日。

レン・デイトンの『電撃戦』早川文庫を読んだ。


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ここ何年か、太平洋戦争に関する本を読んできたが、ヨーロッパで、その時どんなことが起きていたのか、わずかな知識しかない。(ヒトラーが政権掌握する前夜の『ワイマール共和国』、そしてその夜である『ヒトラーの抬頭』、あとはドキュメンタリーとかキャパの伝記とか、マイネッケの回顧談・・・・)本屋の店頭に、平積みされていた『電撃戦』を手に取った。


ヒトラーが瞬く間に政権を獲得したドイツ。第一次世界大戦の戦後賠償に委縮した国民が、ヒトラーのもとに再び拡大志向になり、その増強する軍備と、各国を煙に巻く外交のすきをついて、あっという間に、ポーランドを蹂躙、そして、戦火は拡大し、フランス、イギリスを圧倒的な戦車軍団で、ダンケルクに追い詰め、ついに大陸から追い出したという、電撃戦を演出し、人類の戦争を次の次元に引きずりこんだ。


日本が、日中戦争、太平洋戦争で、航続距離が飛躍的に伸びた航空機を、洋上母艦を起点に使った新戦法で、戦争の様相を一変させたように、それまで、第一次世界大戦では、塹壕の周りでうろちょろする戦車を、文字通り地の果てまで走らせることで、あっという間に面の制圧をする、戦略兵器にしたのが、この戦車を使ったドイツの電撃戦(航空機による制圧も必要)。

『電撃戦』は、形容詞ではなく、こういった戦いを呼ぶ、固有名詞。ドイツ語で『ブリッツクリーク』。また、戦術用語でもある。第一次世界大戦は、世界中におびただしいほどの職業軍人を作った。軍人が働くのは戦場、また、出世するのは戦場で武勲を立ててこそ。平時に『戦雲の夢』を見るのは、仕方なく、この『電撃戦』の演出者、グデーリアンは、戦争前から電撃戦理論を唱え、実際部隊を育成した。戦争においては、実際に部隊を率い成功を収めた。


『電撃戦』は、こういった華々しい印象をもたせ、実際、私もそういったイメージを持っていたが、実際は、すれすれの勝利だった。軍備を増大といっても、ドイツは周囲すべて的に対峙していたので、フランス、イギリスに対する軍備はまだまだ不十分であった。フランス、イギリスのちぐはぐな応戦に助けられたこと。予想以上に進軍でき、気が付いたら、ダンケルクに敵を追い詰めていたことなど、偶然や、不慮の出来事の積み重なりで、純粋に戦略、戦術の有効性をいうには奇跡のような戦闘だったようだ。日本もほとんど資源や軍備がない状態で戦争に突入し、緒戦華々しく進撃できたのが、相手の不意を衝いて混乱に乗じたように、戦略、戦術がとやかくなんて言いようがない。

軍人が平時にあって頭の中に思いを巡らすのは、やはり空論なのかもしれない。


戦車のプラモデルを作るのが好きな友人がいる。戦車のプラモデルなんて、どれも似たようなもの。大人になって、何が好きで作るのかと思っていたけど。


理由がわかった。


昔の友人は、さらに、その戦車を瓦礫の街路に置き、その横に、休息している戦士を置く、いわゆるジオラマ模型を作っていた。彼は、戦車が作りたかったのではなく、激しい戦闘の中の一コマ、歴史の一コマ、それがグデーリアンやロンメルの指揮する戦車でなくとも、一無名の兵士でもいいので、自分の部屋に現出させていたのだった。


もちろん、この戦闘で多くの人命が失われ、戦火はさらに拡大していく予兆になったし、冷戦期、ソ連の圧倒的な戦車軍団がヨーロッパを蹂躙するのではないかというトラウマにもなった。このブログの記事は、戦争をスポーツの競技のように考えているわけではない。


先ほどの友人はもう大分長いこと会っていない。急に会いたくなった。