『鎌倉小旅行』 | 元広島ではたらく社長のblog

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六本木ヒルズや、ITベンチャーのカッコイイ社長とはいきませんが、人生半ばにして、広島で起業し、がんばっている社長の日記。日々の仕事、プライベート、本、映画、世の中の出来事についての思いをつづります。そろそろ自分の人生とは何かを考え始めた人間の等身大の毎日。

東京の名所で、行ってみたい古い寺社は意外と無い。

「そうだ、鎌倉に行こう!」ということで、鎌倉に行った。

関東平野の南、平地が行き着くところにぽつぽつと小さい山、雑木林や、森が見え始める。周囲に山が見えず、心細くなるこの広い平野の南端に、一方を海、三方を山に囲まれた、猫の額のようなわずかな土地が、一時のこの国の政治の中心地であった。鎌倉幕府である。(司馬遼太郎風)

ということで、ビルや商業施設でびっしりの都心から離れること1時間。鎌倉は、木々がうっそうとして、ここに古都の雰囲気をかもし出そうと後世の人が余り手を入れていない土地がある。

といっても、寺社の整然と整った様は観光客を最大限受け入れるため。参道脇のみやげ物店は、観光客が気まぐれで落とすお金の受け皿として、みやげ物、食べ物、喫茶あらゆる形態で軒を並べる。

「平安時代なら、京都の御所。江戸時代なら、江戸城。時代ごとの政庁の中で、鎌倉幕府は意外とイメージがわかない。いったいどんなところで政治が行われていたのか」

ネットによると、前期は大蔵御所、後期は鶴岡八幡宮の脇にある一角。今回行ってみると、静かな住宅街や、みやげ物店が並ぶ一角なんと狭い土地で日本の政治を動かしていたことか・・。日本の土地は天皇のもの、国家のもの。土地の私有は認められなかった。島国で、平地の少ない日本には本来ある思想であった。それが貴族の私有、寺社の私有を経て、鎌倉政権になって初めて公式に、地方の豪族(たまに武装した農民)による私有が認められた。鎌倉幕府は強力な中央集権ではなく、地方自治の時代でもあった。後の室町時代も一緒で、そのため豪族同士の喧嘩、戦が絶えなかった。巨大な中央集権では無いため、多くの官僚や巨大な行政府は必要としなかった。それが鎌倉幕府をこじんまりとさせていたのかもしれない。

【鶴岡八幡宮】

源氏三代実朝の暗殺者が身を隠していたという大銀杏は強風のため、つい2週間前に倒れたばかり。しかし、800年前にすでに大銀杏であった。というわけにはいかないので、この樹は2代目だという説もある。ここが、日本の中心でなくなって以降の時代を見守ってきたことになる。そして、その役目が強風とともに終わった。見捨てられたか?

平日でも観光客でにぎわう寺所を横道にそれるとすぐに住宅街。武士政権設立の立役者、源頼朝のお墓を目指す。そこは本当に住宅街。観光客はほとんどいない。住宅街に設けられた細い桜並木を抜けると階段が。あがりきると、頼朝の墓がそこにある。周りは整地されていない雑木林。朽ちた賽銭箱が無造作に捨ててある。やがて、土に返るように鎌倉という土地も20世紀の観光業が発展するまでは、ただの日本の一地方の町に過ぎなかった。

頼朝の墓を後にして、江ノ電で長谷に行く。鎌倉の大仏を見に行く。駅から降りて10分弱。たくさんの人がいる。きれいな塀と門がある。そこから大仏は見えないが、入ってみてわかった。座っている大仏様。その周囲を広めに塀が張り巡らされているため、外からは見えない。拝観料300円取る以上は、入らないで見えるようには出きないためだ。幾分猫背の大仏様。ダリのような口ひげ。はるか、由比ガ浜、太平洋を見ているそうだが・・・・。奈良の大仏は大仏殿の中で国家の安寧を祈り鎮座している。鎌倉の大仏はこの猫の額のような土地を外敵から守ってくれるような祈りがこめられているかも。

【長谷寺】

最後に長谷寺に行く。ここは300円の拝観料。

門をくぐるときれいな庭園。池や苔むした石垣、無数の植物が待ち構えている。パンフレットには四季折々の花が楽しめるよう。変わった草花や芽吹いた桜も。階段を上がっていくと、山の斜面にいくつかの堂宇があり、中央の巨大な観音堂の中には真っ暗な中に、これも巨大観音像がくるものを見下ろしている。

南の斜面には展望上があり、ここから由比ガ浜、太平洋が見える。太平洋とは反対側を見ると、「猫の額幕府の所在地」の周囲数キロをなだらかな山並みが包み込む。

武士といえど、一皮向けばまだまだ生産能力の低い農民。鎌倉幕府はたまに武装する農民の親分の寄り合い所帯であった。平安や、江戸に比べ華がない。質実剛健、高校野球的白黒のイメージの時代だった。

いくつかの寺社を回ったが、なんとなく鎌倉とはなにか?が自分おなかに収まった感じだ。

長谷寺の近くに「オルゴール館」というのがあり、大きな蔵を改造したような店の中には、ヨーロッパの古く大きなものも混じって、たくさんのオルゴールが並べられていた。クラシック、流行の曲に混じって、サザンの『鎌倉物語』があった。鎌倉を司馬遼太郎的に考える今の自分と、サザンが好きな子を好きになった昔の自分に気がついた。