朝、時計がわりに見た携帯の画面。ニュースバナーに『サリンジャー氏死去』の文字。交差点で、あっと声が出てしまった。
数年前、村上春樹氏が新訳を出し、再度読者が増えた『ライ麦畑でつかまえて』をはじめ、『ナインストーリーズ』や『フラニーとゾーイ』といった短編集は、20世紀のアメリカ文学の代名詞であり、永遠の青春の代名詞でもある。う~ん。作家を語るには、陳腐な表現。
サリンジャーは取材嫌いで、ある時を境に執筆をやめ、ニューハンプシャーの田舎に引きこもってしまった。彼を引きずり出そうと、何人かの人間が試みるたび、話題になったが、世捨て人の彼をそっとしておくというのが、最近の事情のようだった。
私が出会った時には、すでに隠遁生活中で、サリンジャーの本をはじめ、アメリカ文学をいろいろ読んだ。
トムウェイツや、労働者階級を唄った洋楽を聴くと、週末の街、若い日の屈辱、場末のバーで晴らすうさ、戦場へ赴く兵士、ばか騒ぎをし、むなしく社会へ出ていく学生・・・・いろんなシーンがよみがえる。
サリンジャーの小説は、ほぼ20世紀前半のアメリカなのだが、私の中で勝手に『古き良きアメリカの情景』に使わせてもらっている。
最後の本は、『ハプワース16,一九二四』。
買ったのはいいけれど、ページを開いていない。これを読むとサリンジャーが終わってしまうようで、今も読まずじまい。多分実家の本棚にほこりをかぶっている。
その次の作品が出ないまま、今日の日を迎えてしまい。結局、『ハプワース16,一九二四』が遺作となった。(未発表原稿とかがたくさん出てくるかもしれないけど・・・)
『ハプワース16,一九二四』
ハプワースは、ハプニングと価値あるという意味のワ―スを組み合わせた架空の地名(?)
1924年に起きた価値ある事?
正直、サリンジャーがの文学が格段優れているとか、素晴らしいとか言えないのだが。自分の中にあるサリンジャーの唯一のメッセージは、
『小さきもの、幼きもの、弱きものの側に立て』
ということで、時々心に浮きあがってくる。(ファンの方笑ってゆるして)
激動の20世紀、サリンジャーがいたこと、サリンジャーが多くの作品を世に出したことが価値ある出来事だった。サリンジャーを心のどこかに置いている人は、この星にたくさんいるはず。全世界を席巻し、行き詰った民主主義と資本主義、『小さきもの、幼きもの、弱きものの側に立て』は、そんな世界への警鐘だと思うのだけど。