『ミスターピップ』 | 元広島ではたらく社長のblog

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六本木ヒルズや、ITベンチャーのカッコイイ社長とはいきませんが、人生半ばにして、広島で起業し、がんばっている社長の日記。日々の仕事、プライベート、本、映画、世の中の出来事についての思いをつづります。そろそろ自分の人生とは何かを考え始めた人間の等身大の毎日。

このお正月に読んだのは、硬いノンフィクションでなく、久しぶりの海外小説。ロイド・ジョーンズの『ミスターピップ』白水社を読んだ。


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舞台は、1990年代初頭、パプアニューギニアのブーゲンビル島。島は、発見された世界最大規模の銅鉱山により、空前の活況を呈していたが、フランシス・オナ率いる独立武装蜂起が起きる。唯一の外貨収入源である鉱山を確保したい政府軍(肌の色からレッドスキン)は、ゲリラの制圧戦に臨む。島民(黒人)に対しては封鎖やゲリラに協力するもに対して過酷な弾圧を行っていた。


日本人にとってブーゲンビル島は、連合艦隊司令官山本五十六終焉の地。ジャングル奥地に隠匿されていた旧日本軍の武器をゲリラが使うという、日本人にも他人事でない戦争だが、恥ずかしいことに南太平洋でこんな戦争が起きていた事を私は知らなかった。



物語はこの島に住む少女マティルダが、封鎖された島で、島に住む唯一の白人(ミスターワッツ、時々、黒人の奥さんを手押し車に立たせて、自分はピエロの赤い鼻をつけてパレードする不思議な人)が、島を去った先生の代わりに教師を引き受けるところから始まる。


この本を読むきっかけになった書評にくりかえしでてきていた、また本の宣伝文句にもなっている『物語の力』。この言葉が、まずあって読んでいった。



ミスターワッツがとった勉強法は、子供たちにディケンズの『大いなる遺産』を読んで聞かせること。毎日、一章づつ聞かせる。空と海とジャングルだけの世界から、子供たちは想像の翼を広げ、19世紀のロンドンに跳ぶ。もちろん、見たことも聞いたこともない言葉ばかりだから、ロンドンの市街地といった映像的なものではないが、そこに出てくる自分たちがまだであったことのないようなタイプの人間、犯罪者、孤児、弁護士、大金持ち、脱獄囚、貧民・・・さまざまな人間に子供たちは出会う。また、物語の登場人物は実在の人間のように、彼らに語りかけ、彼らも、その人物と対話し、ちょっとした心の機微を読み取ったり、主人公の境遇に心を沿わせるあまたのやり取りが繰り返される。主人公ピップを、『大いなる遺産』を通し、子供たちは成長していく。


しかし、マティルダが浜辺に不用意に書いたPIPの文字を、レッドスキンが、ゲリラのメンバーと思い、村人が弾圧を受ける。二度目にきた時に、最悪の悲劇がマティルダに襲い掛かる。


人が、最悪の状況になったとき『物語の力』は、何を与えてくれるか、あるいはまったく無力なのか?そもそも『物語の力』とは?



人間が原始的な生活から、火を知り、言葉を知り、言葉からつむぎだす物語を作ったときから、物語には力があった。人を笑わしたり、悲しませたり、奮い立たせたり、信仰を植えつけたり、その力のために、戦争に、劫火に命を捧げることになったり・・・・。


「聖書」「資本論」とまではいかないが、南の小さな島の子供にとって、ディケンズの「大いなる遺産」が、それぞれの子供たちなりに戦乱を、過酷な運命を生きていく力を与えた。


本をなぜ書くか?本をなぜ売るか?本をなぜ読むか?そこにある力が社会を、自分の人生をいい方向にすると信じるから人間は本を読むのかもしれない。