松本清張さんの『昭和史発掘 1』文春文庫を読んでいる。
松本清張さんが、1964年に週間文春に連載した昭和の怪事件の数々をまとめたもの。その中に私たちは、図らずも、日本が坂の上にたどり着き、目指した雲の下に広がる荒涼たる世界、欲望の赴くままに権力、暴力を使う日本人が戦争に突き進む世界を見つけてしまうのである。
1巻は「陸軍機密費費消問題」「石田検事怪死事件」「朴列大逆事件」「芥川龍之介自殺事件」など昭和初年ごろ、世情をにぎわせた事件を扱う。
長州閥の後押しを受け、大将にまで上り詰め、陸軍大臣を勤め、
政友会に総裁として誘われる田中義一。彼が政友会に総裁として乗り込むに当たって、300万円という破格の金を手みやげを持ち込む。当然、貧乏武士の倅で、陸軍一筋の田中にそのような財産などなく、世間の注目が集まる。出所は神戸の高利貸し。しかし、担保もなくお金を貸すものはいない。担保を探ると国債だという。しかし、田中がどうやってその公債を手に入れたか憶測を呼ぶ。田中はシベリア出兵当時の大臣。陸軍官房には当時、使い道を明らかにしなくてよい陸軍機密費というものがあった。多くは満州や赤色革命の中、抗戦を続けるソ連の独立政権を後押しする工作費に使われたが、使い道を明らかにする必要のないお金、横領するにはもってこいの金蔵。
当時、田中義一大臣の軍縮政策で、退役に追い込まれた一派は、これをチャンスと見、自らも横領を行った金庫番に検察に告発をさせ、復讐を図る。金庫内には、個人名義に書き換えられた国債があったと。
制度や仕組みの盲点、隙間に付け入り、公金をくすねるものは、外務省、労働省、岐阜やその他の県、漢字検定協会・・・・枚挙に暇がない。また、今に始まったことではなく、繰り返し繰り返し歴史には現れる。見つからないだけで、誰でもやっている国民病かもしれないし、どうしようもない小人の集まりが日本そのものなのかもしれない。
今と、昭和初年の状況と違うのは、欲望のスケールかもしれない。反共思想、右翼、アナーキストという主義の反目する人間、薩長閥を快く思わない人間。陸軍内での派閥抗争。政友会と憲政党の政権争いと暴力団まがいの政治ごろつきの暗闘。政治家、軍人をてこに一儲けしようという政商もどき。さまざまな思想や考え方が奔流のように湧き出した大正デモクラシー、しかし、自由と手段を選ばない欲望の実現を履き違え、醜い事件が多発する時代だった。
『朴烈大逆事件』は、植民地支配下の朝鮮人青年朴烈が、何の実行力もない皇族爆破計画を、大逆という国家最高の犯罪者に仕立て上げたのは、当時、関東大震災の朝鮮人大虐殺を国際的に非難されていた日本政府(政権)が、怒りの矛先を、朝鮮人過激分子、共産主義者、無政府主義者へ分散させるためのでっち上げだったという見方をしている。
そして『石田検事怪死事件』は、先の田中義一の「陸軍機密費問題」を操作する検事石田の怪死事件を。『芥川龍之介自殺事件』は、文壇の寵児が、36歳の若さで自殺する事件を紐解く。
未曾有の震災。ロシア革命と広がる労働者革命の足音。そして聞こえはじめた戦争の足音。足音に急かされるように、転がり始める昭和日本。
司馬遼太郎さんは、明治人までは、闊達に筆を進めるが、大正、昭和の日本は足踏みする。自らノモンハン事件の不条理を体験し、なぜ『坂の上の雲』まで持っていた無邪気さを日本人は失ったかに、小説という形では、回答を与えてくれなかった司馬さん。
司馬さんのファンとしては、この問いの答えを自分で探さなくてはいけないのだろう。この松本清張さんのは、昭和初年から、226事件につながる事件の数々を収めた『昭和史発掘』は、そのヒントが詰まっている。『坂の上の雲』までは、日本人はほぼ同じ方向にベクトルがあっていた。(ベクトルをあわせるのが、日本人は結構得意なのだ。)しかし、あらゆるベクトルと、色も違いだした昭和初年の日本人。その中でもっとも大きなのは後の歴史から考えると『戦争』。ではなく『利権志向』といった、己のテリトリーに利益が常に流れ込む仕組みつくり。今も形を変えて歴然と残っているベクトル。そのベクトルが奇怪な事件を次々に生み出す。
芥川の自殺の原因であるぼんやりとした将来への不安は、芥川個人でなく、日本が向かおうとしている世界への予兆として、重く、読んでいるものにのしかかる。
