『歓喜する円空』 | 元広島ではたらく社長のblog

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六本木ヒルズや、ITベンチャーのカッコイイ社長とはいきませんが、人生半ばにして、広島で起業し、がんばっている社長の日記。日々の仕事、プライベート、本、映画、世の中の出来事についての思いをつづります。そろそろ自分の人生とは何かを考え始めた人間の等身大の毎日。

梅原猛著 『歓喜する円空』 新潮文庫を読んだ。
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放浪の旅の中、宮本武蔵がある時期より、小刀で、仏像を彫ったという。若いころより、究極の武を求め(蒼天の張遼みたいに)、無駄な殺生もしてきた武蔵。武蔵との戦いに敗れ、命を失ったものへの弔いか、あまりうまくない仏像を武蔵は残している。


先ほど奈良興福寺の国宝『阿修羅像』をメインにした『阿修羅展』が盛況で、世の中は仏像ブーム。が、歴史の教科書に出てくる立派な仏像とは違って、粗い彫り、崩れたボディライン、ユニークで、どこかユーモラスな表情の、おびただしい数の、仏像を造った円空という僧がいたことを私は知っている。


円空という僧を知った時に、武蔵のこのエピソードを思い出し、同じように旅の中で、荒削りの、不細工な仏象を彫り続けた二人の心情に寄り添えるよう、円空について書かれた書物が出るのを楽しみにしていた。ハードカバーで数年前に見かけたこの本。しかも、梅原猛さんが書いている。文庫になったのですぐに買った。


円空は江戸前期の人。私生児として生れ、幼い時に母親を洪水で失った。その後仏門に入る。彫刻を覚え、弘法大師空海のように、若い修業時代より、山野に分け入り、円空仏という独特の木像仏を作る。多くは山で朽ちたり、川、海に消失したが、それでも、北海道から岐阜にかけての日本中に円空仏は残っている。生涯に12万体の仏像を造る発願をし、現在数千体が残っている。


木の仏像は今では珍しくはないが、昔は、塑像や、寄木つくりといった製法で造っていた。原木を、その木目や、形上の制約を残したまま、粗い鑿の後を残し仏としての命を吹き込むという仏像は当時では珍しかったそうだ。円空は、日本人誰もが憧れる”旅を住処”とした人。険しい山岳の洞窟に起居し、仏像を残している。