『アラスカ物語』 | 元広島ではたらく社長のblog

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六本木ヒルズや、ITベンチャーのカッコイイ社長とはいきませんが、人生半ばにして、広島で起業し、がんばっている社長の日記。日々の仕事、プライベート、本、映画、世の中の出来事についての思いをつづります。そろそろ自分の人生とは何かを考え始めた人間の等身大の毎日。

『アラスカ物語』 新田次郎 新潮文庫を読んだ。


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食糧不足と疫病により壊滅的な状態となったエスキモーの1部族を率いを新天地に新しい社会を作った、「現代のモーセ」と讃えられたフランク安田の生涯の話。ふしぎ発見か何かのドキュメンタリーで採り上げたこともあるので見たことのある人も居るはず。


明治元年宮城県石巻で生まれたフランク。医家の一族で、きかん気の強い、頑固な子供だったが、溺愛する祖父の死、両親の相次ぐ死と残された借財で兄弟姉妹は離散。居場所の無くなったフランクは出来たばかりの三菱汽船に勤める。そして、外国航路の見習い船員に応募し、錨の無くなった船のようにアメリカに渡る。詐欺の様な契約に引っかかり、農場で奴隷のように働かされる日本人も居たが、何度かの転職後フランクはアメリカ沿岸警備隊、ベアー号のキャビンボーイになる。確実な仕事振りと性格は、気象観測その他の重要な仕事を任されるまでになっていた。

当時乱獲のため鯨が北極海では激減していた。その上さらに密漁船が跋扈しており、ベアー号はその取締りのため北極海を遊弋していた。仕事振りとは別に、人種差別問題と物資の横流し事件による、遭難未遂事件を機にフランクは船を下りる。そして北極圏の町ポイントバローのエスキモー社会に溶け込むことになる。同じ顔をしたフランクは「日本という部族のエスキモー」として異なる習慣を持つが優れたハンターの腕を持ち、部族に信頼され鯨漁のリーダーを任されるまでになる。そして見事に鯨を仕留める。しかし翌年になると、鯨、アザラシが数年採れなくなり、政府の援助物資だのみの状態になる。ハンターを率い内陸のカリブー狩りにでるが、部族全員を満足させる肉を獲るには膨大なカリブーが必要となる。


エスキモーの妻をめ取り、いつの間にか部族の期待を背負うことになるフランク。この極北の地にアメリカ人鉱山師カーターが優れたハンターで案内人となる人間を探しに来たときから様相は変わる。北極圏から南に下りブルックス山脈を越えた内陸アラスカでは近年数度のゴールドラッシュが起きていた。金鉱を見つければ分け前は半分。金鉱を探す過程でエスキモーの新天地の候補地が見つかるかもしれないということでフランク夫婦はカーターの申し出を受ける。


金鉱はそう簡単に見つからない、どこも既に誰かが試掘しており、見込みはうすい。しかもインディアンの居留区があり、エスキモーの住む場所も見つからない。焦っている内に、部族が疫病に襲われ百数十人が死ぬ。またフライングで部族を飛び出してきたもの出て来る。ジョージ大島、ジェームス・ミナノという日本人とふしぎな邂逅がったりし、ついにフランクは金鉱を見つける。又その地と交通の動脈となっているユーコン川を結ぶ線に道路が必要なこと。そこに交易の町と輸送の仕事が出来る人間が必要なことに目をつけ、犬ぞりで冬季は輸送の仕事、夏場はカリブー狩りと、エスキモーの新天地が見つかる。


隣り合うインディアン居留区の酋長との親交の儀式も無事終わり移動となる。「現代のモーセ」とはそのとき新聞が彼を評したもの。鉱山師カーターは誠実な人間でフランクにきっちり分け前を払い、街づくりも援助する。

そこはビーバーが沢山生息する場所、町の名もビーバーになる。フランクはその町で毛皮の一大集積地として繁栄させるが、やがて金鉱の枯渇と共に町は衰退するが、首長であり、郵便局長であり、代筆屋であり、何でも住民のためにしていた彼は精力的に動いていた。

そして、自分の努力を正当に認めてくれていたと思っていたアメリカ社会は、太平洋戦争が始まったとき、突然強制収容所送りという仕打ちを彼に与える。知識人からも多くの嘆願書が送られたが自分のみの釈放は望まなかったフランク。比較的余裕のある収容所生活らしかったが昭和46年彼は村に戻る。78歳になっていた。

その後は書き物をしたり、人口の減ったビーバーでのんびり暮らしたフランク。昭和33年、90歳でなくなる。一度も故郷に帰ることはなかった。


文庫には新田次郎さんがずっとずっと書きたかった人間と紹介されており、その創作段階も書かれている。何といっても遠くアラスカの人であり、なぜ彼が時間と空間を間違えたようなアラスカに忽然と現れ、絶滅に瀕したエスキモーから絶大な信頼を得、しかも、民族移動を無事果たすことが出来たのか?その理由はどこにあるのか?アラスカの大河ユーコン川。新田次郎さんは、ここにフランクの故郷の北上川を重ね合わせる。そして小説の中のフランクに故郷を思わすときは、このユーコン川を登場させる。全く趣の異なる川でありながら、フランクの郷愁を誘う道具にしている。なぜ日本を出たのか?なぜ日本に帰らなかったのか?の問いの間に、彼は民族大移動というとんでもないことまでやってしまう。


民族大移動といえば、三国志の劉備が、曹操軍に追われ新野の城から住民20万人を引き連れ遠く襄陽、江夏を着の身着のまま逃避行するのを思います。横山光輝のマンガでは超雲や張飛の鬼神の活躍と共に「国家とは人」という劉備の言葉が、思い出される。土地や政治形態、経済力ではなく国家とは人があってこそ。その人をつなぎとめる劉備やフランクのような人がいつの時代にも必要だ。

今日は、詰まんない政治家の名前は出さずに置こう。ほんの100年ほど前、明治には沢山にすばらしい日本人が居た。まったく異質ではあるが、フランク安田と彼がやったことも誇りに思いたい。


こんなにすごい日本人が居た、という話。