『火車』 宮部みゅき 新潮文庫を読んだ。
初版が平成4年7月。文庫が平成10年。名作と言われてるが、なかなか読めなかった。読んだら名作だった。
舞台は1991年。20年近く前の日本と、その社会状況の中の物語ではあるが、今読んでも全く、遜色ない。取り上げている社会問題が、姿を変えれど、いまだに日本にある。悲しいことに、これから読んでも色褪せない名作となるだろう。
物語は、親戚から、突然、失踪した婚約者を探して欲しいという依頼を受けた休職中の刑事の人探し。アパートに家財道具を残したまま、手がかりを残さず、掻き消すようにいなくなった女性。会社で手に入れた、その女性の履歴書を下に、過去を辿るが、その名前の人物は、全くの別人だった。婚約者は、違う人物に成りすましていた。失踪した婚約者の居所と、なりすまされた女性の類縁者、過去の人間関係を辿っていく内に、カードやローンの陥穽にはまり、人生を誤った人間に姿が浮かび上がる。
20年ほど前、学生や若い人も気軽にクレジットカードが作れる様になった。審査がゆるくなった。丸井のカード○I○Iってやつ、なんかCM見ない日はなかった。バブルの時代背景もあり、いい服、化粧品、派手な生活を実現する、魔法のカードは、多くの借金を抱え、自己破産する若年者を生み、社会問題になった。その5年ほど前は『サラ金地獄』、その5年ほどあとは、『住専』。そして、『商工ローン』、そのあとは、犬のCM等でおなじみの『消費者金融』と、そのいずれも、悪質な取立て、グレーゾーンを巧みに使った法外な金利と、金貸しが、社会問題にならないことは無い。
また、いずれも、名前は表には出ないが、実際は、大手都市銀も融資しており、受け皿として、ヤクザや暴力団の『闇金』が、罠を待ち構えている。都市銀が間接的に出資し、最期はヤクザが、人の生き血を吸う、金融の問題は、時代が変わっても、必ず同じような構造で存在する。
20年前の舞台だが、今現在、2008年を言っているのでは、という部分が多くある。クレジットカードの破産者を助ける弁護士に、「金融とは幻」と言わせる。サブプライムローンの影響で潰れたリーマンブラザースに端を発する今年の世界恐慌を言い当てているよう。
その弁護士が、クレジットやローンで破産する人間を、「その人自身に問題がある」として、社会が取り合わないこと、世間の理解が無いことを嘆いている。利息制限法と出資法出資法の間隙をつき、利用者に法外な利息を支払わせるいわゆる「グレーゾーン金利」の問題は、既に20年前のこの本に取り上げられている。是正されたのは一昨年。貸す方が、国会も、TVも支配しているんだからこんなに時間がかかったのか・・・・。
また、「その人自身に問題がある」は、「自己責任」の名の下に、被害者や弱者が平気で切り捨てられる今の社会を見越しているよう。
又借金を抱え夜逃げしたような人が、原発のような危険な職場で働いたりと言う、「棄民」になっている状態は、ケータイの「闇サイト」で、裏のビジネスに確信的に巻き込まれていく現代人。ストーリーには直性関係ないが、主人公の子供が保健所に、可愛がっていた野良犬が殺処分されてないか確かめに言ったり、病院の医師不足と資金不足といった問題も、2008年の今年を暗示しているかのよう。
『火車』は、2008年の予言書かも。
今年、金メダルを取った、柔道の石井選手が、母校の凱旋講演で開口一番、「連帯保証人になってはいけません」と、言い、世間の失笑を受けたが、私は、感激した。『火車』のなかに登場する弁護士も、「卒業する高校生に化粧の仕方を教えるくらいなら、クレジットやローンの勉強をさせえた方がまし、何も予備知識の無いまま、金貸しに手を出し、身を誤ることが多い」と嘆かせている。今ありとあらゆる詐欺が横行する社会。まず「知ること」を喚起した発言であるならば石井選手には拍手を送りたい。
『火車』は、お金に苦労する様であるが、巻頭に、「生前、悪事を犯した亡者を地獄に運ぶ車」のこととある。また、妖怪でもある。
ウィキペディアには、「出没地は特定されておらず、全国に出現すると言われている。罪人が死ぬと、暗雲と大風雨と共に地獄から現れ、その者の葬式や墓場から亡骸を奪い去っていく。雲の中から手が現れて死体を奪うともいい、そうして持ち去られた亡骸は五体がバラバラに引き裂かれた無残な姿で、山などに捨てられたともいう」とある。今これをネットで見つけて、再度、あっ!と驚かされる。
さらに、物語中に出てきた破産者と上九一色村の関係も暗示しているようで、うす気味悪い。
子どもの頃見たアニメ『ドロロンえん魔くん』は、怖かった。主人公が退治した妖怪を、あの世に運ぶ炎の車が、『火車』だったような記憶がある。ほかにどんな化け物がいたか忘れたが、それが無性に怖かった。宮部みゆきさんの『火車』は、大人となった私を、また、怖がらせる。社会が良くなって、この本の内容が色褪せるようなそんな時代になってほしい。間違っても逆の意味で、色褪せないで欲しい。日本人みんなが、『火車』に乗らされることの無いように。
