クリスマスが在ることの意味 | 元広島ではたらく社長のblog

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六本木ヒルズや、ITベンチャーのカッコイイ社長とはいきませんが、人生半ばにして、広島で起業し、がんばっている社長の日記。日々の仕事、プライベート、本、映画、世の中の出来事についての思いをつづります。そろそろ自分の人生とは何かを考え始めた人間の等身大の毎日。

ニュースを見ていた。

ドイツのおもちゃ屋さんで、小さな男の子が、白馬のおもちゃをつかんで、これに決めた!と。別の女の子は、蝶の形をしたブローチを。クリスマスのシーズン。子どもたちは、どんどんおもちゃを買っていく。決して、高価ではないが、次から次に選ぶ様に、疑問がよぎる。しかし、家に帰った子どもたちは、親と一緒に、靴の入っていた空箱に、綺麗なクリスマスカラーの紙を貼り、買って来たおもちゃを、大事そうにしまう。そして封をして、所定の場所に持っていく。

子どもたちは、自分たちが欲しいものをどんどん買うのではなく、誰かにあげるために買っていたのだった。


そのプレゼントはやがて、ポーランドに行く。低所得者の多い地区のクリスマス会場。人形劇が催されるささやかなパーティ会場に、プレゼントが届く。コンピュータゲームや、ラジコン、ロボットはないが、予期せぬおもちゃに子どもたちは大喜び。ちっぽけなミニカーに狂喜する子どもを見るなんて、久しぶりの光景。


ドイツの子どもたちも、プレゼントをあげるだけでなく、親にもっと高価なおもちゃを買ってもらっているかもしれない。しかし、自分たちより、苦しい生活を強いられている人が、この世に居ることを知り、もらった子どもたちが、喜ぶように一生懸命おもちゃを選んでいる姿は、まぎれもない事実。

欲望を満たすことに熱心な日本の子どもに比べると、”与える喜び、意味”を知るドイツの子どもたちはうらやましい。


この活動、weihnachten im schuhkartonと言って、訳すと”靴箱のクリスマス”

http://www.geschenke-der-hoffnung.org/weihnachten-im-schuhkarton

17年前、イギリスの夫婦が提唱しTV番組で、ルーマニアに医療品や食料を送ったことから始まった活動。ルーマニアは当時はチャウシェスク政権崩壊の混乱期にあったはず。


キリスト教の最大の行事、クリスマス。宗教にルーズな日本のことは、今さらあれこれ言わないけど、あまりにも商業的な行事が、当のキリスト教国圏でこれほどまでに盛り上がるのか、以前から不思議に思っていた。クリスマスの起源は、聖ニコラウス(セイント・ニコラウス→サンタクロース)、クリスマスに夜に貧しい家庭に贈り物をした・・・・・うろ覚えなので、詳しくはWikipedia で。

社会は思ったほど平等ではなく、持つ者、持たざる者、富める者、貧しい者が多く居る。経済が発展しても、その恩恵に預かれない人はいつの時代にも居る。自分が幸運なことに、持つ者、富める者の側に居ることが出来たならば、そういう立場に居ることに感謝することと、持たざる者、貧しい者のことを考えることが大事、できるならばそういった人たちに何らかの行動をすることが、このクリスマスのある意味なのだろう。


”欲しい”を満たす、のではなく”与えられることに感謝する”のがクリスマスと言うことなのかな。


オスカーワイルドの『幸福の王子』に出てくる銅像の王子とその王子を助けるツバメは、まさにクリスマスの意味を教えてくれる。世界中に王子やツバメが増えるといいな、ドイツの子どもたちのような。