ACミランと、浦和の試合が思いのほか面白くなかった。というより、アナウンサーが繰り返し連呼する「日本サッカーの歴史的瞬間」「カカの第二の故郷山形」「Jのお荷物といわれた、あの浦和が・・・」のフレーズにうんざりして、チャンネルをかえた。そして、思いがけなく、金八先生を見てしまった。
校内暴力が、テーマだった頃に比べると、生徒が、幼く、最近の金八先生は、見る気がしなかった。が、昨日見てびっくり。
学校内で、同級生、下級生に金貸しをしている少女が主人公。30%という、闇金顔負けの利息。そんなわけで、学校の裏サイトには、彼女の悪口ばかり。友情より金と言ってはばからない彼女。その裏サイトに侵入してきた男の甘い言葉に誘い出され、少女は、男のマンションに連れられる。実は、その男、少女相手に猥褻行為をし、そのビデオを商品にする悪いやつ。毒牙にかかる寸前に、金八先生、同級生に助けられるという前半。
仲間に助けられ、これで少女も改心・・・・・・・。というわけには行かず、少女は、こんな事件があっても、平気で、また、せっせとお金稼ぎに勤しむ。小さな町工場で、お互い、ののしりあいながら汗水たらして働く両親のシーンと、少女が、あんな大人になりたくないという、物寂しいエピソードが入る。
お金儲けの方法は①従来どおりの金貸し、②10代向けの商品サンプルモニター、③下級生に対して、中間、期末テストの過去問ファイルをメールで売買。少女の机の上には、糸山英太郎の『金儲け哲学』をはじめ、書店に並ぶ、お金持ちになるには・・・系の本が何冊かあり、一丁前に自身の金銭哲学を披露する。
校内で、金貸しをしていた事実を金八先生は知り、また彼女が、裏サイトでいじめられていることも知る。校内で、金貸しをしていたら、迷わず鉄拳!と、一昔前なら、なりそうだけど、金八先生は、頭ごなしに、叱ったりしようとしない。教師を長いことやって、人が丸くなったという設定なのか、最近の子供は、頭ごなしに叱るのではなく、理を詰めて、心底納得するように、諭さないといけないという風潮を番組作りにとりいれているのか、金八先生は、次の授業で、お金について、生徒の考えを変えようと試みていく。
生徒一人一人に、いま自分が一番買いたい物、欲しいものを、取り上げさせる。次に、お金では買えない大事なものを取り上げさせる。友情、愛情、幸福、命とか。再び、最初に採り上げた、欲しいものを見て行き、その欲しいものを、分解し、実は、共感してくれる仲間、他者に認められること、人からの信頼、愛されることといった、根源的な欲求を生徒に見つけ出させる。実は、お金持ちになって、お金で買いたいと思っているものは、お金では買えないものなんだよ、ということを悟らせる。最後に問題の少女が、お金で買いたい物は、白紙で、お金持ちになりたいという心の矛盾を自分自身がよく知っているんじゃないかという、オチになる。
加えて、わいせつ男に、うかうかと誘い出されたのは、片時でも自分に同情を寄せた人間、その同情を求めていたんじゃないか、と、少女の人間性を拾い上げて、やさしく、気付きを与えてやる金八先生。天晴れ!そして、少女は滂沱の涙。
何となく先の見える展開だったが、単純な私は、素直に感動。私が先生だったら、大人たちの拝金主義をまねる子どもたちに、その矛盾を突いて、間違っているんだよ、なんていうことを論理的に、整然と説明することなんて不可能。
頭が、ACミランから、わいせつ男の毒牙、学校裏サイト、金貸しの少女、事件の報道に隠ぺい工作をしようとする教師・・・・・・・・次から次に場面が変わり、何を、どう説明したら、子どもたちに教師らしいことを出来るのか、混乱する一方。私が、教師で、この番組を見ていたら・・・・と思うとゾッとする。
金八先生の脚本は、小山内美江子さんという、すばらしい女性だった。今は、清水有生さんという方らしいけど、この人もうまい。全国の中学の先生も、同じような問題にぶつかっているはず。でもみんながみんな、うまく対処できているとは限らない。子どもたちに、納得させる文句を考えている内に、うやむやになってしまった、なんて先生も世の中には多いはず。清水さんのような名脚本は、現実の教室には難しいし、ましてや、子どもたちが心底理解する筋書きは期待できないかもしれない・・・・・・。
そして、それを、物語るかのように、番組の最後に、これまで以上に、金貸しに精を出す少女が映る。金八先生も「わかってないなあ」とぼやく。
数年前の、ホリエモンや、村上ファンドの村上世彰を、利益主義、拝金主義で良いのかと、マスコミ、世の中は糾弾したけれど、「お金儲けのドコがいけない」を否定しきれない社会。昨日の金八先生の論理くらいでは、誰も納得しない。地球温暖化防止のCO2削減も、いつの間にか排出権ビジネスとして金融商品の目玉としてビッグマネーがてぐすね引いている社会。携帯電話や、ネットを通して、子どもたちからも、お金を吸い上げる巧妙な社会に対して、金八先生という一教師の戦いは、あまりにも孤独な感じがする。「日本という国で、教師になるということ」は、過酷な選択だと思う。
アナウンサーのしゃべりは邪魔だったけど、ACミランの選手は、慌てて出した、速い雑なパスでも、吸い付くように足元でコントロールするなど、小さなプレーの中に、世界最高レベルが詰まっていて、見ごたえがあった。浦和も健闘したけど、今一番がんばって欲しいのは、やはり金八先生。金八先生のような先生は実際には居ないよ、とは言うものの、改めて、金八先生のような先生が、一人でも多く居てくれればと、願っている。
金八先生にバロンドール賞を!