OECD(経済協力開発機構)の2006年国際学習到達度調査(略称PISA)の結果が出た。
日本は、
「科学的応用力」・・・・・・・2位から6位
「数学的応用力」・・・・・・・6位から10位
「読解力」・・・・・・・・・・・・・14位から15位へと全分野で順位を下げた。
となった。調査対象の15歳が、ゆとり教育真っ只中世代ということもあり、文部科学省は、学習指導要領の早急な変更、授業時間の拡大など、あたふた状態。
年末に、OECDのPISAの結果で、文部科学省があたふたするのが、冬の風物詩になりそう。
この、PISAで上位にいる北欧諸国の中で、特に、フィンランドの義務教育制度が優れているといわれている。教員の養成過程、習熟度に応じて6年、7年の小学校の期間を選べる、授業内容については地方自治体、学校に大幅な裁量権が委ねられている等、いろいろな特徴がフィンランドの教育の優位性を支えていると見られている。小学校の授業時間は決して多くない。低学年では週に19時間。5年、6年になっても24時間。安易に授業数を増やすことばかり考えている文部科学省は焦点がずれているのかも。
毎週『クイズヘキサゴン』を楽しみにしている。「おばかさんタレント」と、言われつつも、どこか微笑ましく、さらに最近では人気も出てきたスザンヌちゃんや上地君。彼らが立派に食べていける芸能界って、改めてすごいところだと感心している。
この出演者が解く、面積、時速の問題、値引きの計算問題の思考過程を見ていると、どこで、勉強につまずいているか、よく分かる。「算数は、解からなくなった所まで、遡ればわかるようになる」と言われる。風邪で学校を休んで、たった1回、授業を出なかっただけで、みんなが自分よりも遠くに行ったようで、怖かった思い出がある。とにかく継続性が重要なな科目。
出演者の考え方は、突飛で面白いのだが、間違ったり、解からない事は全然恥ではない。わからなくなったことよりも、わからないままにした教育に問題がある。たくさんの生徒を抱えるため、解からない子にかまっていられない。学習指導要領の予定通りに学習を進めないといけない。あるいは、単純にさじを投げた子や、解からないでいることに気付いてやれなかった先生もいるかもしれない。生徒も、解かっている振りをしてしまうこともあるだろうし、そういった置いてきぼりを食った生徒が、たくさんいると思う。
爆笑回答をよそに、彼ら彼女らの担任だった先生は、茶の間のTVの前で懺悔していることだろう。
今年、4月、何十年ぶりに行われた、全国一斉テストの結果、応用力が低い、とTV新聞は報道していた。(でも考えてみれば、基礎より、応用が低いのは当たり前だと思うし、低下しているなんて、一回しかやっていないので言えないはずだと思う)
この結果を受けて、応用力や文章問題の読解力を上げていかなくてはいけないと、TV新聞は結論付けていたけれど、実は、基礎中の基礎を勉強させること、しかも、脱落者を作らないことが、大事なのではないかと思う。ヤンキースの松井が、試合前に、ひたすら基礎練習をするのは、つとに有名。基礎が完璧に身についてこそ、応用が出来るというのはスポーツ以外の世界でもよく言われること。
そのため、基礎の段階でつまずいた生徒を無くすことがこれからの教育の重要政策になると思う。「3学期終了時点で教えきること」という教える側が、一通りの責任を果たすことより、少々習い残しがあっても「理解していないところが無い状態」という、教えられる側の立場に立った教育の仕組みが必要。もちろん習い残しがあったら、次の学年で、そこから勉強できるように、むやみやたらなクラス替えはしない。小学校と中学校で、継続性を持たすために小中一貫校にする等補助的な仕組みがあってこそ。
学校教育の専門でもない私が思いつくくらいだから、誰かこういう提言をしている人がいるだろうけど、TVから聞こえるのは授業数増加ばかり。PISAの結果に振り回される現状も異常だとは思うが、21世紀の日本人が教育に失敗してきたのは明らか。ナントカしなくちゃ。これを宮崎弁で、「ドゲンかせんと」というのかな。