『大菩薩峠』  | 元広島ではたらく社長のblog

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六本木ヒルズや、ITベンチャーのカッコイイ社長とはいきませんが、人生半ばにして、広島で起業し、がんばっている社長の日記。日々の仕事、プライベート、本、映画、世の中の出来事についての思いをつづります。そろそろ自分の人生とは何かを考え始めた人間の等身大の毎日。

『大菩薩峠』 第2巻 中里介山 ちくま文庫を読んだ。


dabo

めぼしい時代小説は、あらかた読んだので、とうとう、未完の大作、『大菩薩峠』に手を出してしまった。


主人公、机龍之介の秘剣「音無しの構え」から繰り出す冷酷無比な殺人剣が、様々な人の運命を変えていく。たくさんの登場人物、その人々が縦横に織り成すタペストリーが、幕末混沌の日本に様々なドラマを生み出していく。著者中里介山は、この小説の主意として「人間界の諸相を曲尽して、大乗遊戯の境に参入するカルマ曼荼羅の面影を大凡下の筆にうつしみんとする」とある。まだ読み始めたばかりの私、この言葉の意味がわかる日が来るのだろうか?


作品は、大正2年から、断続的に敗色濃厚な昭和19年の4月、病に倒れるまで断続的に書かれた作品。大正デモクラシーと、世界大戦、大陸への侵攻と、太平洋戦争という時代背景の中で、自身も深く傾倒した社会主義思想が、色濃く作品も表れているという。仏教的な世界観、思想と、社会主義的理想が綾なす壮大な物語であるという。幕末を舞台にした剣豪小説以上のもの、読み尽くさんと、私も真剣勝負の最中。


第2巻では、天誅組に参加し、こと破れて逃亡する机龍之介が、罠にかかり、火薬の暴発で、失明してしまう。私も主人公の気持ちで、聴覚に頼った生活を想像して読み進んだ。風の音、滝の音、虫の声、そして忍び来る敵の気配と色々想像してみた。気分は市川雷蔵。

しかし、ふと思った。ほとんど人工の音がしない江戸時代と比べると、今は、音があふれすぎる時代。しかも、最近だったら、あらゆる種類の携帯電話の着信音、マナーモードの振動、携帯音楽プレーヤーから漏れる音が、あふれ過ぎている。もちろん眼の見えない人、弱い人は、現代にもいる。聴力を頼りにする人には、あまりにも無頓着な時代。巨大な利益を貪り食う携帯電話会社、メーカー、そのCMを流すメディア、眼の見えない人、弱い人のことを、考えたことがあるだろうか?(私も、机龍之介が失明するまで思いつかなかった、すみません)


こういう連中はみんな、「音無しの構え」のエジキじゃ!