昨晩、引退が決まっている広島カープの佐々岡投手の最終登板試合があった。
地元最終戦でもあり、NHKの粋な計らいで、TV中継があった。全国放送ではなく、広島地方のみのはずで、県外のカープファンの皆さんには残念。
初回からカープが大量点。長い試合時間になると思いきや、10対0でも、あっという間に最終回。TV中継は、8時45分まで、神様の配慮か、8時35分頃に、2アウトまでこぎつけ、最後のバッターに対して、佐々岡投手の登板となった。
相手は、現在セリーグホームランキング、横浜の村田、アナウンサーの話では、「いろんな球種を投げたい、最後は直球勝負で三振を取りたい」と、試合前にコメントしていた佐々岡、ボールが先行し、1-3となった後の直球がやや高めのボールだったものの、村田の一振りで、レフト上段に、ホームラン!
10-1、勝敗には関係ない1発。何となく、打った村田も、球場もばつの悪い雰囲気。(後から、知ったが、村田は、泣いていたらしい)
ここで、びしっと抑える力があれば、引退はしないだろうから、勝負は甘くないなあ、とつくづく思い知らされた。最後の登板、いろんなシナリオが考えられtけど、これは予想外。
気を取り直して、次の打者、鈴木。放送時間が残りわずかというところで、これも神様の配慮か、3球三振で、ゲームセット。引退セレモニーは無理でも、なんとかぎりぎり最後まで映った。
という試合でしたが、この試合で気になるシーンが一つ。
最終回の登板前に、マウンドに向かうため、ダグアウトを出る佐々岡投手。近くにあるコンクリートの柱にある、茶色いプレートに手を触れて、ダッシュ。大き目の板チョコのようなそのプレートは、アナウンサーの解説は無かったけど、知る人ぞ知る『津田プレート』。
ケガや、病気と戦いながら、広島カープ全盛時代に活躍した津田恒実投手を顕彰した記念プレート。若いカープファンは、聞いたことが無いかもしれないが、91年に脳腫瘍(当時は別の病名で発表)で、引退し、数年の闘病生活の後、93年32歳でこの世を去った投手。山口県出身、入団会見で、「巨人をやっつけたい」と、大きなことを言っていた記憶がある。大活躍、スランプ、手術、カムバック、スランプとジェットコースターのような選手生活。91年の開幕直後の巨人戦を大乱調で終え、そのまま、それが最後の試合となった。
91年はカープが優勝した年。その優勝を知っている投手は、今回引退した佐々岡選手のみ。島根出身で、津田選手と同じく、子どもの頃から、カープを好きでいてくれた。(巨人の二岡、西村、大阪桐蔭の中田翔が、他所に行くのに比べたら・・・・・。言ってもしかたない愚痴だけど)
佐々岡選手が、最後の登板直前に、触った『津田プレート』は、これから、津田に会ったこともなければ、優勝した経験も無い選手に受け継がれていくことになる。津田を知る時代が終わり。佐々岡を知らない時代が始まるカープ投手陣の分水嶺の時かも。カープにとって象徴的な”一瞬”だったかも。
子どもの頃、「カープが昔万年Bクラスじゃったなんて、信じられんじゃろう」と、言われたが、今は、「昔のカープはいつも優勝争いしよったんで」と言うと、信じられないの返事。今の万年Bクラスを懐かしむ時代が来ればいいけど。
さあ、佐々岡選手引退は、それとして、新しいカープになってもらいたいもの。来季はがんばれカープ。
それにしてもNHK。「津田プレート」を触る、一番の劇的な場面を素通りとは、もったいない。
追加
カープと共に黄金期を迎えた西武ライオンズ、その時代を、捕手、監督として支えた伊東監督が辞任した。カープより長くその地位にとどまったが、西武、堤オーナーの事件と共に親会社の凋落、松坂の流出と、今春には裏金問題と野球とは違う理由で、存亡の渕に立たされている。広島カープにとっては、日本一を2度も阻まれた球団。2チームが日本一を争うなんて今では限りなくゼロに近い確率だけど、再びあい見えんことを!