ミャンマー:民主化運動についてあれこれ | 元広島ではたらく社長のblog

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六本木ヒルズや、ITベンチャーのカッコイイ社長とはいきませんが、人生半ばにして、広島で起業し、がんばっている社長の日記。日々の仕事、プライベート、本、映画、世の中の出来事についての思いをつづります。そろそろ自分の人生とは何かを考え始めた人間の等身大の毎日。

ミャンマー(旧ビルマ)で、反政府活動をする僧侶の弾圧を機に、民主化を求めるデモが拡がり、鎮圧に乗り出した軍が市民に発砲、日本人を含む死傷者が多数でた。



80年代末、民主化運動のリーダーは、アウン・サン・スーチー女史だった。民主化運動は、功を奏したかに見えたが、逆に軍のクーデターを引き起こした。二転三転の、その後、軍が、政権を敢然掌握し、国名もミャンマーに変えられた。当時ニュースステーションのキャスターだった久米さんは、その暴挙に講義して、「国名はビルマで報道します」といっていた。が、各国政府とも、軍事独裁政権に形だけの抗議になったように、TVもマスコミも。ミャンマーという国名を使い、その圧政を含めて半ば公認状態だった。

その後、スーチー女史は自宅軟禁に置かれる。京都大学に在籍していたこともある女史は、当時の京大教授の恩師、矢野暢(晩年は不遇な事件の渦中にあったが、高坂正尭さんと共に好きな政治学者だった。)の推薦もあり、その後、ノーベル平和賞を受けた。


ちょうど、大学で政治学を学んでいた私は、東南アジア政治専門の鈴木祐司教授の特別講義を受けた。ニュース番組で解説もされる低い声と日に焼けた顔が渋いかっこいいオジサン。そこで、先生は、明快な論理のもと、「一つの軍事独裁政権が、開発独裁政治を進めると民主化する蓋然性」のようなことを講義された。それは。以下のようなものだったと思う。


① 軍事力を背景に弾圧的な政治を行う。

② 国民に不満が生まれる。

③ 政治的自由は与えないが、経済的な恩恵は漸次与えなくてはいけない。

④ 不満を押さえ込むために、経済政策を充実させる。(資源豊富な国であれば外国資本を使い開発)

⑤ 裕福な階層、中産階級が生まれ、政治的発言力が強まる。

⑥ 裕福な階層、中産階級はやがて政治的な自由を求める。

⑦ 政治的自由は、相変わらずダメだが経済的な自由は与える。

⑧ 資本がある者、企業、裕福な階層が成長し、政治的発言力はさらに高まる。

⑨ 経済的な発展・市民の政治発言力の拡大が連鎖し、軍事政権はやがて歴史から退場。


というようなものだった。第2次世界大戦後、日本軍や、旧植民地から独立を勝ち得た東南アジア諸国、対共産主義の防波堤とするアメリカの公認のもと、民主的な政府より、軍政を敷いた韓国、フィリピン、インドネシア等も、鈴木教授の言うように、少しずつではあるが、民主化されていった。軍事政権は自ずと民主化への種子を内包する、という論理に、感激してしまった。(私の勘違いの理解かもしれないが)


その後のロシア崩壊では、海外のメディアを利用した、インターファクス通信、今回のミャンマーのデモでは、インターネットが、さらに活躍した。上のプロセスの、経済を情報に置き換えてもいいかもしれない。


軍事独裁政権は、いずれは地上から無くなる運命。頭の中に、そういった認識があり、ミャンマーも北朝鮮も、アフリカの国もいずれは・・・・と思っていた。日本を含めて、各国政府が、こういった国に対して、積極的な外交政策をせず、熟れた果実が落ちるのを待っているのもある程度納得していた。

しかし、人間には寿命がある。遠い先の民主化より、今、自分の人生において自由を勝ち得たいと思っている人はこの地球上たくさん居る。せめて自分の子どもたちには、圧政の元、惨めな生活は遅らせたくないと思っている人が多く居る。


今回のデモはミャンマー市民が世界に送ったSOSだと思う。福田新首相のお父さん福田赳夫元首相は、アジアの平和をよく口にしていた。それは、第2次世界大戦後、途絶状態だった東南アジアに戦後処理を含めて、日本を再認識してもらうことだった。息子である福田康夫新首相、昨日の所信表明からは何も聞き取れなかったが、ミャンマーに事なかれ主義で、当たることだけは無いようにお願いしたい。

マスコミも、もうしばらくニュースで採り上げて、終わり、ということにならないように。