前回の続き
昭和17年8月、東のアメリカ、北のソ連に対峙する北部軍の司令官として、札幌の月寒に着任した。昭和17年8月は、連戦連勝だった日本軍が、6月にミッドウェイ海戦で負けて、空母4隻を失い、ここから負け戦が続く、その名の通り、戦争の折り返し地点となる時期。
8月からは、ミッドウェイ海戦で制海権を失ったにもかかわらず、ガダルカナル島を無理に占領しようと、多くの命を犠牲にする戦闘が始まる。
南のガダルカナルと同じような戦略地点となる、北太平洋で、アメリカ軍の最前線に位置するのがアリューシャン列島のアッツ島、キスカ島。樋口着任当時は、占領したのは、いいけれど、遅々として進まない飛行場建設、不十分な兵士の配置、食料、武器弾薬の補給もなく、中途半端な状態に置かれていた。そして、いつ米軍が来るやも知れずという状況にあった。
樋口の最初の仕事は、参謀本部に、「増援しからずんば撤退」と進言することだった。「撤退」という単語を使うこと自体タブー視している大本営で、またまた樋口は物議をかもした。が、この具申は功を奏し、北海道の北、樺太、占守島、幌筵島といった千島列島に置き去りにされた北海支隊を吸収し、内地からさらに兵力が増援され、北部軍から、北方軍に名称変更され、10万の兵力で日本の北の守りは樋口に一任された。
昭和18年2月、キスカ、5600名、アッツ、2520名が配置。4月アッツ島守備隊長に山崎保代大佐が着任。同じアリューシャン列島のアムチトカ島から来る爆撃機により、飛行場建設は遅々として進まず、そこまで、米軍の足音が聞こえてくる状態だった。
と、永遠に、書いてもしょうがないのだが、5月12日、米軍侵攻。樋口は、「アメリカ軍侵攻近し」を進言するために安藤参謀をちょうど、大本営に派遣していた。増強部隊の進言が、「アッツ島に米軍来襲」という急報により増援部隊の進言に変わり、大本営もようやく、本格的な増援部隊派遣ゴーサインを出した。
しかし、すべての出動準備を終えた20日、大本営は、作戦中止を決定し、アッツ島は、見捨てられることになった。作戦中止理由は、海軍の協力が得られなかったこと。ミッドウェイ以後、船舶の窮乏激しい海軍は、虎の子の護衛艦、輸送船を使うことに神経を尖らせていたこと、石油の備蓄がどんどん減っていること、また、ブーゲンビル島で、山本五十六をはじめ連合艦隊首脳が亡くなったことの混乱から、アッツ島救出作戦に二の足を踏んだと分析している。
増援部隊が来ると信じて戦っていた山崎守備隊長は、21日、作戦中止の通信を受け、22日返電。恨みがましいことは一切なく、今後の戦闘報告を敵の戦法中心にし、爾後の戦闘に役立ててくれと報告する。そして、5月29日敵陣に突っ込み最後を迎えた。
山崎大佐は、部下思いの誠実な人柄、最後の返電まで、余計な虚飾のない自分の職務に忠実な人。たとえそれが死ぬことであっても。平和な時代に生まれた私の言葉では到底表現しきれようもない人たちがたくさん死んでいった。
自分が艦船を持っていれば、命令を破ってでも、部下を助けに行ったに違いないが、樋口は、作戦中止命令をのむことしか出来なかった。しかし、その条件として、キスカ島撤収を大本営に突きつけた。撤退、撤収をタブー視し、一切の後退を認めないであろう大本営だったが、アッツ島を見捨てた手前、樋口の進言を容れた。このタイミングをはずしていれば、キスカ島も、撤退はないが増援もないという同じ状況になることは容易に想像できた。アッツ島救援作戦中止とキスカ撤退を同時に大本営に認めさせたのは、やはり、最高の戦略家であると共に、政治的素質も充分にあった人のようだ。その後、キスカは、制空権、制海権を抑えられながら「太平洋戦争の奇跡」といわれる鮮やかな撤退劇をやってのける。
キスカ撤退が7月29日。9月29日には札幌でアッツ島玉砕者2600名の合同慰霊祭が行われる。本には遺骨のない白木の箱2600柱を抱える学徒の列が載っている。
島嶼における玉砕は、サイパン、グアム、テニアン、硫黄島と続く。石油の枯渇、失われていく艦船、武器弾薬、人命。十分な訓練を受けていない新兵、一般人まで投入し、ばかげた戦いは続いていく。
前線にあり、戦争そのもの遂行に対し、発言力を持たない樋口では合ったが、酷寒の島で生活する兵士のために、寒冷地に強い作物の種を送ったり、東京から、軍の慰問団(お抱え芸能人)を度々呼び、兵士を慰労したり、作家、吉川英治に直接掛け合い、兵士のために、当時紙がなく入手不可能だった「三国志」「宮本武蔵」の本を分けてもらったりと、部下思いのエピソードは尽きないよう。
関東軍で満州事変を演出し、日中戦争には不拡大方針だった石原莞爾と同期。226事件、相沢事件の青年将校にも信頼されていた樋口。ノモンハン事件に際しては参謀本部第2部で的確なソ連の情報分析をし、「オトポール事件」後も、東条英機(樋口の4期上)には一目置かれていた樋口。この人が、戦争中、北部軍でなく、中央に、もし居れば・・・・・・・と考えるのは、せんないことか。