『流氷の海 ある軍司令官の決断』 相良俊輔 光人社NF文庫を読んだ。
樋口季一郎は、旧日本陸軍の軍人。黒澤映画で有名な俳優志村喬さんと若いころは似ているよう。
樋口季一郎は、陸軍きってのロシア通、ロシア革命直後に、ハバロフスク特務機関長、ポーランド大使館付き武官、満州のハルビン特務機関長、太平洋戦争中は、北海道にあって東のアメリカ、北のソ連に対峙する北部軍の司令官を歴任した人。
樋口季一郎を語るとき、2つの大きな事件がある。「オトポール事件」と「アッツ島玉砕とキスカ島奇跡の撤退」である。
昭和13年、樋口が満州のハルビンで、特務機関長だったころ、ヒトラーの迫害を逃れて、シベリア鉄道経由でソ連満州国境の町オトポールに2万人の難民が立ち往生する事件が起きた。当時、ドイツと軍事協定を結んでいた日本に気兼ねした満州国政府が、入国を拒否し、零下20度にもなる厳寒の地で、食べるもの住むところもないまま死ぬ寸前になっていた。在満州のユダヤ人協会カウフマン博士の懇請を受け、樋口は、関東軍司令部に無断で、満州国外務部を動かし、満州鉄道に掛け合い、難民輸送列車を手配した。2日後、ハルビン駅に難民を満載した列車が到着し、十数人の凍死者を除き、2万の命を救うことになった。(この本、親父に借りたのだが、戦後南米で、「あなたは日本人か」と親しく言い寄ってきたユダヤ人が居た。もしかしたら、オトポールの関係者かと、走り書きがしてある)
「オトポール事件」の2ヶ月前、同じカウフマン博士のドイツで同胞が迫害を受けている事実を世界に知らしめたいという要請を受けて、ハルビンにおいて、第一回 極東ユダヤ人大会の開催を樋口は許可し、自らも講演した。「国を持たないユダヤ人に安住の地を」と。まだ、この世にイスラエルという国が影も形もない時代に、人類の課題であるユダヤ人問題に明確な発言をした樋口の先見性はすごいと思う。今のイスラエルでなく、満州にユダヤ国家が出来ていれば・・・・・他の問題も惹起したかもしれないが、中東戦争以来流された多くの血が、なかったのではないかと思う。
ハルビンに来る前ドイツに居た樋口は、ドイツの国内視察旅行で、山間部に奇妙な建築物があるのに気づいた。カウフマン博士の情報により、その建築物が、ヒトラーが『我が闘争』の中で言う、「血による問題解決」の場であると直感する。アウシュビッツ収容所をはじめとする毒ガスによるユダヤ人殺害等の事実は、多くが戦後に明るみになり、戦争中は、ほとんど知られていなかった。樋口も何が行われているかまでは知らなかっただろうが、その洞察力が、危険信号を感知し、一特務機関長の立場を超えて、ユダヤ問題に関する発言となったのだろう。
先見性、洞察力に加え、「弱きを輔く」義の心を持った人でもある。
「オトポール事件」直後、当然のように、ドイツから抗議書が送られてくる。暗に樋口の更迭を求める内容だった。樋口は、関東軍司令部に出頭を命じられた。当時の参謀長は後の首相東条英機。現代人であれば、東条=悪人というイメージがあり、樋口もただではすまないのではと思っていると、意外な展開が・・・・。ドイツの国策とユダヤ人の人命救助は別問題であること、日独の軍事関係とは別に日本が一国家として立つべきスタンス、そして最後に東条への皮肉を論旨明快に語った樋口に対し、東条は、「筋が通っている。中央には不問に付すよう伝える」との回答だった。実際どのようなやり取りをしたのか、今では不明だが、不問になったことだけは、事実のようだ。日本は伝統的にユダヤ人に友好的だったこと、今後の対ロシア戦略にはまだまだ樋口が必要だったこと等が考えられるが、樋口が自分の命を賭してやった行動に応えるだけの心を持った東条もまた武人であったと、筆者は分析する。
先年、ロシア革命直後のソ連国内を視察する幸運に恵まれた樋口は、極貧のグルジア地方で、一人の老人と出会う。この国でも迫害されているユダヤ人で、樋口が日本人であると知った老人は、「私たちユダヤ人を助けるメシアの存在を信じる。日本は、東の国、日の昇る国、その国の国王である天皇はきっとメシアであるに違いない、日本人もまた、世界中のどこかでユダヤ人が困っている時に助けてくれるに違いない」と、いわれたというエピソードを紹介している。
事実かどうか、今となっては、確かめようもないが、樋口が、ハルビン特務機関時代に独断で実行した極東ユダヤ人大会、「オトポール事件」の根底には、誤解であれメシアたる天皇の臣下として、日本人として、武人として、せずにはおれなかったのだろう。226事件の青年将校や、統帥権の名の下に独断専行した後の軍人とは違う理由の決断には、そういう、義の心、武人として心があったのだろう。
イラクで、日本人が人質になっても、自己責任と言い捨てる現代日本人では到底、達し得ない境地だろう。
軍人として、人の上に立つ者として、優れた洞察力、戦略眼を持ちながら、人間としての魅力にもあふれる樋口季一郎。
昨年映画で話題になった、硫黄島の指揮官、栗林忠道にしてもそうだが、軍人=悪のようなイメージにどっぷりつかっている現代人には、こういった人たちを知らないのは不幸だと思う。私を含めて。
イスラエル建国の功労者の名をきざんだ「ゴールデンブック」、そこに、ユダヤ人扱いとして名を載せる樋口季一郎と、「オトポール事件」の際、現場で指揮を取った安江仙弘大佐。しかし、この事実は、旧軍人であるためか、なかなかTVとかには採り上げられない。東条英機にしても違った一面があるように、樋口に負けず劣らずの優れた、そして人間味に満ちた軍人が多く居る。この本にも、多くの軍人が登場する。樋口の副官、参謀、隷下の部隊長なのだが、優れた上官樋口を得たことは、また、この人の下で死ねるならという思いも持たせ、実際、悲劇的な戦闘の中で散っていった命もたくさんある。
アッツ島玉砕の項は、いずれまた。

