パバロッティと、ミス・サラエボと旧ユーゴの行方 | 元広島ではたらく社長のblog

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六本木ヒルズや、ITベンチャーのカッコイイ社長とはいきませんが、人生半ばにして、広島で起業し、がんばっている社長の日記。日々の仕事、プライベート、本、映画、世の中の出来事についての思いをつづります。そろそろ自分の人生とは何かを考え始めた人間の等身大の毎日。

イタリアのオペラ歌手、ルチアーノ・パバロッティ氏が亡くなった。


世界3大テノール歌手の一人。日本にも度々訪れたが、オペラは正直あまり聞かない。そのパバロッティが、U2のボノ、ブライアン・イーノと歌ったのが『ミス・サラエボ』

http://www.youtube.com/watch?v=u4VM41immWI&mode=related&search =


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前半のつぶやくような歌声は、ボノが。後半の、盛り上がるメロディは、パバロッティが。パバロッティの声は、太く、大きく、重く、そして何より長~く続く。途切れないその声の伸びやかさに、衝撃を受けた。


この曲が出たのは、1995年。年頭から地震や、カルト教団の無差別テロと暗く、重苦しい1年だった。この年を思うと『ミス・サラエボ』が、パバロッティの声が蘇る。


『ミス・サラエボ』は、イギリスBBCのドキュメンタリーの挿入歌(だったと思う)。内容は、戦火の絶えない旧ユーゴスラビアの首都、サラエボで開かれる、ミスサラエボコンテストに出る少女たちを追ったドキュメンタリー。ソ連崩壊後、旧ユーゴスラビアは様々な民族紛争が再燃し、内戦状態になった。オリンピックの開かれた美しい都サラエボは瓦礫の山になった。そんな中でも、今が人生最良の時と、少女たちは乏しい物資の中、精一杯化粧し、着飾り、廃墟となった高層ビルから、狙撃手がうつ弾丸の中、建物の影から影へ走りぬき、会場に急ぐ。たとえ世の中が戦争であっても、どんなに物が無くても、命を奪われるような危険があっても、ミスの称号を得、異性の注目を惹きたいという乙女心には、そのおかしさ、いじらしさを超えて、泣きたくなってくる。


そんな映像を、パバロッティの声は優しく包み込む。


その後も、ユーゴにはNATOの空爆や、国家分裂、現在も難民や家、家族を失った人が多く居る。コソボ問題はいまだに棚上げ状態。ユーゴの戦災孤児を救うチャリティを開催したパバロッティと、それに共鳴したダイアナ元妃も、数年後世を去る。


戦火に追われたあるコソボの一家の様子を捉えた写真集がある。長倉洋海さんの『ザビット一家、家を建てる』


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お父さんが新しい家を作るのを、家族みんなで、手伝っている。もちろん、しっかり遊ぶことも忘れない。ケンカもするけどみんな笑顔。


少しづつでも世の中はいい方向に進んでいるのかな・・・・・。御冥福をお祈りします。