何気なくTVを見ていると、白黒で、太平洋戦争の戦闘シーン、瓦礫の街、震える戦災に遭った子どもの画像と、BGMに、スメタナの交響曲『わが祖国』が流れてきた。
通信教育で有名な、ユーキャンが、太平洋戦争の記録DVDを新聞折り込み広告と絡めて、大々的にCMで流していたみたいだ。
スメタナの交響曲『わが祖国』は、「ボヘミヤの河よ、モルダウよ、過ぎし日のこと・・・・・」と、合唱コンクールの課題曲を思い出す。また、国破れて山河ありの漢詩、平家物語、奥の細道の兵どものあと、荒城の月と、かつての栄華と、衰亡という日本人のDNAの琴線に触れる曲調とテーマで、しばし、戦争のことを考えさせられる。
しかし、先週は、ちょうど、吉村昭さんの『戦艦陸奥』を読んでおり、非情に考えさせられる部分があったので、違う感想を持った。
『戦艦陸奥』の取材は、昭和44年当時。戦争が終わって24年目。戦争の記録文学で、名を成していた吉村さんが、「戦争をなぜ書くか?」と言うところで、次のようなことを言っている。
死者350万人。太平洋戦争は、間違いなく、日本史上最大の事件だった。
日本には、固有の思想というものが無い。仏教、儒教から、西洋の自由主義、資本主義、社会主義・・・・・。
太平洋戦争は、何かしら日本人が、思想を生み出す得がたい機会だったのではないか?
しかし、様々な人が、様々な分析しているにもかかわらず、何かの形になることは無いようだ。
それは、人間が、過去を美化するという性質を持っているからで、あの戦争を郷愁と共に、懐かしがっている向きすらある・・・・・。
と、真剣に、あの戦争とは何か、旧日本軍の組織がもつ不条理を考えて考え抜いて言葉を紡いできた吉村さん、その一方で、単なる懐かしさで、終わらせてしまう人がいることに、やるせなさを感じていたのかもしれない。
太平洋戦争のDVDのCMにスメタナの『わが祖国』も、そうだし、ここ数年の、戦艦大和、人間魚雷回天、特攻隊の映画なんかもそう。最近の戦争映画はさらに「泣ける映画」ねらいということで、非情に寂しい。
特攻隊の映画、「俺は、君のためにこそ死ににいく」は、製作総指揮が、石原慎太郎都知事。石原さんも、理屈、思想より、郷愁が先立ってしまう人かもしれない。(最近は、特攻隊どころか戦争すら知らない若い人が多いから、まずは、そんな人を振り向かせるために作ったんだろうけど。)
8月6日の広島原爆の日から、来週の終戦記念日まで、TVを中心に戦争の特集が多く組まれる。核兵器の威力、象のハナコ、アメリカの情報収集能力、東京大空襲、東京裁判・・・・・・・。いろんなかけらを集めてみても、あの戦争を解かるようで、わからない。わからないから、ハンカチで涙を拭いて、終わりにしてしまおう。という、あやうさを感じる?
CMの太平洋戦争のDVDの監修は、半藤一利さん。司馬遼太郎さんの担当編集者をされていた方。司馬さんの太平洋戦争に関する考えは、自身が体験したノモンハン事件によるものが多いとしながら、ほとんど語られなかった。CMの『わが祖国』は、ともかく、あのDVD買ってみようかな。