ローマ帝国 3代皇帝 カリグラの話
カリグラは通称。本名は、ユリウス・カエサル・ゲルマニクス。
77歳の老齢まで皇帝の職責を立派に勤め上げたが、カエサル、アウグストゥスとは血がつながらず、しかも陰気な2代皇帝、ティベリウスと違い。国民に圧倒的な人気のあった、故ゲルマニクスの子ども、カリグラが24歳の皇帝になったことは、国民に新しい息吹を感じさせた。
父ゲルマニクスが、ゲルマン民族との戦いの最前線に幼児の頃から、軍団兵にかわいがられていた新皇帝。みんなが知っているあのかわいい子が皇帝になった。カリグラは、軍団兵が子供用に作り変えた軍靴、カリグラ(小さな軍靴)を履いていたことで生まれた愛称。期待が新皇帝に集まったのだが。
カリグラがまずやったことは、先帝で不評だった政策を全て辞めること。つまり人気取り政策を実施した。
1 国外退去の政治犯の赦免
2 恐怖政治(ティベリウスの)の元凶、情報提供制度の廃止
3 中央政府の要職の選出機関を元老院から市民集会へ移行
4 不評な税金の廃止
5 プリンチェプス(皇帝のこと)は、ローマを離れてはいけない、元老院集会にも参加する。
などなど、ティベリウスと全く逆のことをした。
また、剣闘士や、演劇、体育競技会も奨励し、派手で分かりやすい政治をした。晩年、2代皇帝ティベリウスと6年間一緒に過ごしたカリグラは、不人気で惨めな皇帝にだけはなるまいと、思っていたのではと塩野さんは分析する。
しかし、カリグラは暴走をし始める。次期皇帝と見られていたティベリウスの孫、ゲメルスを殺し、神像と同じ服装、派手な土木事業、火災に夜被害は国家が全て補償、ゲルマンと、ブリタニア最前線巡業と就任3年で国家財政が破綻する。様々な金策の末に辿り着いたのは、「国家反逆罪」で、処刑された者の財産は国家が没収というルールを使った、恐怖政治の復活。また、従来のユダヤ教許容政策を変えたことに発する属州ユダヤでの騒乱、事実上の属国、北アフリカのモウリタニアでの反乱と帝国のあちこちでカリグラの失政がほころびを生む。
そして、近衛軍団、大隊長、カシウス・ケレア、同じく大隊長コルネリウス・サビヌスによって殺害される。3年と10ヶ月の治世だった。みんなが愛してやまなかった可愛いカリグラ。このカリグラを戦場に居た、子どもの頃から知っている2人の大隊長。その後2人は、反乱を起こすでもなく、従容と死刑に処されているところを見ると、帝国を救うため、あえて皇帝殺しの汚名を着たのだろう。塩野さんは、子どもの頃からいつも身近に居たケレア、独身で子どもの居なかったケレアは、父親に幼い頃に先立たれ、母とも縁の薄いカリグラを、自分の子の様に思い、その破滅を見るにしのび無かったのだろうと推測する。みんなが愛してやまなかったカリグラ、しかし、政治を運営する能力がないカリグラ。このカリグラ殺害を、市民、元老院、軍、ローマでは淡々と受け入れられたようだ。終身制である皇帝。選挙で落選という方法が無い以上、こういう結果が生まれてしまった。
後世、アルベール・カミュの小説や映画で、セックス・アンド・バイオレンスの権化として描かれ、私も、そのイメージが強かったカリグラに、最後に、人間的な視点を与えてくれた塩野さんに感謝。