17 『悪名名高き皇帝たち (1)』 その1 | 元広島ではたらく社長のblog

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六本木ヒルズや、ITベンチャーのカッコイイ社長とはいきませんが、人生半ばにして、広島で起業し、がんばっている社長の日記。日々の仕事、プライベート、本、映画、世の中の出来事についての思いをつづります。そろそろ自分の人生とは何かを考え始めた人間の等身大の毎日。

昨年、全15巻を刊行し終えた、塩野七生さんの、『ローマ人の物語』。王政ローマから、カルタゴとの死闘、様々な改革、カエサル、クレオパトラの登場、アウグストゥスによる帝政の開始と、読んできたが途中で中断。最近文庫本で刊行し始めたので、再開しました。


17巻は、2代皇帝 ティベリウスの話。


カエサルが構想し、アウグストゥスが、作り上げた皇帝制


拡大するローマ帝国。山積する難問を解決するのに、これまでの最高統治機構であった元老院では、迅速な決断、効果的な政策が決定できなくなっていた。単純に言うと、600人からなる元老院の衆議では、それぞれの利害や、名誉、様々な思惑で、機能不全に陥っていた。どこかの国会と一緒。

これを、一人の人間に、様々な決定権、つまり権力を集中することで、効果的に運用しようというのが、カエサル、アウグストゥスが考えた皇帝制。ただし、後世の我々が、イメージするような、西洋の絶対君主や、中華の王のような形ではなく、今のアメリカの大統領制のような政体で、唯一、カエサルの一族が世襲的に皇帝を担当していける大統領制が、ここに、始まった。

 (今の日本も、安倍さんが首相になって指導力を発揮するかと思えば、国会が足を引っ張る。身内の自民党ですら、安倍さんのやることに難癖付け、非協力的。大臣ポストをもらえなかった人はさらに敵対的。直属の教育再生委員会を作っても、文部科学省の官僚の厚い壁に阻まれ、どこまで出来るかわからない。日本の首相は、ローマ皇帝はいいなと、今日も、どこかで、ため息ついているかも知れない)


もともと王政から、元老院主体の共和制になったローマ帝国。世襲で一人が独裁的に統治することにはアレルギーがある。このため、後世の我々が使う『皇帝』という言葉の意味とは違い、皇帝に与えられた名称は、「第一人者」を表す「プリンチェぺス」、「ローマ全軍の最高指揮権」を表す「インペラートル」その他の権利に関する名称で、王政のイメージを喚起しないように工夫をしていた。一人に権力を集中させ、元老院がチェック機能を持つという、このあたらしい仕組みが、有効であることは、これより400年続くローマ帝国で証明されていく。

この時期のローマを、後世の人間は帝政というが、元首制の方が的を得た言い方。本当は、一人に権力を集中させたくないけど、集中させるほうが統治には向いていると、薄々気づいている元老院。絶対的な権力で統治したいけど、元老院の顔を立てて、呼び名にも気を使っているローマ皇帝。アウグストゥスが構築した帝政も、この時点では、まだ、どうなるか分からなかった。そこで2代皇帝、ティベリウスの登場となる。


前置きが長すぎたのでまた次回。


しかし、塩野さんの『ローマ人の物語』は、様々なことを教えてくれる。戦国時代や、幕末の話もいいけど、「義」や「情」という、計算不能の要素ではなく、物事を合理的に解決していく、ローマの賢人たちの言動に、現代日本の社会を立て直すヒントがたくさんある。『ローマ人の物語』に興味を示すきっかけになったかもしれない、世界史が履修教科から、意図的にはずされている日本の教育の現場。返す返すも残念。