月曜日に、療養生活を続けていた伯父が亡くなった。火曜日に通夜、昨日が葬儀だった。
年明け、病気が見つかったときは、手遅れで、5ヶ月と言われた。本人は最後まで治ると信じていたようで、仕事に行くといって聞かなかったそうだ。
伯父は、甲子園には出なかったものの、活躍が認められて、広島東洋カープに入団した。今年、巨人が、球団創設以来、5000勝を達成するかもしれない、といわれているが、負けも3500くらいある。そのうちの2つか3つは、伯父が黒星をつけた。新聞に「巨人キラー」と見出しをつけられたこともあり、今の、黒田のような、剛球投手だった。
カープの後は南海に行き、肩を壊し、実働5年で、選手生活を終わった。その後は、いろんな仕事をして、最後の最後でも、まだはたらく気で居たみたいだ。
通夜の夜には、久しぶりに親戚が集まり、代わる代わる、起きたり、寝たりして明け方まで、伯父さんの話をした。
伯父さんは、広島カープでは、背番号『20』。
この番号はその後、カープ黄金時代を支えた大投手、北別府学さんを経て、今は、押さえの切り札、永川勝浩に。今年の永川は、いい活躍をしていたが、この、土曜日、日曜日には、1点差で、出番を向かえ、2日続けて、さよなら負けを喫してしまった。おじが亡くなったのはその翌日だった。
永川!悪い運は、伯父さんがどっかにもってってくれたから、気にせず、もう一度、がんばれや!
今年は、打線が不調で、勝てそうな試合を何度も落としている。順位も、もうこれ以上落ちない位置に居座り続けているカープ。でも、また一ヶ月。もう一度、カープがんばれ、一個でも、二個でも這い上がってくれ!