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池袋フィールドのブログ

ライブハウス 池袋フィールドです。
アーティストとしても活動中の店長・山石敬之が
日々の出会いやエピソードを語っていきます。

17、8の頃から、人は夢を見始める。

何かに感動し、誰かに惹かれ、

ちょっと試してみたら、思いのほか行けそうだ。

周りからも誉められた。

自分の道はこれだ!ってなった。

大学入試は面倒だし、専門学校なら楽勝で入れる。

「夢への一歩」を踏み出した。

仲間も出来たし、輝く未来が待ってる気がした。

音楽専門学校を卒業し、あっさり諦める仲間達を見下しながら、

ライブハウスの世界へと飛び込んで行く。

 

こんな始まり方をする若いミュージシャンが多い。

詞も曲もそこそこ書け、唄も楽器もそこそこ。

でも周りの中じゃ優秀だ。

このまま行けば、きっといつかメジャーに上がれる。プロになれる。

そう思った。

そして誰もが数年して壁にぶち当たり、そこで立ち止まる。

「さて、どうしよう?」

 

ポイントが幾つかある。

まずは、スタート時の鍛錬だ。

スタート時は、皆必死に練習する。

暇さえあれば楽器をイジり、曲を書く。

暇だし。

ここで貯め込んだスキルで残りの音楽人生を渡って行こうとする。

となると、どこまでやったか、で後が決まる。

ウンザリするだろうが、私の時代の話しをすれば、

音楽に限らずだが、何か事を成そうって奴は、

だいたい小学校時代から始めている。

中学時代はひたすら練習、の時期だ。

高校に上がれば、仲間を見つけて「外」に出始める。

何人か自分の前を行く「ライバル」にも出会い、

負けるものか、と歩みを早める。

20歳の頃には、ほぼ「戦える」完成形になっている。

だが、それも勘違いで、いよいよ「プロの世界」の扉の前で、

改めて己の未熟さを思い知り、レベルアップを図る事になる。

「自己流」だったそれまでを、

「プロ・レベル」まで引き上げる時期だ。

これが25歳頃まで続く。

そこで身に付けたスキルで、

次々訪れるチャンスを勝ち取った奴が、

「プロ」になるのだ。

 

次のポイントは、「チャンスの作り方」だ。

私は、コンテストやオーディションに、とにかくチャレンジした。

知り合ったレコード会社のディレクターに、

しつこく曲を聞いてもらった。

それが高校時代から22、3歳まで続く。

私は、あるコンテストで「ベスト・キーボード賞」を取った。

また別のコンテストで優勝した。

それは各方面に「名を知らしめる」結果となり、

そんな中でチャンスは降って来た。

だだそれは意外な形の場合が多かった。

例えば、シンガーソングライターなのに、

サポート・キーボードとして仕事が来たり、

アニメの主題歌のシンガーのオーディションだったり、

アイドルに提供する楽曲のコンペだったり、

アニメやゲームのサウンドトラック作りだったり。

それまで自分が「用意」していたモノとは別ジャンルのチャンスだ。

だが、文句は言えない。

それら全てに対応し、それぞれで勝ち取らなくては。

そして「ブレイク・スルー」の扉は、そんな中に隠れている。

そこまでに身に付けたスキルが本物ならば、

それは必ず活きて、扉を開けてくれる。

降って来たチャンスは全部モノにするっていう心意気が必要だ。

そこで取り逃がした奴は、脱落するのだ。

 

こうして人は「プロ」になる。

 

言っておくが、私は決して「早熟」ではなかった。

回り道をしがちで、歩みは遅い方だ。

どんどん前を行く奴らに追い越され、焦りながらも踏ん張った。

はっきり言って、「25歳」でまだ行くべき道が見えてない者は、

諦めるべきだ。

結局バイトに明け暮れ、音楽にドップリな生活が出来ず、

結果、伸び悩む自分自身に苦しむだけだ。

元々、天才か、余程の脳天気な奴以外は、

アーティストなんて目指しちゃいけない。

学校では誰もが知ってる、エリアでは噂になってる、

くらいの奴が、プロになる。メジャーになる。

それ以外の者は、他の道を探そう。

道は一つじゃない。幸せの形も様々だ。

今回の表題の「夢を諦める方法」とは、

つまり今回のブログを読む、という事だ。

 

だが、ライブハウスを始めて、分かった事がある。

音楽や芸術は、プロになる以外の

「楽しむ」というアプローチもある、という事。

そんな事考えもしないで走って来たので、気付かなかったが、

自分の範疇の中で、精一杯を作り、仲間と共有して楽しむ、という人生もある。

そんな場所として、ライブハウスは機能しても良いんだな、と気付いた。

もちろんその中でもチャンスはある。

ただ、思い描いた「夢の形」は少し変えるべきだ。

自分のペースで自分を表現する。

分かってくれる人が一人でも増えてくれれば、それで良い。

焦る事なく着実に進めれば、やがて手応えは得られるだろう。

生き方を定めるのは、本当に難しい。

だが欲しいのは、自分の気持ちに合致する事。

絵空事を追いかけて苦しむより、

自分も含め、周りの人間を笑顔にする生き方は、

きっとある。

 

「夢」は残酷だ。

諦めないのなら、のたうち回りながらも走って行け。

一方諦める事は、負けだが、悪じゃない。

そして「誰かの夢」をなぞるのではなく、

自分流の夢の形を掴む事が出来れば、

夢はいつまでも追い続けられるかも知れない。

さあ、君はどっちだ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人が言われたくない言葉 No. 1 は「劣化」じゃないだろうか?

誰かにガッカリされる事を人は怖れる。

自覚があれば、尚の事「バレる」のが怖い。

無自覚なら、そのショックは計り知れない。

近親者が甘やかして「まだまだ全然大丈夫」とか言ってると、

傷は深くなる一方だ。

 

なのに何もしないで放置は何故?

そのままでも出来そうな気がしたんだよね?

無理だ。

少なくとも五十過ぎたら無理だ。

私はそんな仲間に杭を打ちたい。

甘えるな!

現実を見ろ!

出来なくても「まぁ、良いか」とか言ってるから、

誰よりも先に自分自身がガッカリするんだ。

割りと暇だよね?

何やってたんだ?

「あの頃」よりさらにもうちょっと頑張らないと、そりゃ無理さ。

だって歳取ったから。衰えたから。

「熟練」ってほどやっても無いし。

なのに出来そうな気がしたのは幻想だ。

で、ケツをまくるのか?

戦え!

過去の自分と。

今の自分と。

本当は全て分かってるだろう。

何を怠け、何をごまかし、何を避けて来たか。

戦え!

残りの人生は意外と長いぞ。

ず~っとその「言い訳」の中で暮らすのか?

ステレオタイプの「老人」を受け入れたく無ければ、

戦え!

やれる事は、いつだってあるんだ。

「結構やった」って?

で、今が満足なら良いけど。

でも違うよね?

確かに頑張った時期もあっただろう。

でも今はサボってるよね?

で、このザマだ。

 

「劣化」は避け難い。

受け入れつつも、抗うのが人生だ。

もちろん別の「パート」では結果も出し、

社会人として、家庭人としての責務は果たしたのだろう。

だが、自分自身が一番欲しい「自分の姿」はどれなんだ?

本当の自分って一体どんなだった?

自分自身への「責務」は果たしたのか?

そこから大きくかけ離れた「今」を、

簡単に受け入れるな。

今からでも大丈夫だ。間に合う。

取り戻そう、自分を。

取り戻そう、自信を。

取り戻そう、あの頃を。

簡単じゃないが、ポテンシャルは元々持ってるんだから。

 

人はどうしても自分を甘やかす。

それに年代は関係無い。

だがそれよりも「やりたい」や「在りたい」が勝てば、

努力は惜しまない。

小さくても結果が出せれば「次」へ向かう。

歩みを止めない。

若い時はそうやって頑張って来たはずだ。

だが「諦め」という風にあおられ、足を止めた時、

「劣化」への下り坂が始まる。

最終的には、思い通りにならなくなるのは分かっている。

「若さ」や「あの頃」にしがみ付き、足掻く姿は、

もしかしたら、みっともないのかもしれない。

諦めも足掻きも、決めるのは自分だ。

しかし「良くやった」と自分を誉めるのは、

きっとまだまだ早いだろう。

じゃないと、その後の「ガッカリ」が勝ってしまう。

 

「劣化」と戦おう。

いや、

「もっと上」を目指そう。

「終わり」を勝手に決めるな。

そこら中、まだやれる事だらけだ。

「若く」あろうとしてるんじゃない。

ただ「自分自身」であろうとしてるんだ。

 

 

 

見た目はイマイチだけど抜群に唄の上手い子がいた。

スッゲェ可愛くて、スタイル抜群のポンコツ・シンガーもいた。

地方から出て来てすぐの天才ギター弾き語り少女や、、

かつて地元じゃスターだったアーティストさんも。

そのまま行けば間違いなくスターダムに登れたイケメン男子や、

実力、才能兼ね備えた、だけど心を病んだ女の子も。

 

才能や環境や持って生まれた武器は人それぞれで、

だけど何もかもを兼ね備えた奴はいない。

皆、何かを掴んで生まれて来るが、何かが足らない。

それが当たり前だ。それが人だ。

それぞれ「持ちネタ」を活用し、どう戦うか、が人生だ。

足らない何かを埋めるために、頑張るんだ。

それが成長なんだ。

だが、結局皆、一様に上手く行かない。

どうしてだ?

どうして真っ直ぐ行けないんだ?

 

皆、風邪をひく。

ちょっとお腹を壊す。

それくらいの事だと思う。

 

人生は、特に20代中盤で博打を強いられる。

神様が意地悪に仕組むのだろう。

「金の斧と普通の斧、どっち?」的な。

「大きなつづらと小さなつづら、どっち?」的な。

後から考えると、答えは笑っちゃうくらいハッキリしてるのに、

皆、あっさり間違える。負ける。

もうちょっと頑張れば、踏ん張れば手に入るのに、

その直前で「小さな幸せ」に目が眩む。

それは誰かの「甘い言葉」だ。

水は低い方に流れる。

真理だが、ま、普通だ。あまりに普通だ。

やはり成功する奴は「普通」ではない。

ある意味、どうかしてる。

「鉛色の幸せ」などに興味がない。

 

人は不公平に生まれて来る。

生まれた場所、家庭の環境、容姿、体型、

そして障害、

もしくは才能の芽生え方も。

つまり不公平である事については「公平」だと言える。

何かが有り余り、何かが全然足らない。

何一つ持っていない、なんて事は逆に有り得ないのだ。

自分の持っているモノには無頓着で、

無いモノばかり求め、右往左往する。

実は贅沢な話しなのだ。

 

そこに有るモノで戦おう。

そこに持ってるモノでどうにかしよう。

君は恵まれてるんだ。

その事に感謝しよう。

「隣の芝生」的なツマラナイ事で、人生を歪ませるな。

「真っ直ぐ」行こう!

どう転んだって、それは君の人生だ。

好きにすれば良い。

本当に好きにして良いんだ。

だったら、君の心がず~っと言ってる「アレ」をしよう。

正しい事をしよう。君の人生にとって。

産まれた時に握り締めてた、手の平に在る「不公平」を

テーブルに上に乗せて、

そこには「やるべき事」も一緒に書いてあるだろう?

それを読もう。

人は皆、平等だ。

公平に不公平なのだ。

だから、面白い。

 

不幸を愛し、飼い慣らそう。

「ギフト」に感謝し、活かそう。

自分のため、家族のため、仲間のため、

自分自身を輝かそう。

神への文句は「グチ」くらいに留め、

手にした「武器」で人生と渡り合おう。

誰かを羨む必要はない。

大丈夫だ。平等だから。公平だから。

そして「道」は万人に用意されてる。

真っ直ぐ歩けば、それで良い。

ただ、真っ直ぐに。

 

 

 

 

 

 

 

 

芸術品は美しい。

研ぎ澄まされた感性が作り上げた物は

間違いなく美しい。

美しさとは、無駄が無く、しかし全てを満たしている。

美しさとは、繊細だが、力強い。

美しさとは、クールで同時にホットだ。

この「美しさ」という感性を持っている事は、

アーティスト、クリエイターにとって最重要だ。

 

よくスポーツを引き合いに出すが、

一流の選手は、どの競技においても皆一様に

フォームが美しい。

もちろん彼らにとって「美しさ」など意味は無い。

欲しいのは「勝利」だけだ。

勝利を追い求める姿勢が、無駄を排除し、必要を得る。

「機能美」と言っても良いだろうが、

過不足無く、最大限に力を発揮するために、

研ぎ澄まされた姿は必ず美しさにたどり着く。

元々美しさとは、そういうモノかもしれない。

簡単に言えば「ちょうど良い」だ。

だが実際にはそれが一番難しい。

美しさを求めればまずは「華美」に陥る。

自信の無さが「もっと」となり、どんどん余計に「足して」行く。

塗り潰す事で安心を買っているのだ。

化粧の濃い女性によく見られる。

あきらかに「ちょうど良い」を超え、

過剰になって見る物を「引かせ」る。

逆に「こんなもんだろう」で終わらせてしまう奴もいる。

もっと掘り下げれば、考えるべき事が幾らでもあるにも関わらず、

途中で、いや、入り口で「もう良し」としてしまう。

中身は浅く、薄く、味気ない。

これもやはり、美しくはない。

 

別の言い方をすれば、

歌唱についても言える事がある。

結構唄えちゃう人は、ついつい気持ちよく「張る」ばかりで、

細かいニュアンスや表現を求めない。

デカイ声で圧倒すれば勝ちだ、と思っている。

だがそれも過度であって、美しい歌唱ではない。

細部に宿る「美しさ」を探し求め、

丹念に一曲一曲を仕上げる繊細さが無くては、

「美しい歌唱」にはたどり着かない。

もちろん「力強さ」も大切なファクターだが、

ただ振り回すようなやり方では、勝負に負ける。

「強さ」は小気味好い「一刀」で充分だ。

 

結局人は、思った事しかしない。

考えた事しかしない。

発想の無い所に、行動は無いのだ。

「美しさ」を求める発想が無ければ、

その為の方法論を探らないし、工夫もしない。

たどり着く先のイメージが無ければ、

最初から「到達点」が無いのだ。

もちろんそれは「美しさ」に限らなくても良い。

「カッコよさ」「可愛さ」「儚さ」「不思議さ」などなど、

求める価値観があれば、当然そこを目指す。

たどり着きたいイメージがあれば、その為の努力をする。

どうすればそこに辿り着けるのか、地図の無い旅だが、

その「のたうち回り」が芸術を作り上げる。

 

「私はこう有りたい」を見つけよう。

「美しさ」を求めるのを私は勧めるが、

各々が有りたい、成りたいアーティスト像を持ち、

一曲一曲の細部で、表現したい「形」を持ち、

飽くなき探求をしてくれれば、それで良い。

それはもう面倒くさく、終わりの無い作業だが、

やればやればやるほど奥が深く、やり甲斐がある。

そしていつしか形を帯びる頃には、

楽しくて仕方のない作業になっているはずだ。

それが物事の「真髄に触れる」という事だ。

見える世界が変わり、進むべき道が現れる。

そう、

人生が豊かになります。

 

私は都立新宿高校出身だ。

10年前に卒業30周年の同窓会があったが、参加出来ず、

それでもその後クラスだけの集まりには参加し、

それ以来同窓生との繋がりが出来た。

今回、卒業40周年の同窓会が行われ、参加して来た。

 

正直私が通ってた頃の新宿高校は好きにはなれなかった。

地域で「2番目」に優秀な都立校で、

そこに集まったのは私も含め「2番目」ばかり。

プライドは高いが、実力が常に「ちょっと」足らず、

せっかくの学業以外の才能は、伸ばすチャレンジには走らず、

「そこそこ」の所で満足する学生たち。

突飛な事や、枠から外れた者(例えば私)には冷たかった。

なのであまり友達も作らなかったが、

それでも高3の時から作詞のパートナーとなる「友部伸裕」と出会った。

卒業間近から浪人時代、そして大学2年生まで付き合った「彼女」も得た。

思い出が無い訳ではない。

 

皆んな、同じ時代を生き、同じ40年を重ねた。

そんな同窓生を前に唄う事になり、感慨も深かった。

来年は全員が還暦だ。

どんな人生を歩もうと、一様にその時を迎える。

成功者も敗残者も、また同じ土俵に立ち、リスタートするのだ。

果たしてそんな自意識を持っているのか、やや疑問だが、

とにかくそんなメッセージも伝えたかった。

日頃どんな状況にいようとも、

「同い年」が集まれば、共通項として

「人生の疲れ」を分かち合える。

ゴリゴリの上昇志向も鳴りを潜め、どこか穏やかな集まりになった。

同窓生ならではの良さもあるのだ。

 

「人生の成功」とは一体どのタイミングで決定するのだろう?

一流企業に就職し、順調に階段を登っていても、

「合併」やら「社会の潮流」やらで、すぐに流される。

つまずく要因は常に待っていて、

それはオフィシャルでもプライベートでも潜んでいる。

特に50歳から60歳の間は、仕事面も身体面も揺れ動く。

順風満帆な奴が、ガラガラと転げ落ちて行く事も多い。

身体を悪くする人もあり、そうなれば「ライン」を外れる。

一度つまずくと精神的にも追い詰められ、壊れる人間も出てくる。

「切り抜ける10年」というのが本当のところだろう。

「かつての成功」なら、誰もが一瞬は持てる。

だがそれを永続的に続けられる人間は少ない。

いや、いない。

人は必ずいつかつまずくのだ。

そのタイミングとリカバリー出来る力の有無が、

人生を決めるのかもしれない。

 

私はつまずき続けの人生だった。

それは20代から始まっていた。

プラスとマイナスの振れ幅のやたら大きな人生。

勝っては敗残、を繰り返したが、

しかし都度立ち上がれたのは、我ながら誇りだ。自慢だ。

振れ幅が大きい程、立ち上がるための気力もまた大きく必要だ。

「バカみたい」に新しい夢を見た。

「バカみたい」に歩みを止めなかった。

「バカみたい」に「どうにかなるさ」と思っていた。

綿密に生きて来たつもりだが、

実際にはバカの付く「楽観主義者」だったのだ。

もちろん献身的なスタッフや、頼りになる仲間にも恵まれた。

結局最大の財産は「人」だった。

不運や失敗も「人」が救ってくれる。

一人では立ち上がれなくても、

誰かと「これ、どうにかなるんじゃない?」「あ、ホントだ!」と、

分かち合えれば、何度でも立ち上がれる。

私は、そうやって生きて来た。

 

人は歳を取る。

避けがたい。

60歳を迎えようって人間が集まれば、

様々な運命や時の流れに翻弄された人生がそこにある。

成功も失敗も今では思い出話しだ。

所属や肩書きや実績もこの先はあまり意味を持たない。

つまり「フラットな自分」に戻る。

18歳の少年、少女に戻る。

あの高校生が果たせなかった夢に、

今こそチャレンジする時なのかもしれない。

ある意味「強制的」にリスタートするのだ。

過去にしがみつかず「本当の自分」と

出会うチャンスを逃してはならない。

どんな人生を歩もうと「もう一回」は必ず待っていてくれる。

そんな事を白髪混じりの旧友達を眺めながら、

私は思った。