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池袋フィールドのブログ

ライブハウス 池袋フィールドです。
アーティストとしても活動中の店長・山石敬之が
日々の出会いやエピソードを語っていきます。

このテーマで書くと、

ついつい美文調になり、理想論になり、

それこそ「歌の中の世界」のお話しになる。

だが少なくともライブハウスには、

人生の冒険者たちが集う。

リアルに「そこ」に、「目の前」にいる。

だが、実際の彼らの多くは「冒険希望者」だ。

実際の彼らは、湾の中で「チャプチャプ」やってるに過ぎない。

見渡す限り陸地の無い大海原に漕ぎ出す勇気のある者は、

本当にひと握りだ。

皆、その前に船を岸に着け、降りる。

「やるだけやった」と。

 

しかし本当の冒険は、その後に待っている。

今回はそういうお話し。

 

20代の冒険話しは、楽しい。ワクワクする。

聞いてて羨ましくなる。妬ましくなる。

しかし30代のそれはこねくり回し、40代は溜め息が混じる。

もう「冒険」だという自意識さえ無い。

「挫折」との折り合いを付ける人生、としか感じない。

もう「カッコいいヒーロー」はいない。

そこにいるのは「ただの人」だ。

そしてひたすら「20代の冒険話し」をひけらかし、

思い出に浸り、遠い目で涙ぐむ。

若者には「挑戦しろ」と檄を飛ばすが、

自分は現状に甘んじ、なるべく身動きしないよう心掛ける。

「大人になる」とは、そういう事なんだと。

 

だが、20代の挫折は確かに人生に大きく響くが、

30代以降の挫折はもっとシビアなのだ。

だから博打に走らず、石橋を叩き、安全を旨とする。

もう挫折する訳には行かないのだ。

にも関わらず、薄氷を渡る羽目にすぐ陥る。

綱渡りを余儀無くされ、次々と判断を迫られる。

結局「冒険」は続いているのだ。

それはワクワクするようなカテゴリーでは無く、

出来れば参加したくない「戦場」だ。

しかし何もかもを諦めてる訳でも無い。

「ここぞ」で賭けに打って出る場合だってあるだろう。

ただ20代の経験が人を慎重にする。

目をつぶって飛び込む暴挙にはなかなか踏み切れない。

タイミングを逸し、チャンスを逃し、

「タラレバ」を積み重ねて行くのも、

また「大人」の戦い方だ。

 

しかし自分を「終わった人間」だと断じる必要はない。

生きて来た道のりの中で、守るべきモノが増え、

責任や立ち位置が固定し、人生の「幅」が見えて来る。

そんな中でさえも小さな戦闘は繰り返される。

日々、繰り返される。

勝利も敗北も、小さなガッツポーズか、

居酒屋でのやけ酒か、くらいの違いだけだ。

後々分かる事だが、実はそれが「冒険」なのだ。

人生という冒険は、その小さな繰り返しの積み重ねの中にある。

気が付けば、思いもよらない場所に辿り着いている。

気が付けば、大胆な決断を余儀無くされ、

ビックリな展開に翻弄される場合も結構ある。

しかしそれは「運命」のせいではない。

君自身が小さな選択、戦闘、勝ち負け、を繰り返し、

作り上げた「冒険話し」の続きなのだ。

ストーリーは終わらない。

人生というドラマは、簡単にエンドロールには至らないのだ。

 

人生の冒険者たちへ。

胸を張ろう!

ツマシイ人生でも輝く時は必ず来る。

日々の戦闘の中で、君はやはりヒーローだ。

敗残者になるのは、君自身がそう決めた時だけだ。

どうせなら一つでも「勝ち」を掴もう。

どうせなら後々語り草になる「踏ん張り」を見せよう。

結局、人生という戦闘からは逃げ切れないのだから、

だったら「冒険者」として誇りを持って戦おう。

そして冒険自体を楽しもう。

不運や不幸さえも笑い飛ばそう。

平穏に縁側でお茶をすする、なんて時は意外とやって来ない。

残念ながら人生は「ノンストップ・アクション」なのだ。

「いつか」や「年取ったら」は、一向にその時を迎えない。

たとえ何かを引退しても、人生は続き、

結局大小のチャレンジを余儀無くされる。

決断を、チョイスを延々と迫られるのだ。

 

人生の冒険者たちへ。

だから心を決めよう。

その手に見えない「剣」を握り締めるんだ。

そして、「よっこいしょ」と立ち上がれ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「真実」は常に一つだ。

だが、実際には関わった人の数だけ

「事実」は存在する。

それは驚くほど違った印象を持って存在する。

特に人と人が、もめた時、

その原因や経緯は、大抵食い違う。

片方から話しを聞けば、

「アイツ、ひどい奴だな」と思う。

だが、もう片方からも聞くと、

「なんだ、アイツの方が悪いじゃん」ってなる。

もめ事に「0 vs 100」は、まず無い。

どちらも甘え、どちらも軽率で、

そしてどちらも優しい。

 

人は誰かにもめ事の経緯を話す時、

どうしても自分に都合よく話す。

自分の落ち度は濁すか曖昧な言い方になる。

時には肝心な事も隠す。

そこに残るのは、相手の落ち度、ズルさ、軽率さ、だ。

そうなればそれを聞いた者は、相手が悪い、と判断する。

「ミスリード」だ。

意図しようと、しまいと、そうなる。

人はなかなか双方の話しを聞かない。

照らし合わせれば、事実は見えて来るのに、

なかなかそこまではしない。

だってそんなの大変だから。

そこまでの関係じゃ無いから。

だが、確実な事は、「0 vs 100』は無いって事。

もし本当の事を知りたければ、

もしくは、その事で誰かを評価し、関係に影響が出るのなら、

「疑う事」が大切だ。

「きっとホントは違うんだろうな」って。

 

結構なトラブルが発生し、人間関係が大きく変わり、

人生にも関わる事が起きて、

数年後に「真実」が判明する事はよくある。

「実はこうだった」と。

今更どうにもならないが、もしあの時分かっていれば、

と後悔する場面もきっとある。

「真実」は残酷だ。

だが向き合えば必ずそこに存在する。

表面だけで判断せず、真偽を見極める心意気は、

人生を正しく導く。

「仕方ない」を積み上げる人生は、もったいない。

結局「向き合う」とは、努力だ。労力だ。

簡単に結論に飛び付かず、「ちょっと待てよ」があれば、

真実に近付くだろう。

 

今回の話しは、それこそ「後悔の山」を

多く築き上げた、私自身の教訓です。

生きていれば何度となく、こういう場面に出くわす。

降って湧いたように、トラブルは突然やって来る。

もちろん実はその「種」は前々からあったはず。

直接、間接を問わず、物事は絡み合い、影響し合う。

そして勃発するトラブルの海に放り込まれた時、

君がどう対処するか、が問われる。

恋愛でも、バンド活動でも、バイト先でも、家族関係でも、

次々と「それ」は起こる。

まずは「逃げない」事。

そして「向き合う」事。

それから「見極める」事。

だが、何より大切なのは「愛」だ。

「え?」って思うかもしれないが、

結局、愛情を持って対処しないところに解決は無い。

たとえ「損」を引いてでも解決させ、

関係した皆んなに「ハッピー」を作ろう。

「姑息な勝者」では無く、

「ハッピーな敗者」で構わない、と。

そんな人間に、真実は、本当の事は、

きっと微笑むだろう。

 

 

シンガーの「鈴木トオル」とは同い年だ。

しかし「LOOK」時代の彼とは、

ちょうど一年違いですれ違った。

ただ、たまたま大学時代の仲間がLOOKのメンバーだった為、

気にはなっていた。

縁とは不思議なモノで、そんな「すれ違い」の彼と

9/15から9/17の三連休は一緒にライブ漬けだった。

共に80年代を駆け抜けた同士って想いは強い。

世間話しや思い出話しも、共通項が多く、

リハーサル後もダラダラと話し込む。

池袋フィールドを立ち上げたお陰で出会えた貴重な仲間だ。

 

こんな事を言うと先輩方には失礼だが、

正直「劣化」の激しい50代、60代のアーティストが多い。

特に男性陣のメジャー・アーティストの中には、

「逃げ」の歌唱で誤魔化している方々を見受け、

時々残念な想いをしている。

肉体的な劣化は仕方なく、それは「声」に出やすい。

だからこそ、そんな劣化と戦うべく、努力すべきだろうが、

これまでやって来た「感じ」で乗り切ろうとしている。

実際にはそれでは無理だ。

だが「鈴木トオル」に劣化は見られない。

どんな努力をしているかは知らないが、

共に演奏していて、そのパワーや表現力は素晴らしい。

「素敵」を見事に表現している。

私自身、40代頃から、自身の劣化を感じ、

奮起してここまで努力して来た。

今では、丁寧にさえすれば、20代の頃より

唄をコントロール出来る。

共に来年「60歳」を迎える鈴木トオルと演奏していると、

「負けちゃいられない」の想いが強くなる。

そして、ここからどんな歌を唄って行くのか、とても興味深い。

 

年月を経て得た人生訓は、当然唄にも活かされるだろう。

「味わい深い」それは、きっとオーディエンスに、

聞き慣れた曲達でさえ、また別の感慨を生む。

ベテランの価値観は、そういう部分にあるだろうし、

求めて行かなくてはいけない。

そのための表現する「歌唱」も磨かなくては、すぐ「くも」る。

さらに我々は、若いアーティストの模範とも成るべきだろう。

それは不断の努力とチャレンジの必要性を示し、

年代毎の成すべき役割を示す。

つまりはアーティスト人生の「歩き方」だ。

人それぞれの考え方は違うかもしれないが、

それでも成すべき「責任」はある。

今まで出会ったファンの皆さんと、

これからも出会うであろうオーディエンス。

そして連なる若いアーティスト達に対し、

我々ベテランは、あらゆる場面で、

期待に応え、模範となり、未来を見せる、

そんな責任だ。

ちょっと大げさだが、そんな心意気が無くては、

「先輩」は務まらない。

ただダラダラと長くやって来た人、になっちゃう。

 

そんな襟を正すような想いを、あの三日間で感じた。

出来る事はまだまだあるし、果たすべき役割も多い。

長い年月に渡り活動させてもらった恩返しをしなくては。

もちろん単に「生きる事」「唄う事」で見せるのが基本だ。

欲張り過ぎても上手く行かないだろう。

だが、そこに「想い」はある。

ここまで歩いて来た誇りと経験値は財産だ。

それは引き継いで行かなくては。

そのためには、我々自身が、

さらに前を向き、葛藤し、努力し、チャレンジする。

終わらない旅を続けるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

ライブハウスの経営がこんなに大変だとは思わなかった。

「初心忘るるべからず」と言うが、

フィールドの立ち上げ当初の甘さは痛感している。

この場合「初心の甘さ、忘るるべからず」だ。

優れた立地としっかりしたスペックを用意すれば、

自ずとライブハウスの経営は順調なはず、とタカを括った。

最初に相談に行った「マンダラ2」の中野店長が言っていた、

「ポリシーを貫く事」の意味をやっと実感している。

 

世の中に、こんなに「微妙」なアーティストが

溢れているとは、正直驚愕だった。

しかしブッキングを埋めるためには、

片っ端から出演させざるを得なかった。

それは結果「レベルの低い」小屋へと

自分自身を貶めた事になる。

「こんな事じゃいけない」とレベルの低い者達を

排除しよう、とも考えたが、

だが、ポンコツだろうと、未熟者だろうと、

そこには「想い」が絶対的に存在する。

時に矛盾と甘さにまみれたそいつらは、

でも必死だ。

ならばトコトン付き合おう、と思った。

引っ張り上げようと思った。

出来る手伝いは何でもしよう、と。

そして高校時代からの友人の「浅見昂生」との再会は大きかった。

ボーカル・トレーナーとして第一線で活躍している彼を得て、

「音翼塾」を立ち上げた。

出演者の中からやる気と可能性のある者に声を掛け、

現在も日々学んでいる。

音翼塾に限らず、出演者とは毎回向き合う。

出来てる事、出来てない事。

勘違いしている事を共に見つめ、明日を作るきっかけを探す。

ライブハウスに出来る事に「枠組み」など無い。

思い付いた事には次々とチャレンジしている。

ただ、もちろん簡単では無い事だらけだ。

思い通りの結果が出ているとは、まだまだ言い難い。

それでも「続ける事」が何より大事だと信じている。

そういう「心意気」のライブハウスでいたい、と思っている。

 

ライブハウスは出会いに溢れている。

次々と新しい人材がやって来る。

ただ出会いは多いが、定着する者は意外と少ない。

多分自分で思うより「癖が強い」のだろう。

そこには「合う・合わない」が確実に存在し、

去る者、残る者は、簡単には区別も判断も出来ない。

それでも池袋フィールドを気に入り、

ホームにしてくれてるアーティストが増えているのも事実。

それはもう「ファミリー」と言っても良いだろう。

仲間も連れ来てくれるし、企画も立ち上げる。

レコーディングなどの制作も一緒に行い、

外部のイベント制作にも最近乗り出し始めている。

群れる事を嫌う者もいるが、

発展途上の彼らに仲間は必要だ。

レギュラー陣の為には、大概の事はする。

頼まれなくてもする。

お節介は、ライブハウスに必要な資質の一つだ。

 

拡がりは確かにある。

だが、6年も経っているのに、未だに経営は苦しい。

ただのミュージシャンが、「武士の商法」で始めた店だ。

そこは経験の積み重ねで、どうにかここまでやって来た。

それでも「ノルマ無し」と「安いホールレンタル料金」が

首を絞めているのは分かっている。

料金設定でもグラグラした時期もある。

だが、どうしてもこれ以上は取れない。

席数とチケット代の設定のバランスを見た時、

これが良いとこだ、と行き着いた料金設定だ。

出演者に対するスタンスと同様、これも「ポリシー」だ。

この枠組みの中で工夫を巡らせ、売り上げようともがいている。

苦しくてもどうにか崩壊せずに6年を超えられたのも、

そのスタンス、ポリシーを曲げなかったおかげだ、と信じている。

結果は、思ったより「ちょっと後」に付いて来る。

意外な形でやって来る。

しかし、必ず、間違いなくやって来る。

 

資産も後ろ盾も無い個人が、

「思い付き」で始めた店だ。

そんな中でも「最高」を目指して来た。

立地もスペックも考え得る全てを注ぎ込んだ。

だがこの6年間で分かった事、見えた事は、

「曲げない事」「逃げない事」「信じる事」だ。

ライブハウスは結局「想い」で出来ている。

この「想い」が、音を響かせ、明かりを灯す。

そして出演者の夢を形に変える。

それがどんなにカメの歩みだろうと、

何度でも何度でも繰り返す。

それしか無いんだ。

それが、ライブハウスだ。

それが、池袋フィールドだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自然には逆らえない。

天変地異は、我々の枠外の出来事だ。

とかく「何か」別の糾弾すべきターゲットを人は探すが、

結局は、地球の、宇宙の出来事だ。

我々に成す術は無い。

熊本の震災以降、立て続く各地での災害に、

正直「もう止めてくれ」としか思えず、

どうか少しでも軽微でありますように、

素早く復旧出来ますように、と

祈るだけだ。

雷にビビった経験はあるだろう。

古代はアレを「神のイカヅチ」と呼んだ。

今でもそんな気もする。

人間の存在の小ささをリアルに感じる瞬間だ。

現代は何でもコントロール出来る気になっている。

だが、21世紀に入って17年も経っているのに、

未だに「宗教戦争」だ。

南北の格差も、貧富の差も埋まらない。

技術革新は進むが、思ってるほど

我々は進化していない。

幸せを共有出来て無い。

 

我々は自然の一葉だ。

災害に見舞われ、失われた命を前に、言葉も無い。

生活を奪われ、人生を奪われ、

また立ち上がらなくてはならない人々に、

一体何が出来るのだろう。

「何か言って」と言われる。

「何かして」と言われる。

だが、矢継ぎ早に訪れる天変地異の前に、

どこを向いて、何をすれば良いのか分からない。

ただ言葉を無くすだけだ。

無力感に、立ち尽くすだけだ。

 

たまたま難を逃れた者達は、

日々の暮らしを全うすべきだと思っている。

それは「3.11」の時に学んだ。

被災にも大小があり、

遠くのエリアの人達には、リアリティーは無い。

ボランティアに参加する人達は、凄いな、と思う。

だがその為に人生を棒に振る訳には行かない。

本来やるべき事は他にある、のが事実だ。

募金もある。チャリティーもある。

貢献は色々な形で出来る。

だが実際、チャリティーには微妙なモノも多い。

やらないより、ちょっとでもやった方が良いのだろう。

それでも無意味に「チャリティーしてます」の

自己満足的な動きには、納得の行かないモノも多い。

じゃ、何もしないの?

ただ手をこまねくの?

 

私は淡々と日々に勤しむ事を選ぶ。

いつか自分にも訪れる「悪夢」の前に、

「また立ち上がりたい」と思える日々を作っておきたい

我々日本人は、すべからく被災するリスクの上に生きている。

近隣の者は、当たり前に手を差し伸べるだろう。

それは「ボランティア」でも「チャリティー」でも無い。

安全に生きている者などこの国には一人もいないからだ。

それは「明日の自分」だからだ。

だからこそ、手を差し伸べる力を蓄えておくべきだ。

日々の生活、自分のやるべき役割、

社会の中での貢献があって、

初めてイザという時に力を発揮出来る。

 

日本人ほど自然との戦いを強いられる民族は少ないかもしれない。

そして我々は寄って立つ宗教を持たない。

神も仏もいるけど、我々のそれは「宗教」では無い。

今ここで「宗教論」を戦わせるつもりは無いが、

我々のソレを宗教とは呼べない。

それは生活であり、習慣であり、身についた倫理だ。

とてつもなく変な事を言うが、

宗教論的に、とても健全な民族だと思っている。

だって無神論では無いからだ。

みんなの内にそれぞれの神を持つのが、日本人だ。

災害で不幸に見舞われても、それを「天罰」とは思わない。

この不幸を幸せへと「転換」出来る民族だ。

アレがあったから気付き、見付け、分かち合えた。

そう思う民族だ。

 

不幸の形さえ様々だ。

誰にでも等しく訪れる。

それは避け難い。

だからこそ「今」を大切に、と思う。

今の積み重ね以外に我々に為すべき事は無い。

生きるという実感を我々は、

揺れる度に、降る度に、吹く度に、知る。

超ラッキーな民族だと思う。

だって相手は自然だ。地球だ。宇宙だ。

決して「人」では無いのだから。

 

災害に見舞われた皆さんには、お見舞いを申し上げたい。

私が言いたいのは、私は「ここで」戦う。

イザとなりゃ、何でもするし、何処へでも行く。

その日が来ない事を祈るが、

その準備は決して怠らない。

そう、我々は、日本人だ。

いつでも隣にいる。