高校の同窓会に行って来た | 池袋フィールドのブログ

池袋フィールドのブログ

ライブハウス 池袋フィールドです。
アーティストとしても活動中の店長・山石敬之が
日々の出会いやエピソードを語っていきます。

私は都立新宿高校出身だ。

10年前に卒業30周年の同窓会があったが、参加出来ず、

それでもその後クラスだけの集まりには参加し、

それ以来同窓生との繋がりが出来た。

今回、卒業40周年の同窓会が行われ、参加して来た。

 

正直私が通ってた頃の新宿高校は好きにはなれなかった。

地域で「2番目」に優秀な都立校で、

そこに集まったのは私も含め「2番目」ばかり。

プライドは高いが、実力が常に「ちょっと」足らず、

せっかくの学業以外の才能は、伸ばすチャレンジには走らず、

「そこそこ」の所で満足する学生たち。

突飛な事や、枠から外れた者(例えば私)には冷たかった。

なのであまり友達も作らなかったが、

それでも高3の時から作詞のパートナーとなる「友部伸裕」と出会った。

卒業間近から浪人時代、そして大学2年生まで付き合った「彼女」も得た。

思い出が無い訳ではない。

 

皆んな、同じ時代を生き、同じ40年を重ねた。

そんな同窓生を前に唄う事になり、感慨も深かった。

来年は全員が還暦だ。

どんな人生を歩もうと、一様にその時を迎える。

成功者も敗残者も、また同じ土俵に立ち、リスタートするのだ。

果たしてそんな自意識を持っているのか、やや疑問だが、

とにかくそんなメッセージも伝えたかった。

日頃どんな状況にいようとも、

「同い年」が集まれば、共通項として

「人生の疲れ」を分かち合える。

ゴリゴリの上昇志向も鳴りを潜め、どこか穏やかな集まりになった。

同窓生ならではの良さもあるのだ。

 

「人生の成功」とは一体どのタイミングで決定するのだろう?

一流企業に就職し、順調に階段を登っていても、

「合併」やら「社会の潮流」やらで、すぐに流される。

つまずく要因は常に待っていて、

それはオフィシャルでもプライベートでも潜んでいる。

特に50歳から60歳の間は、仕事面も身体面も揺れ動く。

順風満帆な奴が、ガラガラと転げ落ちて行く事も多い。

身体を悪くする人もあり、そうなれば「ライン」を外れる。

一度つまずくと精神的にも追い詰められ、壊れる人間も出てくる。

「切り抜ける10年」というのが本当のところだろう。

「かつての成功」なら、誰もが一瞬は持てる。

だがそれを永続的に続けられる人間は少ない。

いや、いない。

人は必ずいつかつまずくのだ。

そのタイミングとリカバリー出来る力の有無が、

人生を決めるのかもしれない。

 

私はつまずき続けの人生だった。

それは20代から始まっていた。

プラスとマイナスの振れ幅のやたら大きな人生。

勝っては敗残、を繰り返したが、

しかし都度立ち上がれたのは、我ながら誇りだ。自慢だ。

振れ幅が大きい程、立ち上がるための気力もまた大きく必要だ。

「バカみたい」に新しい夢を見た。

「バカみたい」に歩みを止めなかった。

「バカみたい」に「どうにかなるさ」と思っていた。

綿密に生きて来たつもりだが、

実際にはバカの付く「楽観主義者」だったのだ。

もちろん献身的なスタッフや、頼りになる仲間にも恵まれた。

結局最大の財産は「人」だった。

不運や失敗も「人」が救ってくれる。

一人では立ち上がれなくても、

誰かと「これ、どうにかなるんじゃない?」「あ、ホントだ!」と、

分かち合えれば、何度でも立ち上がれる。

私は、そうやって生きて来た。

 

人は歳を取る。

避けがたい。

60歳を迎えようって人間が集まれば、

様々な運命や時の流れに翻弄された人生がそこにある。

成功も失敗も今では思い出話しだ。

所属や肩書きや実績もこの先はあまり意味を持たない。

つまり「フラットな自分」に戻る。

18歳の少年、少女に戻る。

あの高校生が果たせなかった夢に、

今こそチャレンジする時なのかもしれない。

ある意味「強制的」にリスタートするのだ。

過去にしがみつかず「本当の自分」と

出会うチャンスを逃してはならない。

どんな人生を歩もうと「もう一回」は必ず待っていてくれる。

そんな事を白髪混じりの旧友達を眺めながら、

私は思った。