英語学習挫折者の終着駅【日英コードスイッチング】 五感を活かす独自英訳法があなたのアウトプット(書く/話す)力を1.5倍上達させる

英語学習挫折者の終着駅【日英コードスイッチング】 五感を活かす独自英訳法があなたのアウトプット(書く/話す)力を1.5倍上達させる

日本語脳で理解したイメージを英語脳にスイッチ!この愚直までの、インプットからアウトプットへの変換作業が「話せない、書けない」というあなたの悩みを一度に解決します。留学未経験、20歳から始めた語学後発者が、翻訳家として某大学入試問題を作成するほどに至るまで。

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音声トレーニング(音の壁を意識したリスニング)


1【3回】スクリプトのチェック、音の変化を確認2【10回】シャドーイング(スクリプト見ながら) ・どんどん書いて自分だけのわかりやすいテキストを
 ・回数を数える
 3【5回】オーバーラップ ・立って練習
4【2回】何も見ないでシャドーイング5【1回】ペアに披露するシャドーイング ・勝った人は前半のシャドーイング
 ・負けた人は後半のシャドーイング
 ・互いに良い点と悪い点を言い合う。

6四方読み音読
 ・座っても一回
 ・一人座ったら止める
  7【4人】文章を日英通訳 ・【1、3番目】英語
 ・【2、4番面】日本語


8英文暗誦トレーニング ・ Repeat and cup
9そして、英語を少し変えて、発信練習
 ・インプットからアウトプット
10最後に一回効いて終わる 


僕がなぜ息子が僕のベッドから落ちる夢を見たか、

というと、

それは日々の習慣からだ。

いつも緊張しながら、

強い想いを持って言っているから、

こんな夢を見てしまう。



最近僕は、

いつの間にか、

フラフラしながらつかまり立ちしている息子に、

自身も敏感に反応し、

息子の脇にパッと手をやり、

こう言い続けている。



「ウォッチャウト!」

「危ないよ!」



日本語でも

英語でも、

言っている、無意識に。



ただ伝えたい想いがあり、

それをことばにしている。


このとき、

僕のことばはとてもエモーショナルだ。

ことばに感情が乗っかっている。


だから、

このことばは僕のものになるし、

身体に溶け込む。



想いが強すぎるのか、

僕はそれを言っている夢を見るほどになる。

それに関わる夢を見てしまう。

ことばを覚えるとき、

感情も一緒についてきているのだろうか。



僕が覚えたことばは、

脳/身体に、本当にインプットされているのだろうか。



たとえば、

僕が見知らぬ外国人に



「ヘイ、ジャップ(←日本人への侮蔑表現)」



って言われたら、

怒りの炎で燃え盛ることがあるだろうか。



ジャップ、

っていうことばを単に知識として理解しているだけで、

感情の部分には、

気持ちの部分には、

そのことばは到達していないのではないだろうか。




伝えたい想いがあるから、

それがことばになるのか。


誰がかいったように、

はじめにことばありきで、

想いが引っ張られるのか。


正直、よくわからない。


でも、

その挟間を考えることで、

ことばと感情の境界を横断することで、

ことばがインプット(アウトプット)される過程のヒントを、

ちょっと得た気がするのだ。



最近夢を見る。

悪い夢だ。
それを毎晩連続で見る。

正確に言うと、夢遊病の状況。
深夜にその夢にうなされ、
パッと起きて、ムックリと眠る。
翌朝、おぼろげに、その行動の意識はあるという具合。


こんなこと、34年間生きてきた中で始めてだった。
初体験だった。


その夢とは何か。


それは、
息子(9ヶ月)が、僕の寝ているベッドから落ちる夢。


夢の話だ。
現実には、息子は僕のベッドには寝てない。
僕のベッドには僕しかいない。


正直、縁起でもない。
でも、その縁起でもない夢の状況に、
落ちる息子をかばおうと瞬間的に起きる僕がいる。


これを毎晩続ける。
毎晩とは言い過ぎだが、
習慣的に見続ける。
とても疲れる。
翌朝は疲労度が増す。


そして朝、
現実ワールドに起きると、息子がいる。
ベッドから落ちた様子もないリアルの息子がいる。
その息子は、キャッキャッキャッと僕に向かって笑う。

これを見て、僕は救われる。
エネルギーチャージされる。
朝食などいらない。
このまま職場で、持ちうる限りのパフォーマンスで仕事を行える。

個人の弛まないインプット。

あとは、
その作業をどのタイミングで行うか、
の問題。


英会話学校に行きながらなのか、
留学に行きながらなのか、
は、その方次第。



会話を成立させるための、
英文のインプットは、
避けては通れない。


どうせなら
楽しくやりたい。
日々の生活と接続したかたちで、
淡々と継続できるスタイルを構築したい。


その語学スタイルは、
人それぞれによって違うものだし、
唯一無二のもの、
だと思うから
僕は、
「小資本最大効率」を理念としている。


高額な英語教材を買ったり、
英会話学校に行ったり、
ましてや留学なんかしない。
(動機付けや刺激という意味では効果はある。
 しかし、
    お金の時間の投資に対する英語力の向上という意味では、
 その費用対効果は悪い)


英会話や、
留学して外国人と話すことは、
伝えたい想いを英訳の練習と捉えてこそ意味が出る。
自身の英語発信のトレーニングの場としてこそ機能する。。


どのみち、ぶつかるのは、
個人の弛まないインプット。
アウトプットを前提とした英語表現の取り込みだ。

そのスマートフォンが辞書代わりになるのだろうか。



なりうる。

正確には、

スマートフォンのオンライン環境が辞書として有効に機能する。



わからなかったら、

パッと調べて、

サッと消す。



機動性。

アクセスするまでのスピード。

調べたいという欲求を逃さない速度が重要だ。



人がごった返しの、

この中華料理店で、

紙辞書を開く行為なんてできるわけがない。


電子辞書ですら、

かさばるし、ちょっと風変わりだ。


でも、

食事の後、

スマートフォンを触っているしぐさは、

この熱気漂う中華料理店の風景に溶け込む。



自然だ。



だから、

僕はスマートフォンを英語学習にフル活用する。



ちなみに、

キムチチャーハンは英語で、



「Korean Pickle Fried Rice」



というらしい。

知らないことが多い。

まだまだ謙虚に、勉強が必要だ。


帰りにフィニッシュラーメンをするため、

中華料理店に入る。



経営している方は中国出身で、

本格的な中華料理だった。



でも、

僕はラーメン気分ではなかったので、

キムチチャーハンを頼む。



そのアクロバティックな注文に一同ギョッとしていたが、

そもそも中華料理店のメニューに、

キムチチャーハンがあることが不思議だし、

日本と中国と韓国を横断するその存在は、

昨今の緊張関係を中和する象徴と思い、

僕はかみしめながら美味なキムチチャーハンを堪能した。



食べながらふと思った。




僕:

「キムチチャーハンって英語でなんていうのかなー」




そんなときは、

辞書で確認する。

分からないときは、辞書が一番便利だ。



紙辞書は持っている。

職場や家にいくつか置いている。



しかし、

難点は、重いこと。

移動するときに荷物になることがネックだ。



なので、

電子辞書を持つようにする。

これは小さくて、かさばらない。カバンにも入る。



でも、

それなりの値段がする。

安くても数万円はかかる。

機能が充実していると、

その倍ほどの値がつくものもある。



電子辞書一つに、

そこまでの投資価値があるかどうかは、その人次第だ。

人によっては持ち腐れになるかもしれない。



なので、

現代は、現代にあった辞書を活用する。



スマートフォン。



今やそのシェア率は国民の半数に到達しそうな勢い。

僕は地下鉄を利用してるが、

スマートフォンを使っていない人を見ない日はないほどだ。

盆の時期。

中学校時代の友人たちが地元に帰省する。



いつものように、

僕らは、合う約束を立て、

お互いの近況を報告し合いながら酒を飲む。



誰がケンカが強いか、

誰がモテるか、

誰が就職できるか、

誰が結婚するか、

誰が儲かっているか、

誰が健康か、



中学校時代から今まで、

僕らが関心を持つのは、

常に、「自分と比較した誰か」だ。

相対的な話だ。



他人と比較して感じる自分の幸せは、

正直タチが悪い。



皆、それをわかっていながらも、

僕らは、

それぞれの相対性理論を、

下卑たジョークで盛り上げていく。



何にせよ、

気のおける仲間との酒は格別だ。

人の心は、常に言葉とイメージの混合体としてあると言っていい。

新しい言葉や風景と出会うことは常に新鮮に感じられるが、

「新しい言葉」には母国語と外国語の区別もないし、
「新しい風景」は特定の国家の領土に限定されたり、
国境によって規定されるわけではない。
新鮮さはどこに行こうがあるとき向こうから不意に訪れる。

これは、自分が求めていた経験か。

だから僕の中では、
翻訳すること、
旅すること、
新しい経験をすること、
それらが言語化されてもう一度反芻されることは、
全て繋がっているかもしれない。