大黒天 國前寺 【JR広島駅・北口のミステリー】~二葉山山麓七福神めぐり。
大黒天
「打つ槌に 宝の雨を ふらしつつ 無福の民を 救う御神」
尾長天満宮 より250メートルにある・・・・
國前寺(こくぜんじ)
御本尊は、釈迦如来。
歴応3年(1340)。
日蓮の弟子・日像に指示した暁忍が開いた「暁忍寺」が前身とつたえられています。
明暦2年(1656)。
浅野光晟の正室の満姫の帰依することにより浅野家の菩堤寺となる。
浅野藩の菩提寺國泰寺(こくたいじ)の「國」と、満姫の生家・前田氏の「前」から、今の國前寺と改められたのでした。
昭和20年(1945)。
広島市への原子爆弾投下により、ここは爆心地から約2.6キロメートにあった國前寺は、爆風により建物は北東方向に傾いたが倒壊は免れます。
境内に大日本帝国海軍による救護所が設けられました。
アクセス:
山根町32-1
広島駅・北口(新幹線口)から徒歩10分
「布袋尊 聖光寺 」へつづく
「JR広島駅・北口のミステリー
~二葉山山麓七福神めぐり。二葉の里歴史の散歩道 」より
「打つ槌に 宝の雨を ふらしつつ 無福の民を 救う御神」
尾長天満宮 より250メートルにある・・・・
國前寺(こくぜんじ)
御本尊は、釈迦如来。
歴応3年(1340)。
日蓮の弟子・日像に指示した暁忍が開いた「暁忍寺」が前身とつたえられています。
明暦2年(1656)。
浅野光晟の正室の満姫の帰依することにより浅野家の菩堤寺となる。
浅野藩の菩提寺國泰寺(こくたいじ)の「國」と、満姫の生家・前田氏の「前」から、今の國前寺と改められたのでした。
昭和20年(1945)。
広島市への原子爆弾投下により、ここは爆心地から約2.6キロメートにあった國前寺は、爆風により建物は北東方向に傾いたが倒壊は免れます。
境内に大日本帝国海軍による救護所が設けられました。
アクセス:
山根町32-1
広島駅・北口(新幹線口)から徒歩10分
「布袋尊 聖光寺 」へつづく
「JR広島駅・北口のミステリー
~二葉山山麓七福神めぐり。二葉の里歴史の散歩道 」より
寿老人 長尾天満宮 【JR広島駅・北口のミステリー】~二葉山山麓七福神めぐり。
寿老人
「玄鹿の 命長きに あやかれと 杖を引きつつ 世を救う神」
広島東照宮 より700メートル先にある・・・
尾長天満宮(おながてんまんぐう)
坂の上。
住宅街の突き当たりに、入口をひらいています。
急な石段をのぼりつめたところに、山の森を背にした社があります。
その昔、菅原道真が、九州大宰府に下る途中に、この尾長山(おながやま)に立ち寄り、休息した場所と伝えられています。
その場所に祠が建てられました。
寛永17年(1640)。
菅原公の熱心な信者だった松尾忠正が、この社殿を建立し菅原道真を祀ったのでした。
大正15年(1926)の豪雨で本殿などが倒壊流出しました。
現在の本殿は、饒津神社 にあった招魂社を移したものです。
わっという歓声に、驚いて振り返ると・・・
ビルが立ち並ぶ向こうにある「マツダスタジアム」から聞こえていました。
この日は、広島カープ対オリックスの試合でした。
こちらの菅原公も、カープファンなのかな。
アクセス:
山根町33-16
広島駅・北口(新幹線口)から徒歩10分
「大黒天 國前寺 」へつづく。
「JR広島駅・北口のミステリー
~二葉山山麓七福神めぐり。二葉の里歴史の散歩道 」より
知っていました? 学問の神様・菅原道真のルーツをたどる。
「玄鹿の 命長きに あやかれと 杖を引きつつ 世を救う神」
広島東照宮 より700メートル先にある・・・
尾長天満宮(おながてんまんぐう)
坂の上。
住宅街の突き当たりに、入口をひらいています。
急な石段をのぼりつめたところに、山の森を背にした社があります。
その昔、菅原道真が、九州大宰府に下る途中に、この尾長山(おながやま)に立ち寄り、休息した場所と伝えられています。
その場所に祠が建てられました。
寛永17年(1640)。
菅原公の熱心な信者だった松尾忠正が、この社殿を建立し菅原道真を祀ったのでした。
大正15年(1926)の豪雨で本殿などが倒壊流出しました。
現在の本殿は、饒津神社 にあった招魂社を移したものです。
わっという歓声に、驚いて振り返ると・・・
ビルが立ち並ぶ向こうにある「マツダスタジアム」から聞こえていました。
この日は、広島カープ対オリックスの試合でした。
こちらの菅原公も、カープファンなのかな。
アクセス:
山根町33-16
広島駅・北口(新幹線口)から徒歩10分
「大黒天 國前寺 」へつづく。
「JR広島駅・北口のミステリー
~二葉山山麓七福神めぐり。二葉の里歴史の散歩道 」より
知っていました? 学問の神様・菅原道真のルーツをたどる。
恵比寿 饒津神社 【JR広島駅・北口のミステリー】~二葉山山麓七福神めぐり。
恵比寿
「釣り上げし 魚と宝と 抱きしめて 笑う恵比寿の 神の御威徳」
明星院 から100メートルにある・・・
饒津神社(にぎつじんじゃ)。
天保4年(1833)。
天保の大飢饉。各地で餓死者を多数出しました。
この広島でも例外ではなく、時の領主・浅野斉粛(なりたか)は、万民救済のため天保6年(1835)饒津神社を建立した
広島城 の鬼門の方向に位置するこの地に、浅野家の始祖・浅野長政を祀ったのでした。
参道にならぶ石灯籠群は、家臣から寄進されたものです。
境内には始祖・長政が愛用した手水鉢があります。
これまで巡った神社、お寺で共通していることがあります。
鳥居も門も、参道からまっすぐに建物へ向かって配置されています。
一見、見渡しがよいのですが、一歩、また一歩踏み込むと、ガラリと景色が変わります。
そして、振り返ると高台までのぼりつめていることに気がつきます。
これまで来た道を見下ろすようになるのです。
鬼門から見る広島城 。
気分は鬼さん
・・・
原爆により建物が焼失。
奇蹟的に石造物と十数本の松が残りました。
敷き石に亀裂やゆがみがあるのは、炎の熱で損傷した跡です。
原爆に耐えた松は年々枯れて、残す一本も平成15年(2003)に伐採。
その切り株が保存されています。
アクセス:
二葉の里二丁目6-34
バス停饒津の側。
「寿老人 長尾天満宮 」へつづきます。
「JR広島駅・北口のミステリー
~二葉山山麓七福神めぐり。二葉の里歴史の散歩道 」より
「釣り上げし 魚と宝と 抱きしめて 笑う恵比寿の 神の御威徳」
明星院 から100メートルにある・・・
饒津神社(にぎつじんじゃ)。
天保4年(1833)。
天保の大飢饉。各地で餓死者を多数出しました。
この広島でも例外ではなく、時の領主・浅野斉粛(なりたか)は、万民救済のため天保6年(1835)饒津神社を建立した
広島城 の鬼門の方向に位置するこの地に、浅野家の始祖・浅野長政を祀ったのでした。
参道にならぶ石灯籠群は、家臣から寄進されたものです。
境内には始祖・長政が愛用した手水鉢があります。
これまで巡った神社、お寺で共通していることがあります。
鳥居も門も、参道からまっすぐに建物へ向かって配置されています。
一見、見渡しがよいのですが、一歩、また一歩踏み込むと、ガラリと景色が変わります。
そして、振り返ると高台までのぼりつめていることに気がつきます。
これまで来た道を見下ろすようになるのです。
鬼門から見る広島城 。
気分は鬼さん
・・・
原爆により建物が焼失。
奇蹟的に石造物と十数本の松が残りました。
敷き石に亀裂やゆがみがあるのは、炎の熱で損傷した跡です。
原爆に耐えた松は年々枯れて、残す一本も平成15年(2003)に伐採。
その切り株が保存されています。
アクセス:
二葉の里二丁目6-34
バス停饒津の側。
「寿老人 長尾天満宮 」へつづきます。
「JR広島駅・北口のミステリー
~二葉山山麓七福神めぐり。二葉の里歴史の散歩道 」より






