福禄寿 広島東照宮 【JR広島駅・北口のミステリー】~二葉山山麓七福神めぐり。
福禄寿
「仰ぎみる その御頭(みかしら)の 長きごと 延寿の徳を 与えまします」
広島東照宮
祭神は東照大権現・徳川家康。
没後50年ごとに「通り祭礼」という式典が行なわれます。
徳川3代将軍家光は、日光東照宮建立後、全国の有力諸大名に東照宮建立をすすめたのが起源です。
慶安元年(1648)、
当時の領主浅野光晟(みつあきら)が建立。
(
覆いがかけられている唐門・翼廊は平成23年9月まで修復中です。)
光晟の生母の正清院(振姫・家康の三女)と、妻・満姫(家光養女)の念願でもありました。
ミニチュア東照宮という感じでしょうか?
高台にあがると目の当たりにする安定感のある建物。
こじんまりとしていますが豪奢なつくりに、思わず、ホゥッとなります。
はい。葵の御紋がはいった灯篭です。
(=⌒▽⌒=)
境内にある大きな羽釜は「ジャンボ釜」。
Σ(゚д゚;)
ワタシの身の丈(約180)ほどはあります。
まわし形という手法で、型が作られ鋳造されました。
今ではこの技法を伝える人はないといわれています。
ほんの少し、石段をのぼると、JR広島駅を見下ろすことができます。
原爆の爆心地から2300メートル。
原爆により本殿・拝殿が焼失。
昭和40年に再建。
アクセス:
二葉の里二丁目1-18
広島駅・北口(新幹線口)から徒歩10分
つづいては「弁財天 鶴羽根神社 」です。
「JR広島駅・北口のミステリー
~二葉山山麓七福神めぐり。二葉の里歴史の散歩道 」より
「仰ぎみる その御頭(みかしら)の 長きごと 延寿の徳を 与えまします」
広島東照宮
祭神は東照大権現・徳川家康。
没後50年ごとに「通り祭礼」という式典が行なわれます。
徳川3代将軍家光は、日光東照宮建立後、全国の有力諸大名に東照宮建立をすすめたのが起源です。
慶安元年(1648)、
当時の領主浅野光晟(みつあきら)が建立。
(
覆いがかけられている唐門・翼廊は平成23年9月まで修復中です。)光晟の生母の正清院(振姫・家康の三女)と、妻・満姫(家光養女)の念願でもありました。
ミニチュア東照宮という感じでしょうか?
高台にあがると目の当たりにする安定感のある建物。
こじんまりとしていますが豪奢なつくりに、思わず、ホゥッとなります。
はい。葵の御紋がはいった灯篭です。
(=⌒▽⌒=)
境内にある大きな羽釜は「ジャンボ釜」。
Σ(゚д゚;)
ワタシの身の丈(約180)ほどはあります。
まわし形という手法で、型が作られ鋳造されました。
今ではこの技法を伝える人はないといわれています。
ほんの少し、石段をのぼると、JR広島駅を見下ろすことができます。
原爆の爆心地から2300メートル。
原爆により本殿・拝殿が焼失。
昭和40年に再建。
アクセス:
二葉の里二丁目1-18
広島駅・北口(新幹線口)から徒歩10分
つづいては「弁財天 鶴羽根神社 」です。
「JR広島駅・北口のミステリー
~二葉山山麓七福神めぐり。二葉の里歴史の散歩道 」より
JR広島駅・北口のミステリー ~ 二葉山山麓七福神めぐり。二葉の里 歴史の散歩道 ― 広島市東区
こんにちは。
広島歴史ミステリーハンターです。
ただいま仕事で広島にきています。
普段、新幹線を降りるとJR広島駅の南口をでます。
南口には路面電車、バスもあり、市内へのアクセスには便利だからです。
駅ビル付近もにぎやかで、県外から訪れる人はいつも南口を利用していますね。
ところが―、
うってかわって北口は、閑散としています。
そう ―
JR広島駅・北口を出ると、後背の二葉山がそびえています。
二葉山付近は、丁度、広島城 の丑寅の方向、
つまり鬼門に面しています。
その最たる北口側には、ミステリーがいっぱいです。

・・・
・・・なんつって。
JR広島駅・北口から徒歩わずかなところに、
お寺や神社があり、
地元の人しかしらない歴史の散歩道があります。
今回、大の奈良ファンの広島県人・あすかさんに、そんな広島駅北口の歴史の散歩道を案内していただきました。
それは・・・
「二葉山山麓七福神めぐり」
広島東照宮
JR広島駅北口からますぐ。
駅を見下ろす高台になっています。
こちらは福禄寿。
鶴羽根神社
後背の二葉山を鶴が羽を広げた姿が由来となっています。
こちらは弁財天。
明星院
幼稚園といっしょになった境内。
そこには伝説の義士が祀られていました。
こちらは毘沙門天。
饒津神社
爆心から約1700メートルのこの神社は、被爆遺跡が数多く存在します。
こちらは恵比寿。
尾長天満宮
坂の上の天満宮。
天満宮だけにかの文官の伝説があります。
こちらは寿老人。
國前寺
浅野家と前田氏の・・・
こちらは大黒天。
聖光寺
かの志士の親子の供養墓がここにあります。
こちらは布袋尊。
そして最後に ―
府中焼き。
広島名物B級グルメで有名。
広島風お好み焼きとは一味ちがいます。
こちらはビールで。
さて・・・
あすかさんといえば、先日、玉置神社へ訪れ、すてきな体験をされています。
こちら!
「【玉置神社参拝】あすかさんの場合 」
そして、このブログにも何度となくコメントをいただいています。
m(_ _ )m
あすかさん、ありがとうございました。
・・・
それでは、最初に「福禄寿 広島東照宮 」へつづく!
広島歴史ミステリーハンターです。
ただいま仕事で広島にきています。
普段、新幹線を降りるとJR広島駅の南口をでます。
南口には路面電車、バスもあり、市内へのアクセスには便利だからです。
駅ビル付近もにぎやかで、県外から訪れる人はいつも南口を利用していますね。
ところが―、
うってかわって北口は、閑散としています。
そう ―
JR広島駅・北口を出ると、後背の二葉山がそびえています。
二葉山付近は、丁度、広島城 の丑寅の方向、
つまり鬼門に面しています。
その最たる北口側には、ミステリーがいっぱいです。

・・・
・・・なんつって。
JR広島駅・北口から徒歩わずかなところに、
お寺や神社があり、
地元の人しかしらない歴史の散歩道があります。
今回、大の奈良ファンの広島県人・あすかさんに、そんな広島駅北口の歴史の散歩道を案内していただきました。
それは・・・
「二葉山山麓七福神めぐり」

広島東照宮
JR広島駅北口からますぐ。
駅を見下ろす高台になっています。
こちらは福禄寿。
鶴羽根神社
後背の二葉山を鶴が羽を広げた姿が由来となっています。
こちらは弁財天。
明星院
幼稚園といっしょになった境内。
そこには伝説の義士が祀られていました。
こちらは毘沙門天。
饒津神社
爆心から約1700メートルのこの神社は、被爆遺跡が数多く存在します。
こちらは恵比寿。
尾長天満宮
坂の上の天満宮。
天満宮だけにかの文官の伝説があります。
こちらは寿老人。
國前寺
浅野家と前田氏の・・・
こちらは大黒天。
聖光寺
かの志士の親子の供養墓がここにあります。
こちらは布袋尊。
そして最後に ―
府中焼き。
広島名物B級グルメで有名。
広島風お好み焼きとは一味ちがいます。
こちらはビールで。
さて・・・
あすかさんといえば、先日、玉置神社へ訪れ、すてきな体験をされています。
こちら!
「【玉置神社参拝】あすかさんの場合 」
そして、このブログにも何度となくコメントをいただいています。
m(_ _ )m
あすかさん、ありがとうございました。
・・・
それでは、最初に「福禄寿 広島東照宮 」へつづく!
かつてそこは海でした・・・。しらかみさん 白神社 国泰寺愛宕池跡 ~ 広島市中区中町
広島滞在中の広島歴史ミステリーハンターです。
広島市内。NHK広島や、全日空ホテル、オフィスビルが立ち並ぶなかに神社があります。
白神社(しろかみしゃ)。
主祭神は、菊理媛神。
伊弉諾尊、伊弉冉尊。
地元の人には「しらかみさん」という名前で親しまれています。
この裏手は、このようになっています。
広島市指定史跡及び天然記念物。
白神社の岩礁です。
文禄元年(1591)。
広島城築城以前、この付近は海でした。
海面から突き出た岩礁に衝突する船が後を絶ちませんでした。
このため岩礁上に白い紙がたてられ、海難事故を防止する役目を果たしていました。
やがてこの岩礁は干拓工事などで、海岸線が後退し、ここら一帯は地上に取り残されます。
海難事故とは無関係になっていきましたが、白紙に代わり地元の守り神として信仰されるようになりました。
すぐ近くの国泰寺愛宕池跡もそのような岩礁の名残です。
文禄3年(1594年)。
安国寺恵瓊(あんこくじえけい)が「安国寺」として創建。
白神社の岩礁と連なっていました。
岩礁の一部を利用して池としたものです。
これは三角州発達の歴史を物語っていますね。
広島紀行「広島の初夏。広島歴史ミステリーハンター★鈴木です。(^O^)/」より
広島市内。NHK広島や、全日空ホテル、オフィスビルが立ち並ぶなかに神社があります。
白神社(しろかみしゃ)。
主祭神は、菊理媛神。
伊弉諾尊、伊弉冉尊。
地元の人には「しらかみさん」という名前で親しまれています。
この裏手は、このようになっています。
広島市指定史跡及び天然記念物。
白神社の岩礁です。
文禄元年(1591)。
広島城築城以前、この付近は海でした。
海面から突き出た岩礁に衝突する船が後を絶ちませんでした。
このため岩礁上に白い紙がたてられ、海難事故を防止する役目を果たしていました。
やがてこの岩礁は干拓工事などで、海岸線が後退し、ここら一帯は地上に取り残されます。
海難事故とは無関係になっていきましたが、白紙に代わり地元の守り神として信仰されるようになりました。
すぐ近くの国泰寺愛宕池跡もそのような岩礁の名残です。
文禄3年(1594年)。
安国寺恵瓊(あんこくじえけい)が「安国寺」として創建。
白神社の岩礁と連なっていました。
岩礁の一部を利用して池としたものです。
これは三角州発達の歴史を物語っていますね。
広島紀行「広島の初夏。広島歴史ミステリーハンター★鈴木です。(^O^)/」より







