「豊臣秀長と源九郎狐」 ― 【源九郎稲荷神社社伝】 ~ 大和郡山市洞泉寺町15
白狐源九郎は、豊臣秀吉の弟であり大和大納言の豊臣秀長も厚く信仰していました。
(NHK大河ドラマ「秀吉」高嶋政信 )
天正年間。
郡山城築城の際です。
懇意にしていた長安寺村の宝誉上人(ほうよしょうにん)というお坊さんより、
「千数百年住んでいる白狐源九郎に、郡山城の巽(南東の方角)へ一宇(いちう:ひとつの家)を建てよ」
と進言されました。
秀長は、守護神として遠く吉野川のほとりより「白狐源九郎」を遷し給い奉じました。
・・・
ある風が強い日です。
突然城下の一角より火の手が上がりました。
たちまち城下の中心へと火の勢いが迫ってきます。
手の施しようがなく秀長は「白狐源九郎」に鎮火の祈願をしたのでした。
すると、まさに源九郎が鎮座する巽の方向から、にわかに黒雲がたちのぼり、突然、大雨が降りだしたのでした。
城下の猛火はおさまり、城下全域が灰になることがまぬがれたそうです。
源九郎稲荷神社のとよさんがブログをはじめられました。
こちらです。「とよの源九郎稲荷塾 ~絆~ 」
源九郎稲荷神社のホームページができました。
http://www.genkurou-inari.com/
大和郡山・夏祭り(夕涼み会)
2011年8月26日(金)、27日(土)
17:00~20:00
源九郎稲荷神社と旧川本邸を中心に、夏祭りを開催します。
「戦国奈良!奈良のお城・郡山城のなりたち 」
「天下人の弟、豊臣秀長と大和郡山城 ~算命学 と 奈良 歴史 」
「天下人の弟・豊臣秀長。奈良であった秀吉と秀長の兄弟の物語 」
日本三大稲荷の源九郎稲荷神社 関連記事
「源九郎さん出番ですよ!―日本三大稲荷の「源九郎稲荷神社」 」
異聞 源九郎稲荷神社
「1.はじまりは、とよさんでした。 」
(NHK大河ドラマ「秀吉」高嶋政信 )
天正年間。
郡山城築城の際です。
懇意にしていた長安寺村の宝誉上人(ほうよしょうにん)というお坊さんより、
「千数百年住んでいる白狐源九郎に、郡山城の巽(南東の方角)へ一宇(いちう:ひとつの家)を建てよ」
と進言されました。
秀長は、守護神として遠く吉野川のほとりより「白狐源九郎」を遷し給い奉じました。
・・・
ある風が強い日です。
突然城下の一角より火の手が上がりました。
たちまち城下の中心へと火の勢いが迫ってきます。
手の施しようがなく秀長は「白狐源九郎」に鎮火の祈願をしたのでした。
すると、まさに源九郎が鎮座する巽の方向から、にわかに黒雲がたちのぼり、突然、大雨が降りだしたのでした。
城下の猛火はおさまり、城下全域が灰になることがまぬがれたそうです。
源九郎稲荷神社のとよさんがブログをはじめられました。こちらです。「とよの源九郎稲荷塾 ~絆~ 」
源九郎稲荷神社のホームページができました。http://www.genkurou-inari.com/
大和郡山・夏祭り(夕涼み会)2011年8月26日(金)、27日(土)
17:00~20:00
源九郎稲荷神社と旧川本邸を中心に、夏祭りを開催します。
「戦国奈良!奈良のお城・郡山城のなりたち 」
「天下人の弟、豊臣秀長と大和郡山城 ~算命学 と 奈良 歴史 」
「天下人の弟・豊臣秀長。奈良であった秀吉と秀長の兄弟の物語 」
日本三大稲荷の源九郎稲荷神社 関連記事「源九郎さん出番ですよ!―日本三大稲荷の「源九郎稲荷神社」 」
異聞 源九郎稲荷神社「1.はじまりは、とよさんでした。 」
働く☆みすてりーはんたー ― 都祁においでよ~NPOつげ×奈良県立大学 村田ゼミ都祁班の活動
前回の奈良市都祁地区での畑活動「夏真っ盛り!今日は小豆です。
」(2011.7.10)の振り返りです。
さて、いつもの小栗っぽい旬なこの写真・・・
こんな風に撮影されてました。
気づかんかった
めちゃくちゃ、まわりに注目されていますね。
A=´、`=)ゞ
・・・
撮影いただいたのは当日お手伝いいただきました、奈良の鹿を愛してやまない「まほろばカメラ ~ 気分優先AE ~ 」のKj@鹿グラファー(以下、KJ)さんです。
KJさんから当日のお写真をいただきました。
いつも奈良公園の鹿の、絶妙な表情をファインダーにおさめています。
おそらく鹿の表情を撮らせれば、右に出る人はいないでしょう。
ご覧になられていない人は、一度ご覧ください。
「まほろばカメラ ~ 気分優先AE ~ 」
今回も沢山の写真をとっていただき、奈良県立大の学生さんたちにも提供いただきました。
ありがとうございます。
m(u_u)m
さて、いつも人の写真ばかり撮っている私です。
こうして見ると、私もちゃんと働いていますねー。
種植え中。
ぼーっと、つっ立っているわけじゃないですよ。
あー、あちぃ~
みんな、どうして黒いかっこうばっかりしてるんだろう。
NPOつげの方といっしょに、菜っ葉の根切りをしています。
(いつの間に
)
他にも沢山、写真をいただきましたが、顔だしできない人のもあるので、御紹介できるのはこのぐらいで。
KJさん、いやはや写真がうまいですね。
畑作業しているみなさんの躍動感あふれる瞬間をファインダーにおさめています。
それは、当時の会話が聞こえてきそうなくらいです。
「ほーら、もうすぐしたらトウモロコシもたべごろやで~」
:*:・( ̄∀ ̄)・:*:
さて夏真っ盛り。
みなさん熱中症にはお気を付け下さいね。
(^-^)ノ~~
さて、次回は、突然のスクランブル!「なーんもできてないよ(>_<) 」につづきます!
さて、いつもの小栗っぽい旬なこの写真・・・
こんな風に撮影されてました。

気づかんかった

めちゃくちゃ、まわりに注目されていますね。
A=´、`=)ゞ
・・・
撮影いただいたのは当日お手伝いいただきました、奈良の鹿を愛してやまない「まほろばカメラ ~ 気分優先AE ~ 」のKj@鹿グラファー(以下、KJ)さんです。
KJさんから当日のお写真をいただきました。
いつも奈良公園の鹿の、絶妙な表情をファインダーにおさめています。
おそらく鹿の表情を撮らせれば、右に出る人はいないでしょう。
ご覧になられていない人は、一度ご覧ください。
「まほろばカメラ ~ 気分優先AE ~ 」
今回も沢山の写真をとっていただき、奈良県立大の学生さんたちにも提供いただきました。
ありがとうございます。
m(u_u)m
さて、いつも人の写真ばかり撮っている私です。
こうして見ると、私もちゃんと働いていますねー。
種植え中。
ぼーっと、つっ立っているわけじゃないですよ。
あー、あちぃ~

みんな、どうして黒いかっこうばっかりしてるんだろう。
NPOつげの方といっしょに、菜っ葉の根切りをしています。
(いつの間に
)他にも沢山、写真をいただきましたが、顔だしできない人のもあるので、御紹介できるのはこのぐらいで。
KJさん、いやはや写真がうまいですね。
畑作業しているみなさんの躍動感あふれる瞬間をファインダーにおさめています。
それは、当時の会話が聞こえてきそうなくらいです。
「ほーら、もうすぐしたらトウモロコシもたべごろやで~」
:*:・( ̄∀ ̄)・:*:
さて夏真っ盛り。
みなさん熱中症にはお気を付け下さいね。
(^-^)ノ~~
さて、次回は、突然のスクランブル!「なーんもできてないよ(>_<) 」につづきます!
ハートの小窓?・旧川本邸~稲荷通りの夏・花街のなごり(3)【大和郡山洞泉寺町】
「2.今はむかし豪華絢爛!!遊郭の跡」のつづきです。
むかし大和郡山城の巽(辰巳:東南)の方角に、源九郎稲荷神社をもってきたとあります。
その場所は、いまで伝えられる洞泉寺町にあたり、そこは花街として栄えていました。
・・・
「1.奈良三大遊郭のひとつ洞泉寺町・旧川本邸」のときに旧川本邸の外観を紹介しました。
この写真。

お気づきの方、いらっしゃいましたか?
建物の中ほど。二階あたり。
白塗りの壁が一部除いていますね。
ハートの明かりとりです。
うわぉ

☆○=(`◇´*)o
この明かりとりでは、川本さん、「城下町再発見プロジェクト」の伊藤さん、源九郎稲荷神社の中川さんで物議を醸しました。
大正13年に建築されたものに、「ハート」をあしらうという概念があったのだろうか。
・・・と。
どうも、結論的には、遊郭の洒落で”おしり”をかたどったのではないかという。
うーん。
σ(^_^;)
私は、ハートに一票ですね。お尻にしては逆です。(真面目っ)
・・・
一階から二階にあがったところです。
左手は、板の間です。
ここで働く娘たちの髪結いの場になっていたそうです。
油がこぼれてもよいようにしていたそうな。
・・・
三階建の建物。
階段がそこかしこに伺えます。
当時の遊郭としての意図した構造なのでしょうね。
・・・
建物自体、ガラス窓がおおく、その割には雨戸がありません。
そのため現在、強風でガラスが割られることを警戒して、建物の窓という窓には、ベニヤ板を打ち付けて保護されています。
だから中は暗いですね。
時折、細格子の窓が、外界の明かりをとりこんでいます。
風雅な風景ですね。
三階は三畳一間の小部屋がいくつもつらなっています。
ここでかつては「男女の睦みごと」が繰り広げられた処ですね。
さて、娼制度は昭和21年にGHQにより廃止され、
昭和31年(1956)の売春防止法によって根絶されました。
この旧川本邸も例外ではありませんでした。
法令の発布の後、旧川本邸では、遊郭を廃業しました。
大きな建物をもてあまし、間貸しをはじめました。
今でいうアパートですね。
そのため上図のような部屋の各自に電気メーターが設置されるようになりました。
電気の併設とともに、当時をしのぶものとして、ガス灯がいくつか残されています。
・・・
平安末期から戦乱の時代には日本各地に遊女が多数出現するようになりました。
戦乱による貧困と、武士の横行が原因に考えられますね。
男たちが生死をかけて戦う時代に、
混乱を身をはって鎮撫する役割を担っていた娘たち。
女たちも女たちなりの戦いを繰り広げていたのですね。
正道・王道はなく、やむなく不浄と称される道だったのでしょう。
不浄に至る事情を心の闇として秘めていました。
大和郡山、洞泉寺町。
遊郭の娘たちが唯一心をひらいたのが・・・
もとは花街とつたえられる古い建物が軒を連ねる住宅街の奥に、源九郎稲荷神社はあります。
かつて、そこに花街の娘たちが沢山、参拝に訪れたとあります。
稲荷通りの夏・花街のなごり
1.奈良三大遊郭のひとつ洞泉寺町・旧川本邸
2.今はむかし豪華絢爛!!遊郭の跡
3.ハートの小窓?
源九郎稲荷神社のホームページができました。
http://www.genkurou-inari.com/
大和郡山・夏祭り(夕涼み会)
2011年8月26日(金)、27日(土)
17:00~20:00
この記事で御紹介しました旧川本邸と源九郎稲荷神社で夏祭りを開催します。
詳しくは源九郎稲荷神社ホームページの「おしらせ」をご覧ください。
むかし大和郡山城の巽(辰巳:東南)の方角に、源九郎稲荷神社をもってきたとあります。
その場所は、いまで伝えられる洞泉寺町にあたり、そこは花街として栄えていました。
・・・
「1.奈良三大遊郭のひとつ洞泉寺町・旧川本邸」のときに旧川本邸の外観を紹介しました。
この写真。

お気づきの方、いらっしゃいましたか?
建物の中ほど。二階あたり。
白塗りの壁が一部除いていますね。
ハートの明かりとりです。うわぉ

- ラブちゅうにゅうっ
× 3

☆○=(`◇´*)o
この明かりとりでは、川本さん、「城下町再発見プロジェクト」の伊藤さん、源九郎稲荷神社の中川さんで物議を醸しました。
大正13年に建築されたものに、「ハート」をあしらうという概念があったのだろうか。
・・・と。
どうも、結論的には、遊郭の洒落で”おしり”をかたどったのではないかという。
うーん。
σ(^_^;)
私は、ハートに一票ですね。お尻にしては逆です。(真面目っ)
・・・
一階から二階にあがったところです。
左手は、板の間です。
ここで働く娘たちの髪結いの場になっていたそうです。
油がこぼれてもよいようにしていたそうな。
・・・
三階建の建物。
階段がそこかしこに伺えます。
当時の遊郭としての意図した構造なのでしょうね。
・・・
建物自体、ガラス窓がおおく、その割には雨戸がありません。
そのため現在、強風でガラスが割られることを警戒して、建物の窓という窓には、ベニヤ板を打ち付けて保護されています。
だから中は暗いですね。
時折、細格子の窓が、外界の明かりをとりこんでいます。
風雅な風景ですね。
三階は三畳一間の小部屋がいくつもつらなっています。
ここでかつては「男女の睦みごと」が繰り広げられた処ですね。
さて、娼制度は昭和21年にGHQにより廃止され、
昭和31年(1956)の売春防止法によって根絶されました。
この旧川本邸も例外ではありませんでした。
法令の発布の後、旧川本邸では、遊郭を廃業しました。
大きな建物をもてあまし、間貸しをはじめました。
今でいうアパートですね。
そのため上図のような部屋の各自に電気メーターが設置されるようになりました。
電気の併設とともに、当時をしのぶものとして、ガス灯がいくつか残されています。
・・・
平安末期から戦乱の時代には日本各地に遊女が多数出現するようになりました。
戦乱による貧困と、武士の横行が原因に考えられますね。
男たちが生死をかけて戦う時代に、
混乱を身をはって鎮撫する役割を担っていた娘たち。
女たちも女たちなりの戦いを繰り広げていたのですね。
正道・王道はなく、やむなく不浄と称される道だったのでしょう。
不浄に至る事情を心の闇として秘めていました。
大和郡山、洞泉寺町。
遊郭の娘たちが唯一心をひらいたのが・・・
もとは花街とつたえられる古い建物が軒を連ねる住宅街の奥に、源九郎稲荷神社はあります。
かつて、そこに花街の娘たちが沢山、参拝に訪れたとあります。
稲荷通りの夏・花街のなごり1.奈良三大遊郭のひとつ洞泉寺町・旧川本邸
2.今はむかし豪華絢爛!!遊郭の跡
3.ハートの小窓?
源九郎稲荷神社のホームページができました。http://www.genkurou-inari.com/
大和郡山・夏祭り(夕涼み会)2011年8月26日(金)、27日(土)
17:00~20:00
この記事で御紹介しました旧川本邸と源九郎稲荷神社で夏祭りを開催します。
詳しくは源九郎稲荷神社ホームページの「おしらせ」をご覧ください。















