なかなか時間がとれません。(T_T) 【東京・横浜探訪】
TOKYO歴史ミステリーハンター★鈴木 です。
バタバタしております。
(°Д°;≡°Д°;)
せっかく関東くんだり来ているのですが、
(;´Д`)ノ ンガー
なかなか取材にでれませんね。
ZZzz....o(_ _*)o
前回お送りしました、鶴見神社 に、小野弁財天神社 ですが、
よく聞かれるのですが、
別に知ってて訪れたわけではありません。
道をあるいていて偶然みつけたのでした。
土地勘がなく、電車の乗り継ぎすらまともにできないイナカモノです。
道に迷っているときにポーンと遭遇したのでした。
∑(゚Д゚)
こちらに来ている間は、かもすさん夫妻 に、都祁の畑に行っていただいていました。
・茗荷の花
・蜂の子
畑での収穫物は、みごとに調理され、こちらのブログ で掲載されています。
いつもオイシソーだなーと見とれております。
かもすさんは、採れた野菜をご近所の方や、遠く吉野の知人にもおすそ分けされていますね。
都祁の野菜が、みなさんに喜ばれています。
うれしいですね。
また折をみて、色々な人に都祁の畑に訪れていただきたいですね。
かくいう私は、畑にいけないウサをここで晴らしていたりして。
パソコンを使った仕事をしていますので、気晴らしにやってます。
A=´、`=)ゞハハハ・・・
さてさて、奈良に戻れるのは、いつになることやら。
しばらくは再掲載、回想録になりそうですね・・・。
ご容赦

m(u_u)m
これまでのTOKYOミステリーハンターのレポート。鶴見神社 ― 横浜最古の神社
小野弁財天神社と、小野重行像 ― 海防開墾の守護神
豊受開発稲荷神社 ― 海運を護る狐火
豊受開発稲荷神社 ― もう一つの伝説?
JR大森駅 ― 駅中ミステリー・日本考古学発祥の地
駅中ミステリー・日本考古学発祥の地 ~ JR大森駅 大森貝塚 【東京・横浜探訪】
東京から横浜へもどるときです。
JR大森駅でドアがひらくと、私の目にとびこんできたのは、これ。
「日本考古学発祥の地」
石碑の上に乗っかっているのは深鉢式土器です。
石碑の側面には、このようなことが記述されていました。
「E.S.モース発掘 百周年記念建立」
アメリカの動物学者モース博士が1877(明治10年)
横浜より新橋に向かう汽車の窓から大森貝塚を発見し、これが契機となって日本の考古学が発達しました。

JR大森駅から、北へ5分ほど行くと大森貝塚遺跡庭園があります。
くだんの発掘場所でした。
日本の考古学はここから始まったことをうたっています。
モース博士と東京大学の発掘調査により、大森貝塚出土の土器は、縄文後期のものであることが判明。
また、石鏃、石斧、土偶、
鹿や鯨の骨片のほか,
人骨も同時に出土したそうです。
JR大森駅でドアがひらくと、私の目にとびこんできたのは、これ。
「日本考古学発祥の地」
石碑の上に乗っかっているのは深鉢式土器です。
石碑の側面には、このようなことが記述されていました。
「E.S.モース発掘 百周年記念建立」
アメリカの動物学者モース博士が1877(明治10年)
横浜より新橋に向かう汽車の窓から大森貝塚を発見し、これが契機となって日本の考古学が発達しました。

JR大森駅から、北へ5分ほど行くと大森貝塚遺跡庭園があります。
くだんの発掘場所でした。
日本の考古学はここから始まったことをうたっています。
モース博士と東京大学の発掘調査により、大森貝塚出土の土器は、縄文後期のものであることが判明。
また、石鏃、石斧、土偶、
鹿や鯨の骨片のほか,
人骨も同時に出土したそうです。
もう一つの伝説? ― 豊受開発稲荷神社 ~ 小野弁財天神社・摂社 鶴見区小野町【東京・横浜探訪】
TOKYO歴史ミステリーハンター★鈴木
です。
再び小野弁財天神社 におとずれました。
めあては豊受開発稲荷 さんです。
民家に挟まれたところにあり、このお稲荷様は民家の壁際にあります。
そこに手水がありました。
鉄のふたをしており如何にも今は使っていません。
この手水鉢、なんと天保11年に奉納されたものとあります。
こちらの由緒書きをうかがうと、アレッ?と首をかしげてしまいました。
前回紹介した「海運を護る狐火―豊受開発稲荷神社 」由緒と似ていますが内容が異なっていたのですね。
小野弁財天の由緒と書かれていたことと少し違っていたのですね。
それは、こんな内容です。
「お稲荷様と手水鉢」
この手水鉢には、天保十一年十二月(西暦1841)
下総国野田町
神奈川青木町 大野喜八
同所 柏屋
奉納と記されている。
昔、この地が鶴見川の河口付近の浅瀬であったころ、防潮堤の松林の中に、弁財天とお稲荷様が祀られていました。
ある日、積荷を満載した船が満潮時にあわせ河口についた。
おりしもみぞれ混じりの風雨の中、闇夜とかさなり一寸先も見えず水路を見失い難渋していた。
そこへ不思議や誰も灯を付けた者がいないのに一条の光が水面を照らし、船は無事に船着き場に入ることができました。
これは「御生成り」様の霊顕であると大いに喜び、感謝の誠心を捧げるとともに、お礼にこの手水鉢を奉納されたものであると伝えられる。
小野弁財天の由緒書きは祠が建てられた由来で、こちらにはその後の手水鉢が奉納された経緯が記されているように思えますね。
徳川家により江戸が開拓された時代。
いたるところの地方から人が集まってきて町を拓いたそうです。
それにまつわる伝説が、この横浜・東京には多くのこされているようです。
この小野弁財天と豊受開発稲荷もそのひとつですね。
今回再びおとずれたのは、この神社の名前の由来を知りたかったのですね。
”豊受開発稲荷神社”。
”開発”という二文字がなぜ入っているのか。
このあたりが開墾された(開発された)地だからという想像はしていましたが・・・
結局分からずじまいでしたね。
A=´、`=)ゞ
・・・
さて、御参りするため鳥居をくぐると、ギョッとしました。
Σ(゚д゚;)
祠の真横に、さわやかな風に、洗濯ものが揺れています。
民家の壁が切れて、祠の真横が勝手口のようになっています。
あまりにも間近にタオルや、パンツ、靴下がぶら下がっていてひるんでしまいました。
( ̄_ ̄ i)
ところで、ここらは猫が多いです。
こちら。
人間なぞ、なれたものか、私が近づいてもずっとこの調子で向かいあっています。
なんだかお話をしているようです。
(=⌒▽⌒=)
再び小野弁財天神社 におとずれました。
めあては豊受開発稲荷 さんです。
民家に挟まれたところにあり、このお稲荷様は民家の壁際にあります。
そこに手水がありました。
鉄のふたをしており如何にも今は使っていません。
この手水鉢、なんと天保11年に奉納されたものとあります。
こちらの由緒書きをうかがうと、アレッ?と首をかしげてしまいました。
前回紹介した「海運を護る狐火―豊受開発稲荷神社 」由緒と似ていますが内容が異なっていたのですね。
小野弁財天の由緒と書かれていたことと少し違っていたのですね。
それは、こんな内容です。
「お稲荷様と手水鉢」
この手水鉢には、天保十一年十二月(西暦1841)
下総国野田町
神奈川青木町 大野喜八
同所 柏屋
奉納と記されている。
昔、この地が鶴見川の河口付近の浅瀬であったころ、防潮堤の松林の中に、弁財天とお稲荷様が祀られていました。
ある日、積荷を満載した船が満潮時にあわせ河口についた。
おりしもみぞれ混じりの風雨の中、闇夜とかさなり一寸先も見えず水路を見失い難渋していた。
そこへ不思議や誰も灯を付けた者がいないのに一条の光が水面を照らし、船は無事に船着き場に入ることができました。
これは「御生成り」様の霊顕であると大いに喜び、感謝の誠心を捧げるとともに、お礼にこの手水鉢を奉納されたものであると伝えられる。
小野弁財天の由緒書きは祠が建てられた由来で、こちらにはその後の手水鉢が奉納された経緯が記されているように思えますね。
徳川家により江戸が開拓された時代。
いたるところの地方から人が集まってきて町を拓いたそうです。
それにまつわる伝説が、この横浜・東京には多くのこされているようです。
この小野弁財天と豊受開発稲荷もそのひとつですね。
今回再びおとずれたのは、この神社の名前の由来を知りたかったのですね。
”豊受開発稲荷神社”。
”開発”という二文字がなぜ入っているのか。
このあたりが開墾された(開発された)地だからという想像はしていましたが・・・
結局分からずじまいでしたね。
A=´、`=)ゞ
・・・
さて、御参りするため鳥居をくぐると、ギョッとしました。
Σ(゚д゚;)
祠の真横に、さわやかな風に、洗濯ものが揺れています。
民家の壁が切れて、祠の真横が勝手口のようになっています。
あまりにも間近にタオルや、パンツ、靴下がぶら下がっていてひるんでしまいました。
( ̄_ ̄ i)
ところで、ここらは猫が多いです。
こちら。
人間なぞ、なれたものか、私が近づいてもずっとこの調子で向かいあっています。
なんだかお話をしているようです。
(=⌒▽⌒=)







