神代杉と遭遇 玉置神社~奈良吉野紀行(3) 奈良 十津川村
(2009年10月の記事の再掲載です。)
神武東征~玉置神社 の由来のお話をはさんで、前回の「玉置神社におとずれました 」のつづきです。
細い参道がつづきます。
崖側に立てかけた由来が記されていない鳥居がありました。
小さなさい銭箱と、岩がごろりとあるだけのものです。
さらに進むと、道が分かれています。
片側は、登りの道。
片側は、鳥居が導く下りの道。
鳥居が連なる方向へと進みます。
参道がずっと続いています。
しばし歩きます。
早朝のため、他に訪れている人はいませんでした。
一番乗りです。
土の道はうねり、ときには木の根がのぞきます。
崖の下から、杉たちがしゅんと天に伸び、参道に影をおとしています。
朝日が差し込むその先に・・・
こつぜんと、
その姿を表します。
柵に囲まれた中。
他の杉とは、明らかに様子が違います。
神代杉。
樹齢3,000年ともいわれています。
圧倒的な存在感に、あっけにとられます。
玉置神社のご神木のひとつです。
悠然と立つその姿は、屋久島の縄文杉を彷彿とさせられました。
ようやく、参道の先に社が見えました。
つづく
神武東征~玉置神社 の由来のお話をはさんで、前回の「玉置神社におとずれました 」のつづきです。
細い参道がつづきます。
崖側に立てかけた由来が記されていない鳥居がありました。
小さなさい銭箱と、岩がごろりとあるだけのものです。
さらに進むと、道が分かれています。
片側は、登りの道。
片側は、鳥居が導く下りの道。
鳥居が連なる方向へと進みます。
参道がずっと続いています。
しばし歩きます。
早朝のため、他に訪れている人はいませんでした。
一番乗りです。
土の道はうねり、ときには木の根がのぞきます。
崖の下から、杉たちがしゅんと天に伸び、参道に影をおとしています。
朝日が差し込むその先に・・・
こつぜんと、
その姿を表します。
柵に囲まれた中。
他の杉とは、明らかに様子が違います。
神代杉。
樹齢3,000年ともいわれています。
圧倒的な存在感に、あっけにとられます。
玉置神社のご神木のひとつです。
悠然と立つその姿は、屋久島の縄文杉を彷彿とさせられました。
ようやく、参道の先に社が見えました。
つづく
神武東征 玉置神社の由来~奈良吉野紀行(2) 奈良 十津川村
(2009年10月の記事の再掲載です。)
日本で最初の天皇(大王(おおきみ))をご存知ですか?
神武(じんむ)天皇といわれていますね。
またの名を、神倭伊波礼琵古命(かんやまといわれひこのみこと)。
(以下、イワレヒコと記しますね)
天照大神の命を受けて、葦原中国(地上)を平定するため天孫降臨したニニギの孫です。
都に適した土地を求め、
古代日本は、日向国の高千穂(九州は宮崎県日向市美々津※)から兄のイツセと船で東へと出兵しました。
いわゆる、神武東征です。
北九州、そして瀬戸内海の各地を平定し、一行は、大阪は、難波の地・白肩津(シロカタノツ)に上陸します。
そこで、ナガスネビコという強敵の抵抗にあいます。
ナガスネビコは、イツセの軍に、雨のように矢をふらせます。
たけるイツセに対し、呪いをこめたナガスネビコの矢が放たれます。
矢は、イツセの腕を貫きます。
イツセの負傷により、イワレビコの軍は大敗を喫します。
海上へ逃げ延びた一行でしたが、イツセは衰弱し、やがて亡くなります。
悲嘆にくれたイワレビコでありましたが、
「日の神の御子でありながら、日に向かい戦ったことが敗因であろう」
そう言い残したイツセの言葉に従い、一行の船を和歌山は、熊野へとむけました。
ここから日を背に戦う旅となります。
深山幽谷、熊野の山々という難攻の地をイワレビコの軍は進みます。
そこで、おそろしい敵と遭遇します。
突如、熊野の地でイワレビコをはじめとする兵たちが気をうしないます。
それは熊野のあらぶる神の妖力でした。
昏倒としたイワレビコ。
夢の中で、タカクラジと出会います。
そこで天照大神から授かった太刀・霊剣「布都御霊」※を受け取ります。
夢から覚めたイワレビコ。
手には、夢の中で受け取った太刀がありました。
それは、怪しい霊力を断ち切る力をもっていました。
イワレビコは、それをもって、単身、熊野の神を倒したのでした。
話がかわりますが・・・
サッカーワールドカップの日本代表のシンボルになっていた三本脚のカラス、ご存知ですか?
苦難をしいられるイワレビコ一行の前に、
道案内に現れたのが、この三本脚のカラス、
ヤタガラス(八咫烏)です。
ヤタガラスの案内で、一行はなんとか吉野入りを果たします。
そのとき、兵を休め「十種神宝(とくさのかんだから)」の玉を置いて、武運を祈願されたのが、
後の、この玉置神社でした。
またこの山深い地を案内したヤタガラスは、出雲の神オオクニヌシの息子、ツノミともいわれており、十津川村の人々のご先祖と言い伝えられているそうです。
さて、神武天皇の神武東征は、先の大戦(太平洋戦争)では、
戦意高揚の一環として取り上げられるという悲しい時代がありました。
確かに、目線を返せば、九州の豪族イワレビコが、神の名のもと、他の地を平定しにやってきた・・・
土地の者にとっては、侵略者以外、なにものでもありませんね。
それはさておき、艱難辛苦をのりこえ、奈良は大和の地に都を築く旅は、物語としてオモシロイのです。
・・・神武天皇・イワレビコの旅は、まだまだ続きます。
この旅は、【奈良・大和王国縁起】 で紹介していきます。
乞うご期待。(ただ今、構想中 m(__)m)
※宮崎県日向市美々津
今では神武東征の船出した場所と言い伝えられており、
日本海軍発祥の地として石碑がたてられています。
※「布都御霊」
この霊剣、のち出雲より先に大和に降臨したにニギハヤヒが受け取り、
子孫の物部氏が石上神宮で祀っていました。
今では、禁足地の地中に眠っているとされています。
そんな石上神宮のパワースポットを巡るツアーがこれです。
「奈良パワースポット巡り 決まりました。11月8日 天理市の石上神宮と桜井市の大神神社 」
日本で最初の天皇(大王(おおきみ))をご存知ですか?
神武(じんむ)天皇といわれていますね。
またの名を、神倭伊波礼琵古命(かんやまといわれひこのみこと)。
(以下、イワレヒコと記しますね)
天照大神の命を受けて、葦原中国(地上)を平定するため天孫降臨したニニギの孫です。
都に適した土地を求め、
古代日本は、日向国の高千穂(九州は宮崎県日向市美々津※)から兄のイツセと船で東へと出兵しました。
いわゆる、神武東征です。
北九州、そして瀬戸内海の各地を平定し、一行は、大阪は、難波の地・白肩津(シロカタノツ)に上陸します。
そこで、ナガスネビコという強敵の抵抗にあいます。
ナガスネビコは、イツセの軍に、雨のように矢をふらせます。
たけるイツセに対し、呪いをこめたナガスネビコの矢が放たれます。
矢は、イツセの腕を貫きます。
イツセの負傷により、イワレビコの軍は大敗を喫します。
海上へ逃げ延びた一行でしたが、イツセは衰弱し、やがて亡くなります。
悲嘆にくれたイワレビコでありましたが、
「日の神の御子でありながら、日に向かい戦ったことが敗因であろう」
そう言い残したイツセの言葉に従い、一行の船を和歌山は、熊野へとむけました。
ここから日を背に戦う旅となります。
深山幽谷、熊野の山々という難攻の地をイワレビコの軍は進みます。
そこで、おそろしい敵と遭遇します。
突如、熊野の地でイワレビコをはじめとする兵たちが気をうしないます。
それは熊野のあらぶる神の妖力でした。
昏倒としたイワレビコ。
夢の中で、タカクラジと出会います。
そこで天照大神から授かった太刀・霊剣「布都御霊」※を受け取ります。
夢から覚めたイワレビコ。
手には、夢の中で受け取った太刀がありました。
それは、怪しい霊力を断ち切る力をもっていました。
イワレビコは、それをもって、単身、熊野の神を倒したのでした。
話がかわりますが・・・
サッカーワールドカップの日本代表のシンボルになっていた三本脚のカラス、ご存知ですか?
苦難をしいられるイワレビコ一行の前に、
道案内に現れたのが、この三本脚のカラス、
ヤタガラス(八咫烏)です。
ヤタガラスの案内で、一行はなんとか吉野入りを果たします。
そのとき、兵を休め「十種神宝(とくさのかんだから)」の玉を置いて、武運を祈願されたのが、
後の、この玉置神社でした。
またこの山深い地を案内したヤタガラスは、出雲の神オオクニヌシの息子、ツノミともいわれており、十津川村の人々のご先祖と言い伝えられているそうです。
さて、神武天皇の神武東征は、先の大戦(太平洋戦争)では、
戦意高揚の一環として取り上げられるという悲しい時代がありました。
確かに、目線を返せば、九州の豪族イワレビコが、神の名のもと、他の地を平定しにやってきた・・・
土地の者にとっては、侵略者以外、なにものでもありませんね。
それはさておき、艱難辛苦をのりこえ、奈良は大和の地に都を築く旅は、物語としてオモシロイのです。
・・・神武天皇・イワレビコの旅は、まだまだ続きます。
この旅は、【奈良・大和王国縁起】 で紹介していきます。
乞うご期待。(ただ今、構想中 m(__)m)
※宮崎県日向市美々津
今では神武東征の船出した場所と言い伝えられており、
日本海軍発祥の地として石碑がたてられています。
※「布都御霊」
この霊剣、のち出雲より先に大和に降臨したにニギハヤヒが受け取り、
子孫の物部氏が石上神宮で祀っていました。
今では、禁足地の地中に眠っているとされています。
そんな石上神宮のパワースポットを巡るツアーがこれです。
「奈良パワースポット巡り 決まりました。11月8日 天理市の石上神宮と桜井市の大神神社 」
玉置神社 におとずれました。 ~奈良吉野紀行(1) 奈良 十津川村
(2009年10月の記事の再掲載です。)
玉置神社。
吉野郡十津川村玉置川
日本で最大の面積を誇る十津川村。
大峰山系の南端に位置する標高1076メートルの玉置山に鎮座する旧郷社。
玉置山から望む吉野の山々です。
あたかも波のうねりのように、大峰山系の山々が永遠とひろがります。
玉置神社、訪れる人を選び、拒絶されたその人に訪れることができないような運気にさらされると聞きます。
ひとまず、私はOKだったようです。
ある話では、近くまで来たが、いたる道が見つからず、グルグルとあたりを回っていたとか、
また、突然カーナビがきかなくなり、おかしな場所を指し示すようになったとか。
そんなミステリアスなことがおこる神社だそうですが・・・
しかし、こんな山の中に住みつき、道路を通した人間のほうが、おおいに脅威であると、
今回の旅で思い知らされました。
さて、最初に参道入り口の鳥居です。
そこから、このような山肌を削った参道を進みます。
片側は切り立った崖、片側は、杉の木立が伸びた奈落へと続く崖です。
高所恐怖症の私には、困った場所です。
参道途中にある奇岩。
天然記念物「枕状溶岩体積地」
大昔、海底火山の噴火により噴出した玄武岩質の溶岩が水中に流れ出し、冷えて固まったもの。
岩石の形状が枕に似ているから枕状溶岩と呼ばれるそうです。
つづく
玉置神社。
吉野郡十津川村玉置川
日本で最大の面積を誇る十津川村。
大峰山系の南端に位置する標高1076メートルの玉置山に鎮座する旧郷社。
玉置山から望む吉野の山々です。
あたかも波のうねりのように、大峰山系の山々が永遠とひろがります。
玉置神社、訪れる人を選び、拒絶されたその人に訪れることができないような運気にさらされると聞きます。
ひとまず、私はOKだったようです。
ある話では、近くまで来たが、いたる道が見つからず、グルグルとあたりを回っていたとか、
また、突然カーナビがきかなくなり、おかしな場所を指し示すようになったとか。
そんなミステリアスなことがおこる神社だそうですが・・・
しかし、こんな山の中に住みつき、道路を通した人間のほうが、おおいに脅威であると、
今回の旅で思い知らされました。
さて、最初に参道入り口の鳥居です。
そこから、このような山肌を削った参道を進みます。
片側は切り立った崖、片側は、杉の木立が伸びた奈落へと続く崖です。
高所恐怖症の私には、困った場所です。
参道途中にある奇岩。
天然記念物「枕状溶岩体積地」
大昔、海底火山の噴火により噴出した玄武岩質の溶岩が水中に流れ出し、冷えて固まったもの。
岩石の形状が枕に似ているから枕状溶岩と呼ばれるそうです。
つづく


