日本での成功事例の特徴は、1920年代から30年代にかけて大組織向けに開発されたものである。
①日本でもインダストリアル・エンジニアは、仕事の研究や分析の為に、
欧米と同じ方法、道具、技法を使っている。
しかし、日本人は職務の設計を行わない
仕事の内容を明らかにした段階で職場に任せる。
②あらゆる人間しかもトップマネジメントまでもが、退職するまで
研鑽を日常の課題とする。
③終身雇用を持つ。
少なくとも大企業では、ひとたび雇われれば職場が保障される。
④福利厚生が、少なくとも賃金と同じ程度に重視される。
⑤強力なリーダーを育てるようには見えない
凡庸な為に選ばれ、波風を立てない小心な者を育成するうえで理想的に見える。
わずか20年の間に、世界第二位の経済大国を築いた独立心に富む攻撃的な
トップマネジメントが、この制度で生み出されたとは信じがたい
しかし日本では、終身雇用のもとで解雇されない為、また最初の25年は
もっぱら年功序列によって昇進させられるため、若い者の面倒を見て、
育てる事こそ、マネジメントの第一の責任とされている。
⑥組織のあらゆる階層において、意思決定が何を意味するかを考え、責任を
分担することが期待される。
組織全体の為に責任を果たす観点から考える事が期待されている。
意思決定のプロセスそのものへの参加ではない
意思決定を考えることへの参加である。
権限による参加ではない
責任による参加である。
これら日本の慣行は古来のものではない
第二次世界大戦以降とまでは言わないが、1920年代以降のものである。
だがそれは、日本の基本的な信条と価値観を反映している。
そのまま欧米の土壌に移植することは不可能である。
しかし根底にある考えは、日本特有のものではない
同じ考えは、同じように効果をあげている。
では、何が有効か?
それはマクレガーのY理論ではない
人は機会さえ与えられれば、成果をあげるべく働くなどとは仮定することはできない
強者に対してさえ、責任の重荷を背負わせるためには、多くのものが必用である。
もちろん人を追い立てることに依存することはできない
アメにもムチにも依存することはできない
しかもX理論における命令と保護による安定に代わるべきものを与えなければならない
そのような組織とは、いったい如何なるものか?
それはいかに機能するか?
幸い、それを推測する必要はない
そのような組織は現実に存在し、研究する事が出来る。
一般に、働くことと働く者の歴史は、とりたてて幸福なものではなかった
しかし、例外はあった。
働く事が成果と自己実現を意味した時期や組織があった。
その典型が国家存亡の時だった。
働く者は、自らが大儀に貢献していることを自覚していた。
ダンケルク撤退時のイギリスがそうだった
第二次世界大戦参戦後のアメリカがそうだった。
仕事が変わったわけではない
上司が特に知的になったり、人間的になったわけではない
しかし当時は、限られた機関だったにせよ、働く事から得られる充実感が完全に変化していた。
しかし、これは国が重大な危機が訪れなくても、あるいは外部からの刺激を受けなくとも起こしうることである。
それはマクレガーのY理論ではない
人は機会さえ与えられれば、成果をあげるべく働くなどとは仮定することはできない
強者に対してさえ、責任の重荷を背負わせるためには、多くのものが必用である。
もちろん人を追い立てることに依存することはできない
アメにもムチにも依存することはできない
しかもX理論における命令と保護による安定に代わるべきものを与えなければならない
そのような組織とは、いったい如何なるものか?
それはいかに機能するか?
幸い、それを推測する必要はない
そのような組織は現実に存在し、研究する事が出来る。
一般に、働くことと働く者の歴史は、とりたてて幸福なものではなかった
しかし、例外はあった。
働く事が成果と自己実現を意味した時期や組織があった。
その典型が国家存亡の時だった。
働く者は、自らが大儀に貢献していることを自覚していた。
ダンケルク撤退時のイギリスがそうだった
第二次世界大戦参戦後のアメリカがそうだった。
仕事が変わったわけではない
上司が特に知的になったり、人間的になったわけではない
しかし当時は、限られた機関だったにせよ、働く事から得られる充実感が完全に変化していた。
しかし、これは国が重大な危機が訪れなくても、あるいは外部からの刺激を受けなくとも起こしうることである。
産業心理学は、そのほとんどがY理論への忠誠を称する。
自己実現、創造性、人格をいう。
だが、その中心は心理操作による支配である。
その前提たるや、X理論のものである。
人は弱く、病み、自らの面倒を見られない
恐れ、不安、抑圧に満ちた存在である。
自己実現ではなく失敗を欲する。
支配されたがる。
従って、人というものは、彼自身の為に支配されなければならない
飢えの恐怖や物質的な報酬によってではなく、疎外の恐れや安定への希求によって支配されなければならない
確かに、これはX理論よりも進化している。
かつてのアメとムチはキメの荒い強制に過ぎない
しかしいかに進化したと言っても、これが支配であることに違いは無い
そのような支配は、進化していようと否とに関わらず、心理学の濫用である。
心理学によって人を支配し操作することは、知識の自殺である。
嫌悪すべき支配形態である。
かつての主人は、奴隷の肉体を支配する事で満足していた。
此処では、心理学の利用の適切さや道徳性は問わない
心理的支配の可能性についてのみ見てみよう
心理的支配は、マネジメントにとって魅力があるに違いない
それはマネジメントに対して、これまでと同じように行動してよいということ
必要なものは新しい言葉だけである。
しかも、それはマネジメントを良い気持ちにする。
ところが現実には、いくら心理学の本を読んでもセミナーに参加しても、この新しい心理学的X理論の採用にはなかなか踏み切れない
この用心深さは健全な本能による。
心理的支配が有効でないのは、200年前の啓蒙主義が政治的に有効でなかったのと同じである。
その原因も、同じである。
共に支配する側に万能の天才を必要とするからである。
心理学の言うところによれば、マネジメントはあらゆる人を熟知しなければならない。
あらゆる心理学的手法に精通しなければならない
部下全員に共感を寄せなければならない
あらゆる人の性格的構造、心理的欲求、心理問題を理解しなければならない
言い換えると、マネジメントは全智全能でなければならない
仕事の上の人間関係は、尊敬に基礎を置かなければならない
これに対して心理的支配は、根本において人を馬鹿にしている。
伝統的なX理論以上に人を馬鹿にする。
心理的支配は、人を怠惰で仕事を嫌う存在とは仮定していないが、マネジメントだけが健康で、他の者はすべて病的であると仮定する。
マネジメントだけが強く、他の者は全て弱いとする。
マネジメントだけが知識を持っていて、他の者は無知であるとする。
マネジメントだけが正しくて、他の者は全て馬鹿だとする。
まさに放漫で、馬鹿げた仮定である。
自己実現、創造性、人格をいう。
だが、その中心は心理操作による支配である。
その前提たるや、X理論のものである。
人は弱く、病み、自らの面倒を見られない
恐れ、不安、抑圧に満ちた存在である。
自己実現ではなく失敗を欲する。
支配されたがる。
従って、人というものは、彼自身の為に支配されなければならない
飢えの恐怖や物質的な報酬によってではなく、疎外の恐れや安定への希求によって支配されなければならない
確かに、これはX理論よりも進化している。
かつてのアメとムチはキメの荒い強制に過ぎない
しかしいかに進化したと言っても、これが支配であることに違いは無い
そのような支配は、進化していようと否とに関わらず、心理学の濫用である。
心理学によって人を支配し操作することは、知識の自殺である。
嫌悪すべき支配形態である。
かつての主人は、奴隷の肉体を支配する事で満足していた。
此処では、心理学の利用の適切さや道徳性は問わない
心理的支配の可能性についてのみ見てみよう
心理的支配は、マネジメントにとって魅力があるに違いない
それはマネジメントに対して、これまでと同じように行動してよいということ
必要なものは新しい言葉だけである。
しかも、それはマネジメントを良い気持ちにする。
ところが現実には、いくら心理学の本を読んでもセミナーに参加しても、この新しい心理学的X理論の採用にはなかなか踏み切れない
この用心深さは健全な本能による。
心理的支配が有効でないのは、200年前の啓蒙主義が政治的に有効でなかったのと同じである。
その原因も、同じである。
共に支配する側に万能の天才を必要とするからである。
心理学の言うところによれば、マネジメントはあらゆる人を熟知しなければならない。
あらゆる心理学的手法に精通しなければならない
部下全員に共感を寄せなければならない
あらゆる人の性格的構造、心理的欲求、心理問題を理解しなければならない
言い換えると、マネジメントは全智全能でなければならない
仕事の上の人間関係は、尊敬に基礎を置かなければならない
これに対して心理的支配は、根本において人を馬鹿にしている。
伝統的なX理論以上に人を馬鹿にする。
心理的支配は、人を怠惰で仕事を嫌う存在とは仮定していないが、マネジメントだけが健康で、他の者はすべて病的であると仮定する。
マネジメントだけが強く、他の者は全て弱いとする。
マネジメントだけが知識を持っていて、他の者は無知であるとする。
マネジメントだけが正しくて、他の者は全て馬鹿だとする。
まさに放漫で、馬鹿げた仮定である。