およそ人が責任という重荷を負うためには何が必用か?
如何なる手立て、誘因、保障が必用か?
責任に応じてもらうために、企業やマネジメントは何をしなければならないか?
焦点は、仕事に合わせなければならない
仕事が可能でなければならない
仕事が全てではないが、仕事がまず第一である。
確かに働く事の他の側面が不満足であれば、もっとも働き甲斐のある仕事さえ台なしになる。
だが、そもそも仕事そのものにやりがいが無ければ、どうにもならない
これは、子供にも解かるほど、明らかなことである。
しかしこれまでの歴史を通じて、働くことと働く者への取り組みは、全て仕事以外の要素に焦点を合わせてきた。
マルクス主義者は、所有関係に焦点を合わせ、仕事の構成や働く者のマネジメントに手を付けなかった。
家族的マネジメントの信者は、住宅や医療などの福利に焦点を合わせた。
だが、それらのものは重要であっても、やりがいのある仕事に取って代わるものではない。
IBMの創立者トーマス・J・ワトソン・シニアは、ある時、一人の女性が機械に向かって座ったままでいるのを目にした。
なぜ仕事をしないのかと聞くと、「工具を変えてくれるのをまっています」と答えた。
「自分ではできないのですか」と聞くと、「出来ます。でも、しないことになっています。」との答えが返ってきた。
ワトソンは、多くの者が毎週何時間もの間、工具を待つために時間を無駄にしていることを知った。
機械の組み立てを習得するには、数日の訓練で十分だった。
こうしてIBMでは、機械の組み立てを新しい職務として追加した。
その後、完成部品の検査も新しい職務とした。
このように職務の拡大によって、製品の質と量において予期せぬ改善がなされた。
そこでIBMは、職務の拡大に体系的に取り組む事になった。
個々の作業を可能な限り単純に設計し、誰でもそれらの作業をこなせるように訓練した。
それらの作業のうち少なくとも一つは、熟練技能や判断力を必要とするものにした。
複数の作業を行わせることによって、仕事のリズムに変化を持たせた。
生産性は大幅に向上した。
働く者の姿勢にも大きな変化が現れた。
同社では、働く者が職務に誇りを持つようになったことが最大の収穫だったとしている。
IBMは監督の職務も変えた。
今日IBMには、伝統的な意味での監督はいない
監督や職長の代わりに現場アシスタントがいる。
その職務は、実際に働く者が仕事を理解し、そのための道具を使えるようにすることである。
アシスタントはボスではない
IBMの第二のイノベーションも、半ば偶然によってもたらされた。
IBMが最初のコンピューターを1940年代後半に開発した時、需要が多かった為、エンジニアリングが終わらないうちに生産を開始しなければならなくなった。
エンジニアリングは、生産現場で技術者と技能者が協力して行った。
その結果生まれたのが、極めて優れたエンジニアリングだった。
安く、速く生産できるようになっただけではなく、エンジニアリングに参加した者たちが生産性の高い優れた仕事ぶりを示した。
これらの例は、いわゆる民主的マネジメントではない
参加型民主主義でもない
日本企業ではボスが誰かはっきりしている。
アッベもワトソンも自らの決定を押し付けることを躊躇しなかった。
これら働くことに関わるマネジメントの成功物語は、現代のイズムなどよりも、はるかに重要なことを示している。
家族型マネジメント、参加型マネジメントなどの自称万能薬を含め、これまでの理論のほとんどは、「権限」の組織化に焦点を合わせてきた。
これに対して、日本企業、ツァイスのアッベ、IBMのワトソンは、働くことのマネジメントの基礎として「責任」の組織化を行った。
なぜ仕事をしないのかと聞くと、「工具を変えてくれるのをまっています」と答えた。
「自分ではできないのですか」と聞くと、「出来ます。でも、しないことになっています。」との答えが返ってきた。
ワトソンは、多くの者が毎週何時間もの間、工具を待つために時間を無駄にしていることを知った。
機械の組み立てを習得するには、数日の訓練で十分だった。
こうしてIBMでは、機械の組み立てを新しい職務として追加した。
その後、完成部品の検査も新しい職務とした。
このように職務の拡大によって、製品の質と量において予期せぬ改善がなされた。
そこでIBMは、職務の拡大に体系的に取り組む事になった。
個々の作業を可能な限り単純に設計し、誰でもそれらの作業をこなせるように訓練した。
それらの作業のうち少なくとも一つは、熟練技能や判断力を必要とするものにした。
複数の作業を行わせることによって、仕事のリズムに変化を持たせた。
生産性は大幅に向上した。
働く者の姿勢にも大きな変化が現れた。
同社では、働く者が職務に誇りを持つようになったことが最大の収穫だったとしている。
IBMは監督の職務も変えた。
今日IBMには、伝統的な意味での監督はいない
監督や職長の代わりに現場アシスタントがいる。
その職務は、実際に働く者が仕事を理解し、そのための道具を使えるようにすることである。
アシスタントはボスではない
IBMの第二のイノベーションも、半ば偶然によってもたらされた。
IBMが最初のコンピューターを1940年代後半に開発した時、需要が多かった為、エンジニアリングが終わらないうちに生産を開始しなければならなくなった。
エンジニアリングは、生産現場で技術者と技能者が協力して行った。
その結果生まれたのが、極めて優れたエンジニアリングだった。
安く、速く生産できるようになっただけではなく、エンジニアリングに参加した者たちが生産性の高い優れた仕事ぶりを示した。
これらの例は、いわゆる民主的マネジメントではない
参加型民主主義でもない
日本企業ではボスが誰かはっきりしている。
アッベもワトソンも自らの決定を押し付けることを躊躇しなかった。
これら働くことに関わるマネジメントの成功物語は、現代のイズムなどよりも、はるかに重要なことを示している。
家族型マネジメント、参加型マネジメントなどの自称万能薬を含め、これまでの理論のほとんどは、「権限」の組織化に焦点を合わせてきた。
これに対して、日本企業、ツァイスのアッベ、IBMのワトソンは、働くことのマネジメントの基礎として「責任」の組織化を行った。
19世紀のドイツ経済の復興期に有って、光学産業が果たした役割は大きい
それは主としてツァイスのイエナ工場が作り上げたと言ってよい
カール・ツァイス(1816-1888)は、レンズの製作を家業とする職人だったが、偉大な発明家であり、イノベーターだった。
彼は、大学出の物理学者エルンスト・アッベ(1840-1905)とパートナーシップを結んだ。
1888年、ツァイスを引き継いだのが、このアッベだった。
アッベは科学者出身の最初の発明家として、驚くほど生産的だった。
精密レンズの製作にイノベーションをもたらした。
だがその最大の偉業は、発明や企業経営ではなく、働く事と働く人のマネジメントにあった。
ツァイスのアッベは、ティラーとは無関係に、科学的管理法としか名付けようのない仕事の分析を行った。
光学ガラスを製造し精密レンズに加工するうえで必要なプロセスを分析し、この二つのプロセスを統合した。
彼は、ヘンリー・フォードが20年後に行ったように、働く事を組織することころまでは行わなかった。
職務を編成する責任を編成する責任を実際に仕事をする人達に負わせた。
理論と技能を説明し、彼ら自身で職務を編成することを求めた。
十分な質と量の光学ガラスを、顕微鏡、カメラ、メガネといった日用器具に使えるだけの低コストで作るには、新しい機械と工具が必用だった。
アッベは大学出の科学者や技術者の助けを得た技能者達に、その開発に取り組ませた。
ツァイスが長年の間、世界的な独占を享受した裏には、何よりもまず、この働く者たち自身が設計し、或いは改良した機械と工具があった。
アッベはまた、継続訓練を導入した。
ドイツの産業界は、1880年頃には徒弟訓練を体系化していた。
親方のもとでの教育と学校での訓練を組み合わせたものだった
彼はこれに加えて、体系的な訓練講座を開き、在職中ずっと参加させた。
研究集会も開かせた。
技能者といえども、技術者、科学者、設計者とともに、作業方法の改善、新製品の開発、工程と技術の改良について研究すべきものとした。
アッベは日本企業よりも進んでいた。
働く者は、製品や仕事について、情報のフィードバックを必要としていると考えた。
働く者自身が、自らの仕事を管理しなければならないと繰り返し言っていた。
ツァイスでは、正式な雇用の保証はなかった。
アッベも技術者たちも、無能な者を忠実さだけで雇っておく慣行は真摯でないと拒否したに違いない。
しかしツァイスでは、業績をあげることを学び意欲のあることを示しさえすれば、景気変動に関わりなく雇用を保障していた。
アッベ遺言で、経営権と所有権をツァイスに働く者全員を受益者とする財団に譲った。
これは労働者管理ではなかった。
エルンスト・アッベ財団は、マネジメントとその任命による理事によって運営された。
働く者の福利厚生のために資金を出した。
福利厚生は、子弟の奨学金、医療補助、住宅手当などの従業員のニーズに応じて実施された。
それは主としてツァイスのイエナ工場が作り上げたと言ってよい
カール・ツァイス(1816-1888)は、レンズの製作を家業とする職人だったが、偉大な発明家であり、イノベーターだった。
彼は、大学出の物理学者エルンスト・アッベ(1840-1905)とパートナーシップを結んだ。
1888年、ツァイスを引き継いだのが、このアッベだった。
アッベは科学者出身の最初の発明家として、驚くほど生産的だった。
精密レンズの製作にイノベーションをもたらした。
だがその最大の偉業は、発明や企業経営ではなく、働く事と働く人のマネジメントにあった。
ツァイスのアッベは、ティラーとは無関係に、科学的管理法としか名付けようのない仕事の分析を行った。
光学ガラスを製造し精密レンズに加工するうえで必要なプロセスを分析し、この二つのプロセスを統合した。
彼は、ヘンリー・フォードが20年後に行ったように、働く事を組織することころまでは行わなかった。
職務を編成する責任を編成する責任を実際に仕事をする人達に負わせた。
理論と技能を説明し、彼ら自身で職務を編成することを求めた。
十分な質と量の光学ガラスを、顕微鏡、カメラ、メガネといった日用器具に使えるだけの低コストで作るには、新しい機械と工具が必用だった。
アッベは大学出の科学者や技術者の助けを得た技能者達に、その開発に取り組ませた。
ツァイスが長年の間、世界的な独占を享受した裏には、何よりもまず、この働く者たち自身が設計し、或いは改良した機械と工具があった。
アッベはまた、継続訓練を導入した。
ドイツの産業界は、1880年頃には徒弟訓練を体系化していた。
親方のもとでの教育と学校での訓練を組み合わせたものだった
彼はこれに加えて、体系的な訓練講座を開き、在職中ずっと参加させた。
研究集会も開かせた。
技能者といえども、技術者、科学者、設計者とともに、作業方法の改善、新製品の開発、工程と技術の改良について研究すべきものとした。
アッベは日本企業よりも進んでいた。
働く者は、製品や仕事について、情報のフィードバックを必要としていると考えた。
働く者自身が、自らの仕事を管理しなければならないと繰り返し言っていた。
ツァイスでは、正式な雇用の保証はなかった。
アッベも技術者たちも、無能な者を忠実さだけで雇っておく慣行は真摯でないと拒否したに違いない。
しかしツァイスでは、業績をあげることを学び意欲のあることを示しさえすれば、景気変動に関わりなく雇用を保障していた。
アッベ遺言で、経営権と所有権をツァイスに働く者全員を受益者とする財団に譲った。
これは労働者管理ではなかった。
エルンスト・アッベ財団は、マネジメントとその任命による理事によって運営された。
働く者の福利厚生のために資金を出した。
福利厚生は、子弟の奨学金、医療補助、住宅手当などの従業員のニーズに応じて実施された。