19世紀のドイツ経済の復興期に有って、光学産業が果たした役割は大きい
それは主としてツァイスのイエナ工場が作り上げたと言ってよい
カール・ツァイス(1816-1888)は、レンズの製作を家業とする職人だったが、偉大な発明家であり、イノベーターだった。
彼は、大学出の物理学者エルンスト・アッベ(1840-1905)とパートナーシップを結んだ。
1888年、ツァイスを引き継いだのが、このアッベだった。
アッベは科学者出身の最初の発明家として、驚くほど生産的だった。
精密レンズの製作にイノベーションをもたらした。
だがその最大の偉業は、発明や企業経営ではなく、働く事と働く人のマネジメントにあった。
ツァイスのアッベは、ティラーとは無関係に、科学的管理法としか名付けようのない仕事の分析を行った。
光学ガラスを製造し精密レンズに加工するうえで必要なプロセスを分析し、この二つのプロセスを統合した。
彼は、ヘンリー・フォードが20年後に行ったように、働く事を組織することころまでは行わなかった。
職務を編成する責任を編成する責任を実際に仕事をする人達に負わせた。
理論と技能を説明し、彼ら自身で職務を編成することを求めた。
十分な質と量の光学ガラスを、顕微鏡、カメラ、メガネといった日用器具に使えるだけの低コストで作るには、新しい機械と工具が必用だった。
アッベは大学出の科学者や技術者の助けを得た技能者達に、その開発に取り組ませた。
ツァイスが長年の間、世界的な独占を享受した裏には、何よりもまず、この働く者たち自身が設計し、或いは改良した機械と工具があった。
アッベはまた、継続訓練を導入した。
ドイツの産業界は、1880年頃には徒弟訓練を体系化していた。
親方のもとでの教育と学校での訓練を組み合わせたものだった
彼はこれに加えて、体系的な訓練講座を開き、在職中ずっと参加させた。
研究集会も開かせた。
技能者といえども、技術者、科学者、設計者とともに、作業方法の改善、新製品の開発、工程と技術の改良について研究すべきものとした。
アッベは日本企業よりも進んでいた。
働く者は、製品や仕事について、情報のフィードバックを必要としていると考えた。
働く者自身が、自らの仕事を管理しなければならないと繰り返し言っていた。
ツァイスでは、正式な雇用の保証はなかった。
アッベも技術者たちも、無能な者を忠実さだけで雇っておく慣行は真摯でないと拒否したに違いない。
しかしツァイスでは、業績をあげることを学び意欲のあることを示しさえすれば、景気変動に関わりなく雇用を保障していた。
アッベ遺言で、経営権と所有権をツァイスに働く者全員を受益者とする財団に譲った。
これは労働者管理ではなかった。
エルンスト・アッベ財団は、マネジメントとその任命による理事によって運営された。
働く者の福利厚生のために資金を出した。
福利厚生は、子弟の奨学金、医療補助、住宅手当などの従業員のニーズに応じて実施された。