我々は、働く者と働く事のマネジメントについて、答えを全て持っている訳ではない
組織社会は最近のものである。
人類の歴史では、ついこの間まで被用者は僅かにすぎなかった
人を動かすためのアメとムチが効力を失ったのは、更に最近のことである。
高学歴の労働力が出現したのもごく最近である。
我々は、何が問題化を知っている。
アプローチの仕方も知っている。
完全な実現は不可能化もしれないが、目指すべき目標も知っている。
誰もまだ、働く者に対して、「仲間のマネジャー諸君」とは呼びかけていない
そのようなことは今後ないかもしれない
しかし、それこそが目標である。
今後も、マナ地面との権限と権力、意思決定と命令、所得の格差、上司と部下という現実は残る。
これらのものは存在し続ける。
しかし我々には、誰もが自らをマネジメントの一員とみなす組織を作り上げるという課題がある。
工場や事務所には職場のコミュニティがある。
働く者に仕事の成果をあげさせるためには、この職場コミュニティに実質的な責任を与える必要がある。
マネジメントが職場コミュニティに関わる問題について意思決定を行うことは、職場コミュニティにとっては重要であっても、マネジメントにとっては重要でない問題をマネジメントが背負い込むことを意味する。
従業員食堂、休暇の調整、レクリエーション活動等の問題である。
ほとんどの企業で、マネジメントがこれらの問題を処理している。
お金をかけ、能率を悪くし、摩擦と不満の種を作り出している。
意思決定は適切ではなく、運営はうまくいかない。
それは、これらの仕事が、マネジメントにとって重要ではなく大事に扱うに値しないからである。
だがこれらの活動は、職場コミュニティとそのメンバーにとっては、重要な生活上の問題である。
運営がうまくいかなければ、士気が下がる。
しかも、その運営が上からのものである限り、いかにうまく行っても士気は向上しない
これらの活動に関わる責任は、職場コミュニティに任せるべきである。
そのうえこれらの活動は、レーダーシップを発揮し、責任を持ち、認められ、学んでいく良い機会である。
特にレーダーシップを発揮する機会が職場コミュニティに存在しない時、能力、エネルギー、野心は、マネジメントや職場コミュニティに対立する形で発揮される。
当然、否定的、破壊的、扇動的な形をとる。
職場コミュニティの自治は民主的でなくてよい
民主的であってはならないかもしれない
権限や任務は、年功によって決定してよい
重要なことは、職場コミュニティの問題は自治でなければならないということである。
意思決定の責任は、その意思決定の影響に直接関わるところに与えなければならない
働く者に仕事の成果をあげさせるためには、この職場コミュニティに実質的な責任を与える必要がある。
マネジメントが職場コミュニティに関わる問題について意思決定を行うことは、職場コミュニティにとっては重要であっても、マネジメントにとっては重要でない問題をマネジメントが背負い込むことを意味する。
従業員食堂、休暇の調整、レクリエーション活動等の問題である。
ほとんどの企業で、マネジメントがこれらの問題を処理している。
お金をかけ、能率を悪くし、摩擦と不満の種を作り出している。
意思決定は適切ではなく、運営はうまくいかない。
それは、これらの仕事が、マネジメントにとって重要ではなく大事に扱うに値しないからである。
だがこれらの活動は、職場コミュニティとそのメンバーにとっては、重要な生活上の問題である。
運営がうまくいかなければ、士気が下がる。
しかも、その運営が上からのものである限り、いかにうまく行っても士気は向上しない
これらの活動に関わる責任は、職場コミュニティに任せるべきである。
そのうえこれらの活動は、レーダーシップを発揮し、責任を持ち、認められ、学んでいく良い機会である。
特にレーダーシップを発揮する機会が職場コミュニティに存在しない時、能力、エネルギー、野心は、マネジメントや職場コミュニティに対立する形で発揮される。
当然、否定的、破壊的、扇動的な形をとる。
職場コミュニティの自治は民主的でなくてよい
民主的であってはならないかもしれない
権限や任務は、年功によって決定してよい
重要なことは、職場コミュニティの問題は自治でなければならないということである。
意思決定の責任は、その意思決定の影響に直接関わるところに与えなければならない
働き甲斐を与えるには、仕事そのものに責任を持たせなければならない
その為には、①生産的な仕事、②フィードバック情報、③継続学習が不可欠である。
①第一に、仕事を分析せず、プロセスを総合せず、管理手段と道具や情報を設計せずに、仕事に責任を持たせようとしても無駄である。
このことは、独創性のスローガンには反する。
人は束縛から解放されれば、専門家よりも優れた生産的な答えを出すとの考えは昔からある。
18世紀のルソーの前からである。
だが、その正しさを支持する証拠はない
独創性と言えども、基礎的な道具があって初めて力を発揮する。
我々の知るかぎり、正しい仕事の構成は直観的に知りうる代物ではない。
②働く者に責任を持たせる為の第二の条件は、成果についてのフィードバック情報を与える事である。
自己管理が可能でなければならない。
自らの成果についての情報が不可欠である。
③第三の条件は、継続学習である。
継続学習は、肉体労働と同様、事務労働にも必要である。
知識労働には更に必要である。
知識労働が成果をあげるためには専門家しなければならない
従って、他の専門分野の経験、問題、シーズに接し、かつ自らの知識と情報を他の分野に適用できるようにしなければならない。
経理、市場調査、企画、エンジニアリングのいずれにせよ、知隙労働に携わる作業者集団は、学習集団とならなければならない
これら三つの条件、すなわち生産的な仕事、フィードバック情報、継続学習は、働く者が自らの仕事、集団、成果について責任を持つための、いわば基礎である。
従って、それはマネジメントの責任であり、課題である。
しかし、それらの三つの条件は、マネジメントの大検すなわちマネジメントだけが一方的に取り組むべき課題ではない
これら三つの条件全てについて、実際に仕事をする者自身が初めから参画しなければならない
仕事、プロセス、道具、情報についての検討に初めから参画しなければならない
彼らの知識、経験、欲求が、仕事のあらゆる段階において貴重な資源とならなければならない
仕事をいかに行うべきかを検討することは、働く者とその集団の責任である。
仕事の仕方や成果の質や量は、彼らの責任である。
したって仕事、職務、道具、プロセス、技能の向上は、彼らの責任である。
しかし、満たすことのできる要求である。
彼ら働く者は、インダストリアル・エンジニアなどよりも、はるかに高い目標を設定し、しかもその彼ら自身が決めた目標以上の成果をあげていく
それは、仕事が遊びになるからではない
遊びに等なってはならない
確かに心理的な要因は大きな役割を果たす。
だが、動機付けだけがその原因ではない
自らや作業者集団の職務の設計に責任を持たせることが成功するのは、彼らが唯一の専門家である分野において、彼らの知市域と経験が生かされるからである。
仕事を生産的なものにするうえで独創性に期待することは夢想である。
必要なものは、実際に働く者の知識と技術である。
彼らこそ唯一の専門家である。
仕事とは総合的なものである。
その為には、①生産的な仕事、②フィードバック情報、③継続学習が不可欠である。
①第一に、仕事を分析せず、プロセスを総合せず、管理手段と道具や情報を設計せずに、仕事に責任を持たせようとしても無駄である。
このことは、独創性のスローガンには反する。
人は束縛から解放されれば、専門家よりも優れた生産的な答えを出すとの考えは昔からある。
18世紀のルソーの前からである。
だが、その正しさを支持する証拠はない
独創性と言えども、基礎的な道具があって初めて力を発揮する。
我々の知るかぎり、正しい仕事の構成は直観的に知りうる代物ではない。
②働く者に責任を持たせる為の第二の条件は、成果についてのフィードバック情報を与える事である。
自己管理が可能でなければならない。
自らの成果についての情報が不可欠である。
③第三の条件は、継続学習である。
継続学習は、肉体労働と同様、事務労働にも必要である。
知識労働には更に必要である。
知識労働が成果をあげるためには専門家しなければならない
従って、他の専門分野の経験、問題、シーズに接し、かつ自らの知識と情報を他の分野に適用できるようにしなければならない。
経理、市場調査、企画、エンジニアリングのいずれにせよ、知隙労働に携わる作業者集団は、学習集団とならなければならない
これら三つの条件、すなわち生産的な仕事、フィードバック情報、継続学習は、働く者が自らの仕事、集団、成果について責任を持つための、いわば基礎である。
従って、それはマネジメントの責任であり、課題である。
しかし、それらの三つの条件は、マネジメントの大検すなわちマネジメントだけが一方的に取り組むべき課題ではない
これら三つの条件全てについて、実際に仕事をする者自身が初めから参画しなければならない
仕事、プロセス、道具、情報についての検討に初めから参画しなければならない
彼らの知識、経験、欲求が、仕事のあらゆる段階において貴重な資源とならなければならない
仕事をいかに行うべきかを検討することは、働く者とその集団の責任である。
仕事の仕方や成果の質や量は、彼らの責任である。
したって仕事、職務、道具、プロセス、技能の向上は、彼らの責任である。
しかし、満たすことのできる要求である。
彼ら働く者は、インダストリアル・エンジニアなどよりも、はるかに高い目標を設定し、しかもその彼ら自身が決めた目標以上の成果をあげていく
それは、仕事が遊びになるからではない
遊びに等なってはならない
確かに心理的な要因は大きな役割を果たす。
だが、動機付けだけがその原因ではない
自らや作業者集団の職務の設計に責任を持たせることが成功するのは、彼らが唯一の専門家である分野において、彼らの知市域と経験が生かされるからである。
仕事を生産的なものにするうえで独創性に期待することは夢想である。
必要なものは、実際に働く者の知識と技術である。
彼らこそ唯一の専門家である。
仕事とは総合的なものである。