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世界トップクラスを目指す マーケティング戦略

超ー本気で行くぞ!世界トップクラスを目指す

企業の第一の機能としてのマーケティングは、今日あまりにも多くの企業で行われていない。
言葉だけに終わっている。

消費者運動がこのことを示している。
消費者運動が企業に要求しているものこそ、まさにマーケティングである。
それは企業に対して、顧客の欲求、現実、価値からスタートせよと要求する。
企業の目的は欲求の満足であると定義せよと要求する。
収入の基盤を顧客への貢献に置けと要求する。
マーケティングが長い間説かれてきたにもかかわらず、消費者運動が強力な大衆運動として出てきたということは、結局のところ、マーケティングが実践されてこなかったということである。
消費者運動はマーケティングにとって恥である。
だが消費者運動こそ、企業にとって機会である。
消費者運動によって、企業はマーケティングを企業活動の中心に置かざるをえなくなる。

これまでのマーケティングは、販売に関係する全職能に遂行を意味するにすぎなかった。
それではまだ販売である。
我々の製品からスタートしている。
我々の市場をさがしている。
これに対して、真のマーケティングは顧客からスタートする。
すなわち現実、欲求、価値からスタートする。
「我々は何を売りたいか」ではなく「顧客は何を買いたいか」を問う。
「我々の製品やサービスにできることはこれである」ではなく「顧客が価値ありとし、必要とし、求めている満足がこれである」という。

実のところ、販売とマーケティングは逆である。
同じ意味でないことはもちろん、補い合う部分さえない。
もちろん何らかの販売は必要である。
だがマーケティングの理想は、販売を不要にすることである。
マーケティングが目指すものは、顧客を理解し、製品とサービスを顧客に合わせ、おのずから売れるようにすることである。
企業とは何かを知るためには、企業の目的から考えなければならない。
企業の目的は、それぞれの企業の外にある。
企業は社会の機関であり、その目的は社会にある。
企業の目的に定義は一つしかない。
それは顧客を創造することである。

市場を作るのは、神や自然や経済的な力ではなく企業である。
企業は、すでに欲求が感じられているところへ、その欲求を満足させる手段を提供する。
それは、飢饉における食物への欲求のように、生活全体を支配し、人にその事ばかりを考えさせるような欲求かもしれない。
しかしそれでも、それは有効需要に変えられるまでは潜在的な欲求であるにすぎない。
有効需要に変えられて、初めて顧客と市場が誕生する。

欲求が感じられていない事もある。
なぜなら顧客だけが、剤やサービスに対する支払いの意志を持ち、経済資源を冨に、モノを財貨に変えるからである。
しかも顧客が価値を認め購入するものは、剤やサービスそのものではない。
剤やサービスが提供するもの、すなわち効用である。

企業の目的は顧客の創造である。
したがって、企業は二つの、そして二つだけの基本的な機能を持つ。
それがマーケッティングとイノベーションである。
マーケッティングとイノベーションだけが成果をもたらす。
生産、マーケッティング、財務、技術、購買、人事、広報等の職能については、文献が多い。
しかしマネジメントそのものが何であり、何を行うべきものであり、いかに行うべきものであるかについては、議論さえ聞かない。

これは偶然ではない。
総合的な経営科学と真の企業理論が存在していないからである。

企業とは何かと聞けば、ほとんどの人が営業組織と答える。
経済学者もそう答える。
だがこの答えは、間違っているだけではなく的はずれである。
経済学は利益を云々するが、目的としての利益地とは、「安く買って高く売る」との昔からの言葉を難しく言い直したにすぎない。
それは企業のいかなる活動も説明しない。
活動の在り方についても説明しない。

利潤動機には意味がない。
利潤動機なるものには、利益そのものの意義さえ間違って神話化する危険がある。
利益は、個々の企業にとっても、社会にとっても必要である。
しかしそれは企業や企業活動にとって、目的ではなく条件である。
企業活動や企業の意志決定にとって、原因や理由や根拠ではなく、その妥当性の判断基準となるものである。
そのような意味において、たとえ経済人の代わりに、天使を取締役を持ってきたといしても、つまり金銭に対する興味がまったく存在しなかったとしても、、利益に対しては重大な関心を払わざるをえない。

この混乱の原因は、利潤動機なる動機によって人の行動を説明できるという考えにある。
だが利潤動機なるものは存在するかどうかさえ疑わしい。
それは古典派経済学者が、彼らの静的均衡理論では説明できない経済の現実を説明するために考え出したものである。
その存在を証明するものではない。
しかも我々は、かつて利潤動機によって説明しようとした経済変動や経済成長を説明するものを、すでに見つけている。

利潤動機なるものは、企業行動はもちろん、利益そのものとさえ無関係である。
何某が利潤動機のもとに事業をしているという事は、その者と記録係の天使だけの問題で有る。
しかも、利益の為に事業をしているという事から、彼がいかなる事業をいかに行っているかは知りえない。

利潤動機なるものは、的外れであるだけではなく害をあたえている。
この観念のゆえに、利益に対する誤解と、利益に対する根深い敵意が生じている。
この誤解と敵意こそ、現代社会におけるもっとも危険な病原菌である。
その上この観念ゆえに、企業の本質、機能、目的に対する誤解に基ずく公共政策の最悪の過ちがもたらされている。
利益と社会貢献は矛盾するとの通念さえ生まれている。
しかし企業は、高い利益をあげて、初めて社会貢献を果たす事が出来る。